ある夜のひとさわぎ


/みんな片思い
/鈍感なジャーファルおねえさん
/ジャーファルおねえさんの初体験はシン様



ある夜のことだ。
ゆったりとした部屋着に着替え寛いでいたシンドリア国王シンドバッド王の部屋を訪れたのは、八人将のひとりであるシャルルカンであった。扉を叩き、了承を得てから室内に足を進めたシャルルカンは、普段のおちゃらけた表情はどこへやら、至って真面目な表情をしている。なるほど、内面を知らない若い女がはしゃぐのも無理はない、とシンドバッドはそう思った。さりげなく失礼だが、口に出さなければ相手に伝わりはしない。だから大丈夫。そもそもシンドバッドは表面的な部分ではなく、内面的な部分で、シャルルカンを気に入っているのだから、黙ってればモテるとかしゃべらなければさぞやモテるだろうとかは関係ないのだ。それに、そこら辺を詳しく突くと自分に返ってくる可能性もある。王サマに憧れてるんです、王サマみたいになりたい、と緑色の目をきらきらさせていた幼少のシャルルカンを思い出しながら、言葉を促した。

なんの用だ、と言葉を促されたシャルルカンは、やはり真面目な顔で王の前に膝をつき、深く頭を垂れ下げる。

「一体、どうした。随分と畏まって」
「結婚の許しを得にきました」
「結婚……、それは、めでたいな。だが、わざわざ許しを得にこなくとも良いぞ。報告だけで十分だ。それにしても、お前が結婚とはなあ。相手は誰なんだ。相手との合意はあるのだろう?それともなにか、俺と結婚したくて跪いているのか」

からかい混じり言ってやると、ようやく真面目な表情を崩した。付いていた膝を持ち上げ、立ち上がると王と向きなおる。

「……合意はいまからもらいに行くんで、先に王サマの許可をもらっとこうかなって。だってほら、ジャーファルさんのことだから、王サマのことを気に掛けるでしょう?だから、先に王サマがいいって言ってましたって言えば、素直に頷いてくれると思うんです!」

照れくさそうに頬を掻きながら呟かれた、シャルルカンの言葉にシンドバッドは目を細める。

「シャルルカン」
「はい」
「許すと思うか」
「…………」
「俺が、ジャーファルの、結婚を、許すと、思うか」

ゆっくりと一呼吸ずつ吐き出された言葉は、その場を空気を確実に重くした。

「でも、子供ができたら認めざるを得ないですよね……?」

黙り込んだシンドバッドの顔から表情が抜け落ち、ただ無言でシャルルカンを見つめる。真っ正面から受け止めるにはあまりに重い。思わず目を逸らしそうになる。けれど無言の圧力に負け、ここでたじろいではいけないと背筋を伸ばし、口を開いた。

「子供には父親が必要だと思うんです!そりゃジャーファルさんならひとりででも育てるって言い張るでしょうけど、俺は、そんなジャーファルさんを支えたい!」

勢いよく訴えるシャルルカンの言葉に眉一つ動かさずシンドバッドは静かに言った。

「シャルルカン、子供の作り方は知っているか?」
「……」
「ただ手を繋いだだけ、抱きしめただけ、一緒に寝ただけでは子供はできんのだぞ?」

先ほどまでの重圧は消え去り、優しく子供に言い聞かせるような口調で諭した。

「王サマ、俺のこといくつだと思ってるんですか……」
「二十一だろう。部下の年齢ぐらいきちんと把握している。お前があまりに突拍子もないことをいうものだから、つい」
「突拍子もないってことでもないでしょ。ジャーファルさん二十五だし、俺二十一で、子供作るのに何の支障もないです」
「でも、ヤってないのに子供はできないだろう」
「なんで決めつけるんですかッ!」
「したのか?」
「……したような、してないような……」
「どっちだ」
「酔っぱらってて覚えてないっていうか」
「酒の勢いで無理強いするなんて、お前がそんな子だとは知らなかった……!」
「ちょっ、なんで無理矢理って決めつけるんですか!王サマ、さっきからひどい!」
「お前が変なことばかり言うからだろう」
「だーかーらー、なんで俺とジャーファルさんがくっつくのが変なことなんですか!」
「そりゃあ、お前の相手がジャーファルでなければ納得するのだが、相手はあのジャーファルだぞ?好きって言葉は全て主から従者のそれに変換し、可愛い後輩からの信頼だと受け止め、あまつさえ可愛くない後輩のは話を反らすための詭弁だとしか理解しない奴だぞ?」
「……その可愛くない後輩って俺ですか」
「シャルルカンは可愛くないとお前がいない時もよく言ってる。俺に。俺にはなんでも話すから」

俺に、を強く発音するシンドバッドの表情は得意げだ。

「王サマじゃなけりゃ胸ぐら掴んでた!あと、どさくさ紛れに惚気ないでください」

惚気たつもりなんかちっともないんだがなあ、と笑う顔には自覚と優越感が滲み出ている。隠す気がまったくない。その表情を前に唇を噛みしめたシャルルカンは、無理矢理に言葉を飲み込み、深く呼吸した。ジャーファルが王であるシンドバッドに傾ける情はそれはもう半端ない。仕方ない。それは認めるしかない。

「それで、ジャーファルに子ができたようだから、俺に責任を取れと、そういう話だったな」
「違う!全然違う!なんで俺とジャーファルさんの話が、王サマとジャーファルさんの話になってるんですか!俺、びっくりです!」
「違ったか?でも、子供には父親が必要だろう。俺ほど適任な男はいない」
「……父親が必要って俺が言った台詞……。いくら王サマが男前で強くて包容力があって、ジャーファルさんに好かれていようとも、王サマ、王サマじゃん。ジャーファルさんが頷くとは思えないんですけどォ」
「男前で強くて包容力があって、ジャーファルに愛されているとしても駄目だというのか」
「……自分でも言うんだ……」

事実ではあるんだけど、そんなとこも好きなんだけど、でもだからって、と形容したがい感情を飲み込む。

「そもそも王サマの子供かどうかわからないじゃないですか。……したんですか、ジャーファルさんと」
「記憶は、無きにしもあらず」
「どっちなんですか」
「酔ってたからなあ」
「酒の勢いで押し倒すなんて王サマ、サイテー!」
「いやいや、あれのことだ。嫌だったら股間を蹴り上げてでも抵抗するから、していたなら合意の上だ」
「じゃあ、俺も合意の上でしちゃったんだと思います。朝起きても、どこも痛くなかったし」
「どうかなあ。覚えてないならしてないんじゃないか?」
「だったら王サマだってそうでしょ!」
「そこはほら、俺は前科があるからな」

宴の度に起こる、世継ぎできちゃったらどうしよう会議を思い出して、肩を落とす。マスルールの提案通り貞操帯をつけることも視野にいれた方がいいですとジャーファルさんに進言しようか、とぼんやり思った。

「……得意げに言うことじゃないですよね?」
「ともかく、俺とはしている筈だ。ジャーファル、俺のこと大好きだから」
「王サマとしてね!」
「…………本当だ、ジャーファルの言った通り、可愛くないな」

おかしいな、可愛かった筈なのに、可愛くない、可愛くない奴に体を許すかなあ、とわざとらしく聞こえるように小声で呟くシンドバッドの姿に思わず拳を握りしめた。

「もー!いいです!こうなったらジャーファルさんに聞きにいきましょう!王サマと俺、どっちと結婚したいか!」
「そうだな、それが手っ取り早い」

言うが早いか、立ち上がり、ふたり連れ立って部屋から出て行く。向かう先はもちろん政務官であるジャーファルの部屋だ。廊下を歩ながら語ることは、どちらが父親としてふさわしいか、どちらの方がジャーファルを好きであるか、だ。答えはでなかった。どちらの方を好きか、は議題には上がらなかった。シンドバッド王の思いやりであろう。

はたして、ふたりが政務官殿の部屋にたどり着き、扉を開けて見たものといえば、跪いている大きな体躯の男だった。男の手には白いほっそりとした手が乗っている。その手の持ち主は、もちろん部屋の主であるジャーファルだ。

「……俺と」
「おお!マスルール、話をしているところ悪いのだが、ジャーファルと大切な話があるんだ。席を外してくれないか」

続く言葉に危機感を覚え、シンドバッドは咄嗟に声を荒げた。なんとなく、その先を言わせてはいけない気がしたからだ。シャルルカンも唇を開きはしたものの、先にシンドバッドの声が響き、吐き出す筈だった言葉は霧散した。ちなみに「何やってんだ、この野郎」である。

「俺も、大事な話なんで」
「いいからさっさと出てけって。王サマの命令だぞ」
「先輩は」
「王サマとジャーファルさんと俺で大切な話をすんだよ」

しっしっ、と犬猫を追い払うような手付きをするも、マスルールは立ち上がっただけで、部屋を出て行く気配を見せない。ジャーファルの手だって、いまだ握り締めたままだ。だが、手を握り締められたままでは落ち着かなかったのか、すぐさま手を引き抜かれた。

一瞬だけ戸惑い混じりの視線をマスルールに投げたジャーファルは、シンドバッドとシャルルカンの方へ向き直り、口を開く。

「シンとシャルルカンが揃って大切な話とは、今度行う剣術大会のことですか?さすがに毎回優勝が決まっていると見物人もつまらないですし、そうですね、今回は審査員として参加するのはどうですか、シャルルカン。もしきみが出場を取り止めるのなら一波乱起こせますし、上手くいけば、賭けで大勝ちする可能性も……」

ジャーファルの目が活き活きと輝き出す。本当に仕事の好きな奴だ、とわずかな呆れを含ませて、シンドバッドは耳を傾ける。

日頃の鍛錬の成果を競うという名目の剣術大会は、国民や観光客を楽しませ、国を盛り上げるのに一役買っている。出店の売り上げは上がり、賭け金が行き交い、勝った者は酒を浴びるように飲み、負けた者もやけ酒を浴びるように飲み、高揚した気分は気を大きくし、土産物や名物が売れる。つまりは財政を支える一部だ。

剣馬鹿と言われるシャルルカンにとって、日頃の成果もとい俺強い俺かっこいい剣術最高なところを存分に見てもらえるとあって毎回気合いの入れようが違う。気合い入りまくり、やる気満々のシャルルカンに誰が勝てるというのだろう。前回も前々回もシャルルカンが優勝している。

「だそうだ、シャルルカン」
「そんな!俺、すっごい楽しみにしてるのに!大体、八人将である俺が出場するからこそ盛り上がるってもんでしょう!?」
「じゃあ、代わりにマスルールが出る?サボりがちとはいえ、優勝を争えるほどには強いでしょう?」
「いいっすよ」
「いや、俺も出るから!」
「八人将のふたりが戦うなら、それはそれで盛り上がりそうだねえ」
「確かに。俺はシャルルカンに賭けよう」
「では、私はマスルールに。……大儲けはできそうにないですね」
「王サマありがとう!ジャーファルさんひどい!……って俺ら、そんな話をしに来たんじゃない」

違うの、と首を傾けたジャーファルがまっすぐにシャルルカンを見つめて問う。

「なんの話?」

真っ黒い丸い目で見つめられると、落ち着かなくなって目が泳いだ。用意していた筈の言葉が見つからない。話を反らされ、更には展開されてしまったせいもある。必死に脳裡を探って浮かんだのは、昼間見かけたジャーファルの姿だった。それを目撃したから、ここにいる。

「ええっと、そのォ、体の調子はどうですか……?」
「体の調子?悪くないけど」
「でも、今日のお昼頃、顔色悪かったし、吐いてませんでしたか」
「ああ、見てたの。大したことじゃないよ。いまは大丈夫だし」
「いまは大丈夫でも、安静にしてなきゃ駄目だろう、ジャーファル」

シャルルカンとジャーファルの間に体を割り込ませたシンドバッドは優しく言葉を投げかけ、そっと白い手を握り締めた。今日はやたらと手を握られる日だなあ、と考えながら、ジャーファルは曖昧に返答する。

「はあ、お気遣いありがとうございます」
「なんたってお前ひとりの体ではないんだ」
「はあ。……はあ?!」

さすがのジャーファルもいきなりの言葉を理解するのは時間が掛かった。お前ひとりの体ではない、その言葉が、国政に関わる身として体を大事にしろという意味でないことはわかる。そういう意味だと思いたいのは山々だが、シンドバッドの労るような視線はジャーファルの平たい腹に注がれていた。

「安心しろ。俺にできることならばなんだってする。いままでよりもっとお前のことを大切にしよう。だから言ってくれるな?腹の子は、俺の子だと」
「な、に、言っ……」
「俺だって大切にできます!ジャーファルさんッ、俺ですよね?俺がお父さんですよね?!」
「ごめん、ちょっと黙れ」
「そうだぞ、シャルルカン。夫婦になろうという者同士の話し合いに第三者が首を突っ込むなど……」
「あんたもだ」

シンドバッドの手から、自分の手を引き抜き、痛む頭を押さえる。一歩後ろに下がり、ふたりから距離を取った。さきほどからふたりの言葉が頭の中をぐーるぐる回って、気が遠くなりそうだった。足下がふらつく。支えがなくては立っていられない。ふらつく体を支えたのはマスルールの手だった。安堵をもたらす大きな手の感触に、息をつく。ありがとう、と視線を上げれば、真剣な目とぶつかった。肩を支える手のひらが力強くジャーファルを抱き寄せる。分厚い胸板に顔が埋まった。森の匂いを感じ取りながら、そういえばさっきマスルールは何を言おうとしていたのだろう、と状況から逃避するように思った。逃避はできなかった。マスルールが口に出したのは、シンドバッドとシャルルカンの邪魔が入らなければとっくに伝えられていた言葉だ。

「……結婚してください」

何を言われたのか理解できず、首を傾げると、再度はっきりと言い切った。

「俺と、結婚してください」

はっきり、きっぱり、くっきりと言った。いまだ状況を理解できていない様子のジャーファルに呆れることなく、マスルールは再度口を開く。

「俺と結婚してください」
「…………なんで?」

ジャーファルにとっては至極当然の問いかけだった。いきなり結婚の申し込みをされる理由がまったくわからない。

「なんで、はないだろう、ジャーファル……」

いきなり結婚してくれだなんて何を言ってるんだとぽかんとしていたシンドバッドもさすがに口を挟んだ。疑問に思う気持はわからないではないが、結婚の申し込みへの返答が怪訝そうな顔で「なんで?」では、どんな屈強な心もバッキバキに折れまくる。理由なんてただひとつお前が好きだからだよ!とは言わなかった。そこまで心優しくはない。

「……いいんです、シンさん」
「よくないだろう!涙目になってるじゃないか!」
「泣いてないです」
「そんな訳はない。俺だったら泣く」
「……あの」
「なんだ、ジャーファル」
「私は、どうしたら」
「お前はどうして欲しいんだ」

言われたジャーファルは三人の顔を一通り眺め、静かに伝えた。

「そろそろ帰って欲しいのですが」

もう夜も更けた。明日の朝も早い。短時間の睡眠に慣れているとはいえ、休める時にたっぷりと休みたい。国事でもないのに時間を割かれるのも好ましくなかった。最大の理由は、さっさと寝て三人の訳のわからない台詞や行動を忘れ去りたい、だ。そんな理由で「そろそろ帰れ」という言葉が伝えられた訳だが、伝えられた三人は黙った。黙り込んだ。重い沈黙が部屋を満たす。

「問題は何ひとつ解決していないのに帰れというのか」

沈黙を打ち崩したのはシンドバッドだった。

「こちらには問題は何ひとつありません。問題があるとすれば、あなた方では?……先ほどから言動がおかしいです」
「あるだろう。とっても大事な問題が。もちろんお前にも関係がある問題だ」
「……ないですったら」
「わかった。身重なお前に負担を掛けるのは良くないしな。……誰の子かだけ教えてもらおうか」
「だから、何を勘違いしているのか知りませんが、私は妊娠などしていません!大体、してもないのにどうやって子供ができるっていうんです」
「酔っぱらって手を出したんだろう。俺は覚えてないが、お前なら覚えている筈だ」
「……確かに、酔っぱらって人に手を出そうとすることは多々ありますが、その度にシメて意識を落とさせていただいています」
「一国の王に対してひどい扱いじゃないか、ジャーファル君!」
「うるさい!面倒見る度に押し倒されそうになるこっちの身にもなれ!」
「じゃあ、俺も……?」
「ああ、この前のこと?確かに抱きついてきて引き剥がすのに苦労したけど、私がシメる前に勝手に寝ちゃったよ、きみ」

いつもより酒量が多かったのか、足元も覚束ないシャルルカンを支えて、部屋まで送り届けたのは数週間前の夜だった。べろんべろんに酔っぱらって「俺のこともっと甘やかしてくれなきゃ、やだ、やだァ……」と涙目で抱きついて大変だったことをジャーファルは思い出す。寝台の上に倒れ込んでもぎゅうぎゅうと力任せに抱き締めてきて随分と息苦しい思いをした。鼻を啜りながら人のお腹に顔を押しつけていたかと思えば、やがて幸せそうな寝息を立て始めた。……図体の割になんて子供っぽいことを、とうっかり愛らしく思ったが、口に出して伝えてはいない。これからも伝えることはないだろう。言えば調子に乗る。

シャルルカンは、捨てられた小動物みたいな顔をしてジャーファルを見つめ、

「でも、上衣が、俺の腕の中に」

と、縋る目線を寄越した。

「離してくれないから置いていっちゃった。後で取りに行きますね」
「思い出の品じゃなかった……!」
「あ、ジャーファル!」
「なんです。まだ何か?」
「ほら、数年前の種ってことはないか!」
「そんな訳ないでしょう。一体、何年前の話だと思ってるんです」
「……あの、王サマ?」
「なんだ、シャルルカン。俺はジャーファルを説得する材料を探すのに忙しい」
「数年前の種って何」
「言葉のままだが?」
「王サマと、ジャーファルさんが、そういう関係だってことですか……?」
「そうだ」
「違います!」
「違うんだ、よかった!」
「なんでジャーファルの言葉を信じるんだ。俺の言葉を信じろ。合意の上でしたよな、ジャーファル?!」
「…………お忘れのようなので言いますね。酒に酔って無理矢理組み敷いてきたんでしょうがッ!」
「王サマ、サッイテー!」
「……最低っすね」
「くっ、でも、許してもらった!」
「許すに決まってんでしょうが!」
「いいや、無理強いをされて許すような女ではあるまい。だから、許したのであればやはり心の底で望む気持があったのだ」
「……あんただったら許しますよ。例え、許せないような出来事でも」
「つまりは俺に惚れているのだろう?」
「異性としてではありません。尊敬するあなたにこのような言葉を投げつけるのは失礼ですが、男としては最低です」
「優しいのに?」
「誰にでも優しいのならば、誰にも優しくないのと同じ」
「では、お前にだけ優しくしてやろう」
「結構です。私に心を割くのならば国民に割いてください。……大体、出来もしないことを口に出すのは一国の王として控えるべきでは?」
「ジャーファルとの間に距離を感じる……。昔はもっと俺のことを大好きだったろう?」
「気のせいでは?私は、今も昔もあなたに抱く気持は変わりません」
「つまりは昔と変わらず俺のことが大好きだ、ということか。ならば、結婚しよう」
「お断りします。妊娠は勘違いだとわかったのならば帰ってください。そして寝ろ」

疲れた様子で追い払う仕草を見せると、深く息を吐き出した。唇を尖らせるシンドバッドも、シンドバッドとジャーファルの顔を交互に見比べてばかりのシャルルカンも、それからマスルールも部屋から出て行く様子は見せない。誰かひとりが部屋から帰る動作を見せたなら、後に続いただろうが、生憎三人とも動かなかった。

「……ジャーファルさん」

マスルールが一歩足を進める。

「なあに?」

眉間の皺が一瞬で解れ、どこかほっとした表情が浮かんだ。何よりわかりやすいのは声音だ。マスルールに対峙する時、ジャーファルの声は甘ったるくなる。子供に対する声音と同じになった。

「きみも勘違いしたの?」
「まあ」
「それで、結婚しようなんて言い出したの?」
「……はい」

予想通りだった答えに軽く体を揺らして笑う。

「自分の子じゃないってわかってるのに?」

こくり、と頷くマスルールの様子に目を細める。

「ありがとう。私を心配してくれたんだね。勘違いだったから、気にしなくていいよ。もう夜も遅いから、眠たいでしょう?部屋に戻って休みなさい」

マスルールは無言のまま、にこにこと嬉しそうに笑うジャーファルを見つめている。

「…………俺の」
「うん」
「俺の子供を産んでください」
「……うん?」

首を傾げ、言われた言葉を脳裡で繰り返す。

「俺との子供を産んでください」
「妊娠は勘違いなんだよ?」
「だから、産んでください」
「いや、だって、きみと、子供ができるようなこと、してない、し」
「だから、してください」
「…………」

理解した瞬間、頬に朱が走った。慌ててマスルールから距離を取ろうと下がるが、すぐに腕を掴まれて引き寄せられた。腕の中に閉じ込められる。二回目だ。

「どさくさ紛れに何言ってんだ、テメェ!」
「どさくさ紛れじゃないっす。丁度良いかと思って」
「丁度良くねェよッ!どこが丁度良いんだ!いいから、ジャーファルさん離せ!」
「……」
「先輩の言葉は無視か、このヤロー。王サマ、王サマから何か言ってやって!」
「そうだぞ、マスルール。離してやれ、困っている」
「はい」
「……って口だけかよッ!」

返事は良いが、身動きひとつしない。腕の中のジャーファルは固まっている。

「お前、ちょっとくらい可愛がられてるからって調子乗るな!」
「先輩は可愛がられてませんもんね」
「そ、んなことねェよ。ちょっとは可愛がられてる……」
「シャルルカン、もういい、もう何も言うな……!」
「ちょっ、なんでそこで優しくなるんですか!」
「先輩……」
「なんでお前まで労りの目で見るんだよッ!元はといえばお前のせいだろ!ジャーファルさん!俺のことちょっとは可愛いですよね?!」

涙目で問いかけられて、そこでようやく我に返ったジャーファルはといえば、二三の瞬きの後、

「昔は可愛かった」

と、にべも無く言い放った。

「今は!」
「今は可愛くない」
「空気読んで!俺、涙目!」
「……可愛くない」

答えが変わらないことに絶望を覚え、その場に膝を抱えて座り込む。部屋から出て行く気配はまったくない。マスルールとジャーファルを気にしながらも、シンドバッドが優しくシャルルカンの肩を叩き、「俺はそこそこ可愛いと思ってるぞ」と慰めの言葉を掛けていた。

「……あのね、マスルール」

出てくる言葉は否定の言葉だろう。それを十分に理解しているのか、続きを口に出す前に遮った。

「よく考えてください。俺との子供です。俺の子供」
「きみの子供……」

強く言われて、頭の中で考える。もしマスルールとの子供ができたら、おそらくマスルールに似ているだろう。ちっちゃくて赤毛の子供。無口だけどべったりとくっついてきて甘えてくるマスルール似の子供。ちっちゃい手でジャーファルの手を握り締め、まん丸い目でじっと見上げ、抱き上げれば甘えるように頭を擦り付けてくる様がジャーファルの脳裡に浮かんだ。

「いや、いくらなんでもそんな理由で子供は作らないよ」
「ジャーファル……」
「なんですか、シン」
「顔が」
「顔がなんです」
「にやけてる」
「…………」

その言葉に慌てて、奥歯を噛み締め、表情を引き締めた。

「本当にそんな理由で子供は作りませんからね!」
「そんな理由で子供を作ろうとしたら王命令で止めよう」
「そうしてください!」

訴える目が思いのほか真剣で、シンドバッドは目を細めた。大丈夫かこいつ、不安が過る。

「いいんですか?」
「……や、やめて!惑わせないで!」
「マスルール、ジャーファルを離しなさい。それから、ジャーファルはこちらに来て、マスルールを見ないように」
「…………」
「マスルール」

マスルールの腕の力が緩むと同時にシンドバッドの背後に身を隠し、ジャーファルは深く息を吐く。シンドバッドも、ふたりきりの時に言い出されてたら、そのまま流されていたかもしれない、とため息を吐き出す。思っていた以上に可愛いと甘やかしていることも、甘やかされていることに意外とつけ込むことも頭が痛い。なるべくふたりきりにさせるのは阻止しようと決意を固めた。

「……ねェ、ジャーファルさん」

膝を抱えたままシャルルカンが問いかける。

「なに?」

先ほどから起こる騒動のせいか、警戒が滲んでいる。

「昔の俺は可愛かったんですよね?」
「そう、だね」
「もう一度、昔の俺に会いたいと、甘やかしたいと思いませんか」
「思わない」
「だから、俺と子供を作れば!」
「人の話は聞け!」
「うーん……、昔の俺」
「見たいとは思いませんからね、シン。大体、あんたたちの遺伝子、どんだけ強いつもりだ。子供作ったからってあなた方そっくりとは限らないでしょうに」
「俺はお前に似てても構わないが。きっと可愛い」
「そうですか……ってそういうことは問題ではありません!あなた方との間に子供を設けるつもりは一切ありませんから!」
「自分の子供は他人の子供より可愛いらしいぞお。しかも、好いた男との子供だ。可愛いだろうなあ」
「……肝心の好いた男がおりませんので」
「作ればよかろう。どういう男が好みなんだ」


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