明くる朝


昨日は眠れるものではなかった。体を蝕む倦怠感と、心に重く降り積もる澱。思う存分、触れた肌の感触は、いまだ手のひらに残っている。一度、後輩のものを受け入れた場所は、それでもきつく締めつけた。腰を掴み、深く埋め込み、ただ欲望のままに突き入れ揺すった。いやいやと泣きじゃくる声を無視し、中を抉った。抵抗すらできず、ジャーファルは犯された。

終わった後、顔を覗き込んでみれば、頬は涙で濡れ、虚ろな目で宙を見ていた。軽く頬を撫で、すぐに離す。真新しいタオルを後輩に手渡し、拭いてやれ、と指示を出せば、後輩は弱々しく頷いた。何故だか、自分が犯されたような顔をしているのがおかしくて、だが、笑うことはできなかった。かろうじて体に纏わりついていたシャツと下着、それからスカートを手早く剥ぎ取り、洗ったばかりのシャツに着替えさせる。

後輩にジャーファルを任せ、シャツや下着を洗面所に持って行き、それから台所へ向かう。冷蔵庫にいれてあったミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。

部屋に戻れば、ジャーファルの姿はなく、代わりにベッドが膨らんでいた。その固まりに後輩が呼びかけている。そのままにしておけ、と言い、ベッドの膨らみに声をかける。返事はなかったが気にせず、部屋を出て行き、ジャーファルの部屋へと移動した。後輩は言われるまま、後を付いてくる。

少し話をした後、後輩にベッドで眠るように言い、俺はソファに横になった。ベッドで男ふたり眠るのは避けたかったし、後輩をソファで眠らせれば、先輩なのですから譲ってあげればいいのに、と後で怒られるに違いない。先のことを考えている自分に苦笑が零れた。もしかしたら、もう二度と口を利いてくれないかもしれないというのに。

しばらく眠れずに寝返りを繰り返していた後輩は、やがて静かな寝息を立て始めた。後悔しているのだろうな、と膨らんだ布団を見つめ、今度は自分に問いかける。――後悔しているのか、と。

答えは否だ。後悔するどころか、もっと早くにこうしていればよかったと思っている。それこそ、ふたりきりの時に、他の誰も触れることができぬように。機会は山ほどあり、だからこそ手を伸ばすことはできなかった。こんなにもあっけないものなのか、と拍子抜けするほど簡単に、ジャーファルは俺の腕の中に収まった。無理矢理だとしてもかまわない。大事なのは、この手の中に確かな感触を持った、妄想ではない、現実のジャーファルがいたことだ。

長年培ってきた幼馴染みの絆すら失ってもかまわない、と思うほど、俺は追い詰められていた。酒などただのきっかけに過ぎない。酒がなくとも、近いうちに手を伸ばしていただろう。おそらく、もっとひどい状況で、絆など一瞬にして砕け散るような、そんな方法で傷つけたに違いない。

絆はまだあるのか、自分に問いかける。細い糸のような絆がまだ手の中にあった。明確な理由はない。けれど、確かに感じていた。あれは本当に人が好い、ちいさく笑う。そんなことをつらつらと考えているうちに夜が明けた。

起きあがり、箪笥の中から着替えを取り出す。脇に抱えると、後輩を起こさぬように部屋を出た。自室に戻り、ベッドを見る。シーツに丸まって眠っているのは息苦しかったのか、顔を出して、ぐっすりと眠っていた。着替えをベッドの脇に置く。

涙は拭き取った筈なのに、涙の跡がある。夜中にまた泣いたのか。そう思うと、胸が苦しくなる。テーブルの上に視線を移動させれば、半分に減ったミネラルウォーターと、空き缶が転がっていた。開けていなかった筈の缶がひとつ開けてあった。やけ酒もしたくなるか、と手を伸ばし、空き缶を片付ける。やることもなくなり、ベッドの横に腰を下ろし、ジャーファルの寝顔を見つめた。涙の跡を指先で拭うが、乾いていて上手く拭うことができない。

「……ジャーファル」

名前を呼ぶが、目覚める気配は一切ない。このままずっと目覚めなければいいと思った。このまま時間が止まり、ふたりきりで、永遠にこの時間が続けばいい、と。だが、時間は止まることなく過ぎ行き、ジャーファルは目覚める。

「起きたか」
「…………」

ぱちぱちと瞬きをした後、俺の顔を確認すると同時に眉を顰めた。

「……わたし、怒ってますから」
「そうか」
「どうして、笑うんですか」

擦れた声が静かに怒りを伝える。が、本当に怒っているならば、ジャーファルは何も言わない。許すのかとそう思えば、無性に苦しくなり、涙が零れそうになる。

「言い訳を、してください」

静かな声に棘が混じり始めた。俺は首を振るい、言い訳などない、と伝える。

「じゃあ、どうしてあんなこと」
「……わかるだろう?」
「わかりません。理解ができません。だから、言い訳してください」
「ジャーファル」
「……っ!」

顔をくしゃくしゃに歪めたジャーファルはシーツに包まったまま起きあがり、手を振り上げる。頬に衝撃が走り、じんじんと痛む。

「ちゃんと言い訳してください!」

眉間に皺を寄せ、睨みつけてくる視線を真っ向から受け止め、首を振るう。

「ただの酒の勢いで、女なら誰でも良かったと、私の運が悪かっただけだと、そう、言ってください」

そんな筈ないと思いながら出された言葉に説得力などある筈もない。

「私じゃなくて、女なら誰も良くて、お酒さえ飲んでいなければ……あんなこと……」

両方の目からぼろぼろと涙が零れ落ちて、ジャーファルは崩れ落ちる。ベッドに顔を埋め、肩を震わせて泣く。どれほど泣いても、涙は枯れ果てず、永遠に零れるのではないかと思わせた。銀色の髪をゆっくりと撫でる。

「……触らないで」

確かな拒絶に、目を細め、手を退けた。

「ジャーファル」
「私じゃなくても、良かったんでしょう」
「ジャーファル、わかっているだろう」
「わかりません」

震える声が必死に否定する。ジャーファル、と名前を呼ぶ。幾度呼んでも呼び足りない。

「俺はお前が好きだよ」

静かに伝えれば、体を強張らせた。言葉を続ける。

「お前だから手を伸ばした。俺はお前のことが好きで、ずっとああやって好きにしたかった。肌に触れ、口づけ、貫き、欲を満たしたかった。酒のせいじゃない」
「言わないで……!」

両手で耳を塞ごうとするジャーファルの手首を掴み、引き剥がす。

「俺はいつか同じことをした」
「うそ、うそです……!あなたはそんなことするような人じゃない!お酒のせいで、正しい判断ができなかっただけです!お酒さえ飲まなければ、あんなこと……」

肩が震え、嗚咽が零れる。

「では、シャルルカンも同じだというのか?」
「……そう、です」

ちいさくくぐもった声が答えた。あんなにも必死な姿を見て、誰でも良かったに違いないと思うのは難しいだろうに。

「ジャーファル、俺もシャルルカンもお前が良かったんだ。お前じゃなければ、あんなことはしなかった」

それは確かだ。違う点といえば、俺はいつか手を伸ばし、無理矢理にでも体を繋げただろうが、シャルルカンは報われずとも仕方ないと諦めただろうことだ。ああ見えて、純情でなによりも相手のことを考える。いっそ身を引き、後輩に任せた方が幾分かマシだろうと思うのに、譲る気持は一切なかった。そもそも選ぶのはジャーファルだ。だが、それは抑止力にはならない。俺でもない、シャルルカンでもない、他の誰かを選ぶとしても、諦めるという気持は浮かばない。

恋焦がれた体は、重ねられることが運命だったかのように、肌に馴染んだ。自分勝手な妄想だとしても、そうとしか思えない。それほどにジャーファルの肌は俺の手に馴染んだ。だから、諦めるなどできよう筈がない。

「お前が好きだ。他の誰かでは代わりにならない。ジャーファル、俺はお前が好きで、好きで好きでたまらなくて、無理矢理にでも自分のものにしたいと思うほど……」
「言わないで!そんなこと、嫌というほど知りました!」

身を起こしたジャーファルは俺の言葉を遮るように叫ぶ。頬には涙が零れている。

「あなたなんか、あなたなんか……」

右手を振り上げ、頬を引っ叩く。さきほどより痛くない。それでも何度か頬を叩く。右の頬も、左の頬も。

「……どう、やって、嫌いになればいいのですか」

そう呟き、両手のひらで顔を覆う。すすり泣く声に胸が痛み、抱きしめて慰めてやりたくなる。泣かせたのは俺だというのに。

「ジャーファル」
「触らないで。あなたなんか、すぐに嫌いになるんですから」
「……今は、嫌いではないのだろう?」

隣に腰を下ろし、肩を抱き、優しく引き寄せる。わずかに身を捩ったがそれだけだ。おとなしく胸に頬を押しつけ、静かに泣いている。ゆっくりと、暖めるように肩や背を擦ってやりながら、口を開く。

「お前が、俺を嫌いになるまで、傍にいてもいいか」
「……すぐ嫌いになります」
「ああ、その僅かな間だけでも、俺はお前の隣にいたいんだ」

すぐ嫌いになるんですから、と同じ言葉を落とし、口を噤む。ちいさく鼻を啜る。ひとしきり泣いて落ち着いたのか、体を離して、背中を向けた。

「着替えを持ってきてある」

ベッドの横に置いていた着替えをジャーファルへ差し出すと、顔を背けたまま受け取り、ありがとうございます、と消え入りそうな声で答えた。律儀だ。

「そろそろあいつも起きる頃だろう」

立ち上がり、部屋を出て行く。洗面所へ行き、ひりひりと痛む頬を見てみれば、真っ赤に染まり腫れている。最初の一撃より痛くはなかったとはいえ、それなりの打撃ではあった。すこし冷やした方がいいのだろうか。罰として痛みを感じていた方がいいのか。そんなことを考えていると、扉が開く音がして、「ごめんなさい!」と叫ぶ声が聞こえた。

声の方を覗き込めば、着替えを終えたジャーファルの背中と、玄関口で土下座している後輩の後頭部が見えた。言葉を交わしているが、ここからではよく聞こえない。やがて、ため息を吐き出したジャーファルが、軽く後輩の頬を叩いた。これでいいですか、と言葉が聞こえ、ああ許されたのだな、と知る。随分と悔いているようだったから、許されてなによりだ。

「飯でも食いに行くか」

ジャーファルの後ろに立ち、声を掛ければ、後輩が目を見開いた。呆れたようにジャーファルが問いかける。

「……その頬で、ですか」
「仕方なかろう。良い見せ物になり、深く反省するかもしれんぞ」

笑いながら肩に腕を掛けると、すぐさま頬を叩かれた。

「触らないでください。あなたのことは許していません」

睨みつけてくる視線に笑みを返し、そうか、と手を退かす。後輩はぱちぱちと瞬きを繰り返し、俺とジャーファルの顔を交互に見ている。状況が飲み込めないのだろう。しばらく口を利きませんから、とジャーファルは自分の部屋に戻っていった。

「シン先輩は、結局、許してもらえたんですか……?」
「どうだろうなあ。ともかく、半殺しだけは免れたぞ」

笑いながらそう言えば、「先輩って凄い」と褒められた。多分、褒められたのだろう。そう思っておくことにする。


:この後、ぐいぐい押しまくる。

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