そのいち(学パロ)


「女なら誰だっていいんでしょう?」

私ではなく他の女を当たればいい、あなたならば選び放題、声をかければ誰だってついて来る、ジャーファルはそう言った。夕暮れに染まる図書室でのことだった。意味もなく本を探す動作を繰り返すジャーファルの後ろをひよこのようについてきていたシンドバッドは、その言葉を聞いて目を見開いた。ぱちぱちと何度か瞬きをし、それから大きな声で笑った。

「っぷ、あはははっ!ば、馬鹿だな、お前は!……っくく」

高らかな心地良い笑い声が部屋中に響き、近くにいた生徒が驚いてこちらを覗き込んだ。

「し、静かにしてください」
「ああ、そうだな悪い」

驚いた生徒に「悪い」と謝罪するシンドバッドの顔にはまだ笑みが残っていた。平穏はすぐに戻ってきた。荒れているのはジャーファルの心ばかり。そんな心境など知らぬ存ぜぬと、シンドバッドが口を開く。

「ジャーファル」
「なんですか」
「女なら誰でもいいのなら、言い寄ってくる女の中から選べばいい。今までそうしてきたように。お前より可愛く、美しく、それに豊かな胸をした、男ならば誰でも見惚れる女を。お前の言う通り選び放題だ」
「……」

まったく大した自信だ、とジャーファルは思う。呆れは感じたが、その言葉は真実だったから何も言わずにシンドバッドの顔を見つめる。幼い頃からどれほど女にモテてきたことか。いつか痴情の縺れで刺されてしまわないか、ひどい修羅場を起こしやしないか、心配は尽きない。それもこれもシンドバッドが魅力溢れる男だからいけない。そんなことをぼんやり考えていると、シンドバッドが真剣な顔をして問いかけてきた。

「俺の言葉に傷つくか?」
「……いいえ、別に」

首を振るうと、今度は眉尻を下げて切なげな顔をした。目の前で移り変わる表情を見てると、もっと色々な、違う顔も見たくなる。例えば他の誰にも見せたことのない顔、そんな表情を見てみたくもあった。そんなことは顔には出さず、ジャーファルはただシンドバッドを見つめる。

「そんなことを言わないでくれ。傷ついたと言ってくれなければ脈がない」
「だって、本当に傷ついてなんかいやしないんです」

シンドバッドが伸ばした両手は書架を掴み、ジャーファルを狭い空間に閉じこめた。

「俺はお前がいい。そう思ったから、そう言っている」
「気の迷いでは?」
「つれない」
「そうとしか思えない」
「よく考えてくれ、ジャーファル。誰でもいいのならば、わざわざお前を選ばんよ。幼なじみの女に手を出して、面倒なことになったら気まずいだろう?」
「あなたのことです。たまには面倒ごとが欲しかったんでしょう?」
「俺をどんな人間だと思っているんだ、お前は」

呆れたように吐き出されたため息が、ジャーファルの前髪を揺らす。シンドバッドをどんな人間だと思っているのか、問いかけられたジャーファルは答えようか迷って結局口を噤んだままでいた。ただの軽口であり、本当に知りたい訳でもないだろうし、答える必要はどこにもない。分かっているのに考えたのは、考えることが欲しかったからだ。

シンドバッドがジャーファルに対してあからさまな好意を示し始めたのは先月からだ。それまでは友人としての親しみしか与えなかった男がいきなり「好きだ」だの「付き合ってくれ」だの言い出すのを信じられるほどジャーファルは素直な人間ではない。ましてや恋人が途切れたことはなく、誰もが知る色男で、流した浮き名は数知れず、そんな男だ。

「そんなにも俺が信用出来ないか」
「恋愛ごと以外は、信用しています」
「それは結局のところ信用していないということだろう」
「じゃあ、それでいいです」
「良くねえよ」

突き出された下唇は子供っぽくて思わず笑ってしまいそうになる。ここで笑い出してやれば、釣られて笑い出し、閉じ込めた腕を外してくれると分かっているのに、ジャーファルは息苦しくて上手に笑うことが出来ない。だから、困った顔を作り、シンドバッドを見つめた。

「……困った顔をしている」
「困っていますから」
「俺と恋人になってくれないのならば、ずっと困ることになるぞ」
「あなたと恋人になったところで困り続けるのは目に見えているじゃないですか」
「……ん、まあ、それはそうかもしれんが」
「そこは否定しろよ」
「いや、デメリットをきちんと説明しなければフェアじゃない。俺はお前と恋人になったら休日の度にデートに行きたいと言い出すし、俺好みの服を何着も買ってやろうとするし、隙さえあればくっつきたがるし、キスもしたがるし、体の繋がりも求める。他の男と仲良く話をしようものなら不機嫌になって、望む反応をくれるまで拗ねる」
「あなた、そういうタイプじゃないでしょうに」
「お前に関してはそうなるんだ」
「……それがあなたの手段?」

シンドバッドに、お前は特別だと匂わされたら、どんな人間だって浮き足立って心を弾ませてしまう。けれど、苦笑で誤摩化して言葉を返す。

「どうしてそう捻くれて考える」
「唐突でしたから」
「関係を壊したくなかったから、隠していたんだ」
「どうして壊そうという気になったんですか」
「ま、まだ壊れてはないだろう」
「気持を受け入れるにしろ受け入れないにしろ壊れてしまうじゃないですか。……幼なじみではなく、別の関係になってしまいます」

言葉に出すと、それは嫌だな、とジャーファルは思った。幼なじみという関係は、ジャーファルにとっては安寧の地だ。望めるならば家族となりたかったし、家族の地位を与えてくれるのならば、シンドバッドを「お兄ちゃん」だとか「兄さん」と呼ぶこともやぶさかではない。

「……嫌か?」
「嫌です」
「今以上、俺に近づけるのに?」

その言葉に驚いてシンドバッドの顔を見ても、あるのは真剣な色ばかり。ぽかんと顔を見つめるジャーファルの様子に首を傾げる始末だ。

「あんた、どれだけ……」

言いかけてすぐに口を噤む。シンドバッドがそう言えるに値する人間であることを、ジャーファルは知っている。実際にそうだとしても、言葉に出す度胸はなかなかだとは思うが。ため息をひとつ吐き出し、静かに首を振るう。

「ともかく私はあなたとの関係を壊したくはないし、今が心地良いのです」
「俺は嫌だ」
「我が儘を言わないでください」
「子供の駄々みたいに言うなよ。……惚れた男でもいるのか」
「いやしませんよ、そんな男」
「……なら、いいが」

妙に歯切れの悪いシンドバッドの眉根には皺が寄っている。何を疑うことがあろうか、首を傾げるジャーファルの脳裏に先月の出来事が思い浮かんだ。

「見た、んですか?」
「何をだ」
「見たんでしょう。だから、付き合おうなんて言い出したんですか?」
「…………」

あれは先月のことだった。以前から妙に親切だと思っていたクラスメイトが「付き合っている人はいるのか」と聞いてきた。色恋沙汰に疎いジャーファルが問いの真意に気付いたのは、彼の態度があまりにもあからさまだったからだ。なるほど親切だったのは下心があったからなのか、と納得しながら「興味がないので」とにべなく返した。

その出来事は放課後の自転車置き場でのことだったから、誰かに見られていても不思議はなかった。切っ掛けが分かれば、おのずと言動の理由も分かろうというものだ。

「全ての女があなたを見てなきゃ嫌なんですか」
「何の話だ」
「ですから、ただの幼なじみであっても他の男のものになるのは嫌だから付き合おうなんて言い出したんでしょうが」
「あのなあ、そんな理由で言う訳ないだろうが」
「じゃあどうして」
「だから、ほら、お前があの男と、上手くいったら」
「やっぱり他の男のものになるのが嫌なんじゃないですか」
「合っている、が、正しくはない」
「ならば正しい答えをください」

真っすぐに見つめると、シンドバッドの挙動が不審なものになってきた。口の中でごちゃごちゃと呟いているが、ちいさくて聞き取れない。表情は困りきっていて、口を開いては、すぐに閉じる。

「だから、や……」

やっぱり言葉はごにゃごにゃと口の中に消えて、ジャーファルの耳には届かない。シンドバッドの頬がじわじわと赤くなって、額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいる。

「こういうのは、俺は、初めてなんだ」
「はあ」
「自分でもどうしたらいいのか、わからん。その、やきもち、を焼くのは」

ようやくのことその言葉を伝えたシンドバッドの顔はいまや真っ赤だ。その言葉を聞いた瞬間、ジャーファルの頬も一瞬で赤くなった。

「……みっともないだろう」
「そんな、こと」
「笑う、だろう」
「笑ったりなんて」
「言うんじゃなかった」

本気でそう思っているのだろうシンドバッドの眉間の皺は険しく深い。聞くべきではなかった、とジャーファルも思った。心臓がどきどきとうるさくて、上手く呼吸が出来ない。頬は熱いし、まともにシンドバッドの顔を見ることも難しい。それはシンドバッドも同じなのだろう。俯いたままジャーファルを見ようとしない。いつも自信に満ちあふれたシンドバッドにはめずらしいことだ。知っているから、ずるいと強く思う。ずるい、ずるい、そんなところを見せられたら気持が揺らいでしまいそうだ。

シンドバッドがおそるおそる顔を上げた瞬間、軽く目を見開いたのは、目の前にあったのがからかうような笑みではなく、呆れたような笑みでもなく、ただ頬を赤くして戸惑っているジャーファルの姿だったからだ。その姿を目にした途端、気弱な表情は鳴りを潜め、シンドバッドの顔に喜びが浮かび上がった。

「……頬が赤い」

書架を掴んでいた右手がジャーファルの赤く染まった頬を優しく撫でる。

「あなたが、恥ずかしいことを言うから、それで」
「一応、脈はあるようだ」
「自分に都合良く考えるのは悪い癖です」
「では、何故俺の顔を見ない。意識しているからだろう?」
「ですから……」

どんな言葉も通じることなく霧散してしまいそうで、声はちいさく、か細くなった。

「……ジャーファル、俺は、お前がいい」

近づいてきた顔を避けるための逃げ場はない。手で突っぱね、押しのける方法はあったが、どうしてか体が動かなかった。唇のすぐ横に、やわらかく唇を押しつけられた。離れていく顔を見ることはできない。息が苦しくてたまらなかった。すぐに逃げ出したいのに逃げ道はないし、体は固まって動くこともできない。

「ここはお預けな」

指が唇をなぞって、すぐに離れた。触れた部分が熱を持って熱い。声は優しく、見つめる目もおそらく優しい。シンドバッドがそっと身を離すとようやく呼吸ができた。またあとで、そう囁いてから遠ざかっていく背中を見つめると、また呼吸が止まる。美しい髪がしっぽのように揺れていた。

ジャーファルは混乱している。お前がいい、そう言ったシンドバッドの言葉が頭の中をぐるぐると回って、そればかりに捕らわれた。実際のところ、女ならば誰だっていいに違いないと思ったのは、そう思うことで自分の気持に歯止めをかけるためだった。ジャーファルの初恋はシンドバッドで、けれどシンドバッドが女と付き合うようになってからその気持を捨てた。到底かなわない愛らしさや美しさを持つ彼女たちを羨んだことはあったが、それらがなくとも傍にいられたし、力になれた。だから、女として一時傍にいるよりも、友人としてずっと傍にいられることを望んだのだった。そのために恋心はいらなかったし、すぐに捨てることができた。それなのに今更、そう思う気持はあるのに、どこかが浮き足立っているのが自覚できた。苛立たしいし、情けなくもあった。
シンドバッドがこれからも耳元で優しく恋心を囁けば、いつかは負けてしまう。そうして、求められるままに心も体も捧げて、いつか別れを告げられるのだ。そんなことには耐えられない。どうか気の迷いでありますように、ジャーファルにはそう願うことしか出来なかった


20140824

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