かわいそうなシャルルカン


/無理矢理
/堕胎
/可哀想なシャルルカン


その夜、俺はもちろんジャーファルさんも酔っていた。立て込んでいた仕事が一段落ついて気が緩んでいたのだろう。酒で赤らんだ頬で、

「私にだって飲みたい日はあります」

と拗ねたように言うのがおかしくて、次から次に紡がれる愚痴に苦笑を零したりもした。最終的にこちらに飛び火して慌てて酒を注ぎ足したのを覚えている。おかげで俺の酔いはいつもより浅かった。

「……みっともないところを見せてしまいましたね」

宴会の終わり間際、眉尻を下げて呟くものだから、そんなことないですよォ、と笑って答えた。その言葉に嘘偽りはなく、本当に楽しかったし、なにより嬉しかった。俺の返事に微笑んだ後、寝ます、と立ち上がったはいいが、酒が過ぎたのか足下が覚束ない。慌てて体を支えて、部屋まで付き添いますから、と言えばちいさく頷いた。頷く仕草が子供のようで笑みが零れる。

部屋に続く廊下を他愛のない会話をしながら歩いた。ジャーファルさんは、俺に体を預け切っていて、時々、相槌を打つ。そのことが嬉しくて饒舌になっていった。

「部屋につきましたよ」

扉を開け、寝室を目指す。寝室にまで入り込むつもりはなかったが、歩くうちに眠くなってきたのか、ジャーファルさんの目はいまにも閉じてしまいそうだ。短い距離ですらひとりで歩けるかどうか不安になる。

後少しですから、と視線を向けた瞬間、足が縺れて、ふたりして床に倒れ込んだ。慌てて謝れば、大丈夫です大丈夫、と繰り返し、ちいさく息を吐き出す。とろん、とした目は焦点が合っておらず、妙に色っぽかった。心臓が高鳴り、落ち着かなくなる。

「ジャーファル、さん」

おそるおそる名前を呼ぶと、はい、と答え、床に身を預けたまま俺を見上げた。いまなら触れても許される気がした。半開きの唇を指でなぞる。ゆっくりと顔を近づけ唇を合わせても、何も言わず、視線を反らすこともなかった。それを了承と受け取るのは都合が良いと分かっていたが、酒が入っていることもあり、欲を抑えることが出来なかった。短く息を吐き出し、体を掻き抱く。

頭の中で制止の言葉が浮かんでは消える。腰帯を解き、釦を外す。胸元へ頬を擦り寄せ、肌を弄る。酒のせいか、薄く色づいた肌はあたたかく、俺を受け入れる。

「……ん、っ」

服を剥ぎ取り、肌に舌を這わせると、声が零れた。跡を残すのは躊躇われたから、軽く音を立てて口付けるに留める。甘く噛むと、体が跳ねた。覆い被さり、顔を覗き込めば、頬は上気し、目は潤んでいる。
足の間に指を差し入れ、裂目を優しく撫でる。

「あ、っ、ふぁ、……んん!」

ぎゅうと目を閉じ、唇を噛み締め、視線から逃げるように顔を背けた。声が乱れるのが恥ずかしいのだろうと思えば、意地の悪い考えが浮かびもする。指を増やし、更に弄べば、逃げ出そうと身を捩った。その癖、引き抜けば切なく見上げるものだからたまらない。

「……いいですか」

性器を押し当て、問いかける。深呼吸することで、答えを待つ余裕を作り出し、じっと顔を見つめる。頷くでも、首を振るうでもなく見つめ返し、おそるおそる肩に手を置いた。堪えるには限界だった。腰を進める。熱い粘膜に触れ、ぐずぐずになった肉に先端が埋まる。白い首が仰け反り、目の前に晒し出された。根元まで埋め込み、動きを止める。手は肩に置かれたままだ。汗が沁みて、引っ掻かれた肌がわずかに痛んだ。

肉の壁が性器を締めつけ、ねだるように収縮を繰り返す。ゆっくりと引き抜き、同じ速度で元に戻す。それを幾度か繰り返せば、首に縋りつき、泣き出した。無意識か、足が絡む。先ほどより激しい動きで挿入を繰り返せば、嬌声が混じり始める。背中に爪が喰い込んで、眉を顰めさせた。

限界が近かった。更なる快感を得るために腰を打ちつけ、ぎりぎりで引き抜く。腹の上に精を吐き出すのと、ジャーファルさんの体がちいさく震えた。首に縋りついてた腕の力が抜け、床に背を預ける。ぼんやりと宙を見上げる目はどこを見ているのかわからない。投げ出された手のひらに指を絡ませ、力を込めると、ぱちりぱちりと瞬きをした後、はにかんだ。絡んだ指を握り返され、嬉しくて涙が出そうになる。胸に顔を押しつけるようにして体を横たえた。幸福な倦怠感が頭から足の先まで満たす。

しばらくそうしていた後、体液や汗を拭き取り、着替えさせた。横抱きで寝室まで連れていき、寝台に下ろす。

「おやすみなさい」

そう言えば、ちいさく頷いて、そのまま眠ってしまう。額に口付けた後、名残惜しい気持を押し殺し、部屋を出た。自分の部屋に戻るまでの廊下はふわふわとして、現実のものとは思われなかった。部屋に戻り、眠りにつけば、とても幸せな夢を見た。



次の日、目覚めて、寝台に寝転んだまま昨晩のことを思い出した。ジャーファルさんは一度も抵抗しなかった。身を任せ、首に縋りつきさえした。いつか触れたい、見たいと思っていた体を、成り行きとはいえ手に入れられた。体だけの話ではない。もしかしたら、ジャーファルさんも俺を好きなのかもしれない。そう思えば、体中に幸せが満ちて、じっとしていられなくなる。仕事が始まる前に話をしたい、と寝台から跳ね起きた。

話はなんだっていい。顔を見るだけでもかまわない。そんな浮かれた気持で会いに行ったが、出迎えたのは困りきった顔だった。俺の顔を見たジャーファルさんは、気まずそうに顔を伏せる。俺の腕を引っ張り、片隅に移動すると、すぐさま頭を下げた。

「……ごめんなさい。私ったら、あんな」
「いえいえ、気にしないでください」
「でも」
「どっちかっていえば、謝るのは俺かなァ、なんて」

酒の勢いで襲った、と言われたら否定出来ない。抵抗がなかったといえ、多少意識がしっかりしていた俺が自制するべきだった。あんな熱っぽい目で見られたら難しいだろうけど。

「きみは、悪くない」

強張った表情で真剣にいうものだから、しばし黙り込む。言葉を探す。どんな言葉を掛ければいいのだろう。おそらく、ジャーファルさんは酒の勢いでしてしまったことを後悔している。俺は昨晩の出来事を切欠として見ているが、ジャーファルさんは過失と見ている。それでも不思議と落ち込まないのは、この人は俺を嫌いではない、もしかしたら好きなのかもしれない、と思えたからだ。例え、酒が入っていたとしても、好きでなければ体を許す筈がない。

「ジャーファルさん、俺」
「……なかったことにしてもらえませんか」
「は……?」
「お願い、します」

切羽詰まった声に、咽奥が締めつけられる。どんな言葉が最適なのか分からない。繋いだ手を突き放される感覚に頭の中がぐらぐらと揺れ始めた。ようやくのこと絞り出したのは「……ジャーファルさんがそういうなら」という聞き分けの良い言葉で、その言葉に安堵したように笑うジャーファルさんにまた傷付いた。

結局のところ、酒の勢いでしかなかった。思考能力が鈍っていたとはいえ、望まぬことを許すとは思えなかったけれど、思い違いだったのだろう。ならば、あの日、傍にいたのが俺で良かったと思わねばならない。あんな機会、もう二度とない。一度、この手で触れることが出来ただけ良かった、と思い込もうとして思い込めない。縋る腕や、胸元に頬を寄せて泣いたことを覚えている。触れるたび、白い肌が薄桃色に染まっていく様子も記憶にある。貫かれて背を反らせ、泣いて、それでも拒絶の言葉はなかった。手を、握り返してもくれた。それら全て、なかったことにしてください、とジャーファルさんは言った。

了承した手前、撤回も出来ず、悶々とした気持を抱えたまま幾日か過ぎた。

どれだけ思い煩っても、事態は好転しなかった。なかったことにしてしまったジャーファルさんは、以前と変わらない態度で、そのことが余計に心を掻き乱した。努めて平静を保とうとしても、俺はそんなに器用じゃない。

一度突き放されたことが枷となって、距離を縮める努力すら出来ない。忘れようとしても、あの夜に掻き抱いた白い体が脳裡から消えない。

そんなある夜のことだった。他人と飲む気になれず、ひとりで飲めるだけ飲んで、半ばやけくそのようになってジャーファルさんの部屋に向かった。泣いて縋るつもりだった。忘れられない。あんたのことが好きだ。そう訴えて、すっきりしたかった。そうすることで拒絶されてもよかった。いつまでも鬱々しているよりずっとマシだ。

部屋の扉を叩くと、寝間着姿のジャーファルさんが迎えてくれた。俺の姿を見て、驚いたように目を見開く。

「どうしたの。こんな時間に」

もう夜も遅かった。こんな夜更けに女の部屋を訪れるのは非常識だ、と気付いたが、来てしまったものは仕方ない。

「部屋に、入れてくれますか」

すぐに帰りますから、と弱々しく呟くと、困惑しながらも招き入れてくれた。顔を見るとたまらない気持になって、目の前が滲んだ。ぼんやりと前を歩くジャーファルさんの首を見る。白く細い首にぞくりとする。あの首から続く背中を思った。

「それで用件は」

落ち着きが悪いのか、何度も寝間着の裾を直す。身に纏うのは布一枚で、そんな姿で男と向き合うのは不安なのだろう。それでも、部屋に招き入れてくれる程には信頼を寄せている。そのことに俺は思い至らなかった。自分の気持を伝えようと、それだけで精一杯だった。

「……俺、ああ言ったけど、本当は、嫌で」

困ったように眉が寄る。顔を見ているのが怖くなって、視線を床へ落とした。

「なかったことになんて、したくない」

今更こんなこと言って困らせるのは分かっています、けど、俺は器用じゃないからなかったことにしようって言われても出来ません、捲し立てるように言えば、シャルルカン、と名前を呼ばれた。顔を上げれば、先ほどと同じように困った顔をするジャーファルさんがいて、胸が軋む。困らせたい訳ではない。

「すみません、私が」
「……謝らないでください」

謝罪の言葉が欲しいのではない。後悔の言葉は聞きたくない。欲しいのはあの夜のことを認める言葉だけだ。あの夜、体を重ねたことは変えられない事実で、俺の気のせいなんかじゃなく、気持が通じ合ったでしょう、そう訴えたくなる。そうしなかったのは、違う、と言われるのが怖かったからだ。拒絶されるのは、やっぱり嫌だった。

「都合の良い話だとは分かっています。けれど、自制心の働かない状況で体を重ねたことを、私は、悔いていて、いままでのように付き合っていくためには……」
「……同僚として、いままでのように?」

一瞬、息を詰めた後、戸惑いながらちいさく頷いた。じっと俺の顔を見つめ、答えを待つジャーファルさんを見ていると、無意識に唇が歪む。ああこの人は本当に俺のことなんて好きじゃないんだ。分かっていた筈なのに、まだどこかで期待していた。ただの同僚として付き合っていきたいと言う。一度は肌を重ね合わせて、一度も拒絶しなかった癖に。縋るように頬を寄せた癖に。ねだるように締めつけた癖に。ひどく投げやりな気持になって、自分の滑稽さに笑いだしたくなる。

「……私」
「分かりました。あの夜のことはなかったことにします」

それで満足なんでしょう、吐き捨てるように言えば、肩を落として、すみません、と謝る。まだ何か言い足りないのか、逡巡した後、口を開く。けれど、何ひとつ聞きたくなかった。手首を掴み、力任せに床へ引き倒す。受け身を取れず体を打ちつけたのか、眉が顰められた。起きあがるのを阻止するように、覆い被さり、両手首を掴み、床に押しつける。驚愕で見開かれた瞳に自分の姿を見つけ、気持が高揚した。いま、この人は俺を見ている。

「……離して、ください」

深呼吸ひとつ、冷静に言い放つが、その顔は青ざめている。

「あの夜、体を重ねたのを後悔しているというなら、言う通りなかったことにします」
「後悔してる。けれど、それは」
「嫌だったのなら、拒絶するべきでした」

そうすれば馬鹿みたいに浮かれることはなかったのに。もしかしたら、なんて期待せずにすんだのに。

「……嫌だったのなら、そうすべきだった」

でも、実際はしなかった。肌を撫でられ、目を潤ませた。突き入れられ、嬌声を上げ、身をくねらせた。男を受け入れて逃がすまいと、背にしがみつき引っ掻き傷を残した。

「ああ、ジャーファルさんは、酒が入ると男が欲しくなるんですね」

なら酒を持ってくればよかった、そう言えば、何を言われたのか理解出来ず目を丸くし、次に怒りで赤くなった。

「きみは、私をそんな人間だと……!」
「違うんですか?」

俺の中にあるのは、この人を傷つけたいという気持だけだった。傷つけて、心も体も引き裂いて、もう二度となかったことにしようなんて言えなくなればいい。

「……離して」

視線だけで人を殺せるんじゃないかと思えるほどの強さで睨まれても、不思議と怖くはない。手首を掴む力が強くなる。

「強いんですから、自力で逃げればいいじゃないですか」

ぽつりと呟き、無理矢理に唇を合わせる。やわらかさを堪能することなく舌を割り込ませた。舌を絡ませ、吸い上げる。痛みが走った。口の中に血の味が広がる。明確な拒絶の意志に、目を細め、顔を覗き込む。眦に薄らと涙が滲んでいる。泣き出すのを堪えるように歯を食いしばり、まっすぐに睨みつける。拒絶の意志を伝えられれば伝えられる分だけ、傷つけたいという欲望が膨れ上がった。

白い首に齧りつけば、もがき、腕の中から逃げ出そうとした。首筋の目立つところを吸い上げ、跡を残す。手首を掴んでいた右手を離し、寝間着の裾を捲り上げる。陽に焼けることのない体はどこも白い。足の間に腰を押し進め、勃ち上がった性器を宛てがう。

「…………やめて」

絞り出された声に胸が軋む。真剣な声音が言葉を繋げた。

「今なら」
「……なかったことに出来る?」

問いかければ、ちいさく頷いた。嫌悪と怯えと不安が入り交じった顔で見上げ、縋るような声で「だから、離してください」と訴える。この人は何も分かっていない。

「――ッ、あ、あああ……っ!」

慣らしていないそこは狭くてきつい。それでも無理矢理根元まで押し込めば、痛みと衝撃で背を反らす。喰い千切るかと思われるほどの締めつけに顔が歪む。呼吸が出来ないのか、苦しげに口を開閉し、必死に空気を取り込もうとしている。涙が頬を濡らし、視線が宙をうつろう。唇を重ね、何度か空気を送り込めば、意識が明確になってきたのか、ようやく目の焦点が合う。涙が次から次に溢れ、泣き出し始めた。嗚咽混じりに、どうして、と問う。

「……ねぇ、なかったことに出来ますよね?」

ジャーファルさんは何も答えない。なかったことになんか出来る筈がない。無理矢理犯されてなにごともなかったように振る舞うなんて不可能だ。一瞬、こんなことをしたかった訳じゃないと深い絶望が走ったが、もう遅い。

女を力で屈服させるような奴を嫌悪していた。どんな理由があろうと許されることではない。そんなことは絶対にしない。する訳がないと思っていた。それなのに、力で押さえつけ、嫌だと訴える声を無視し、無理矢理犯している。自分自身に対する嫌悪は確かにあった。同時に奇妙な高揚感がある。

動きますね、と耳元で囁き、腰を引く。抜けるか抜けないかのところまで引いた後、押し込む。気遣いなんてしなかった。ただひたすら深くに埋め込んで、痛みや、体を重ねていることを、心にも体にも刻み込みたかった。

痛みのせいか、引きつった、悲鳴に近い声が零れる。何度か繰り返せば、始めの頃の睨むような視線は完全に消え去り、怯えだけが残った。

「もう、やめて」
「嫌です」

懇願を切り捨て、腰を掴む。更に奥深く沈み込ませる。何度も挿入を繰り返され、やわらかくなったそこは纏わりつくように締めつけ、快楽を与え始める。悲鳴に近かった声も、欲の滲んだ甘い声が混じるようになった。肌が上気し、淡く色づく。その癖、表情や言葉はどこまでも拒絶を示した。そのことに苛々して、腰を打ちつける。限界が近い。激しくなる動きに、目を見開き、必死に首を振るう。

「嫌!だめ、中には……っ」

言い終わらないうちに精を吐き出す。最後の一滴まで搾り出そうとするかのように肉の壁が締めつける。深く息を吐く。様々な感情が入り乱れて、けれど、どこか満たされた気持がある。あの夜と違い、暗くおぞましいものだ。

性器を引き抜き、解放すると同時に頬を張られた。したことに対する罰としては、あまりにも軽い。

「……出て行って」

乱れた寝間着を掻き合わせ、自分の体を守るようにして抱きしめている。ひとり残された部屋でこの人は泣くのだろう。それを思うと、さきほどまでの満たされた気持はあっという間に消え、後悔がこびり付いた。

「俺……」
「はやく!」

短く言い捨て、顔を伏せる。謝ることも出来ず、立ち上がり、扉に向かう。部屋を出て、扉を閉めた後、聞こえてきたのは噛み殺し切れなかった嗚咽だった。

望んだ通り、と言っていいのか分からないが、なかったことにするのは不可能だったらしく、顔を合わせる度に表情が強張るようになった。目を合わせようともしない。自分でしたこととはいえ、あまりにも痛ましくて息が詰まる。だが、それも数日のことだった。
一体、何を考えているのか分からない。手酷く犯された筈なのに、ぎこちなくではあったが、少しずつ笑顔を向けるようになった。他愛のない、どうでもいい話をしてくることさえあった。意地悪く、

「ジャーファルさんって男性経験あるんですか?」

と問いかければ、曖昧に笑い、

「そんなこと、知ってどうするの」

そう答えた。いままで通りに振る舞おうとする癖に、言動の端々に怯えが見え隠れする。俺はどうすれば良かったんだろう。謝り、もう二度としないと誓い、望み通りなにもかもなかったことにしてしまえば良かったんだろうか。

そうするべきだったのだろう。けれど、出来なかった。考えもしなかった。その時の俺の中には、普段通りに振る舞おうとするジャーファルさんの姿に、苛立ちが生まれ始めていた。

――また、なかったことにされる。

それは恐怖に近かった。初めて体を重ねた夜の幸福を繋ぎ止めたかった。既にバラバラに砕け散っていると分かっていても止められなかった。固さの残る笑顔で話しかけてくるジャーファルさんの手首を掴み、自室に引きずり込んだ。
外聞のためか、廊下を歩いている間は押し黙っていたジャーファルさんは、扉を閉めた瞬間、

「……帰ります」

と、強い意志を滲ませて言った。顔は青ざめている。けれど、目を反らすことはなく、自分の意見を受け入れてくれると信じているようでもあった。

「どうしてですか」
「仕事が、残っているからです」
「ふぅん。仕事ですかァ。本当、真面目ですよねェ。たまにはサボればいいのに」

会話を続けただけなのに、わずかに強張りが解ける。

「きみと、一緒にしないでください」

と、微笑みを浮かべようとさえした。

「それで、あんなことされても俺に近づくってことは、また犯されたいんですよね」

一瞬で微笑みも、虚勢も消え去って、残るのは怯えだけだ。

「だってそうとしか考えられないじゃないですか」
「……違います。私は、ただ」
「まァ、八人将が仲悪いのって良くないですもんねェ」
「違います。お願いだから、私の話を」
「……また、なかったことにすればいいんでしょう?」

まっすぐに見つめて言えば、顔を伏せる。部屋の鍵を閉め、突っ立ったままのジャーファルさんの腕を掴む。身を捩り、振り放そうとするのを、思いきり力を込めて捻り上げることで阻止した。寝台に放り投げた体に伸しかかる。

「やめて、ください」
「嫌です。あんたが、俺とのことをなかったことにしようとする限り、俺はやめない」

眉根がきつく寄って、責める色が瞳に浮かぶ。

「……傷付く癖に。こんなことして、傷付く癖に、どうして!」

その言葉通り、俺は傷付いていた。この前の夜から自己嫌悪と後悔が積み上がり、魘されることすらあった。だからなんだというのだろう。俺にはそれより怖いことがある。

「どうだっていい。あんたが、男嫌いになって、男が怖くて怖くてたまらなくなって、誰も好きにならなければいい」

俺を好きじゃないのなら、他の誰も好きにならないで欲しい。身勝手な欲望を露にすれば、ジャーファルさんはじっと見上げて、静かに問う。

「……きみの、ことも?」

何を言っているのだろうと思った。俺のことなんか好きじゃないのに。同時に、この人は俺の気持を知っている、と知った。だからこそ、怯えを押し殺してまで、今まで通りの態度を心掛けていて、どうしてもあの夜のことも、無理矢理に犯されたことも、なかったことにしなければならないのだろう。……俺の気持には応えられないから。遠ざければ犯されることもないのに。

「はい」

肯定すれば、ジャーファルさんの顔に諦めが浮かんだ。その日は抵抗することはなく、泣いてはいたが、されるがままだった。どれだけ激しく責め立てても、言葉で嘲笑ってみても、ただ泣くばかり。暗く満たされた気持さえ欠片も浮かばない。虚しさばかりが残った。

それ以降も何度か無理矢理に犯した。手を伸ばせばどこか諦めの混じった声で、やめてください、と言う。俺は、逃げればいい、と言った。近づかなければいい、と。俺を殺せばいい、とも言った。それでもジャーファルさんは静かに制止を求めるだけだった。



そんな日々が続いて、ある日のことだ。朝の衆議にジャーファルさんの姿がなかった。侍女が言うには、過労のために体調を崩したのだという。明らかに俺のせいだった。犯すようになってからも、仕事に手は抜いてる様子は微塵もなかった。

ジャーファルさんは次の日も休み、最初の一週間は会うことすら出来なかった。大分回復したと聞いて、居ても立ってもいられず、会わせる顔などないというのに部屋に向かった。追い返されると思ったが、予想に反して、すんなりと招き入れてもらえた。俺が来たら部屋に通すように、と前もって言われていたそうだ。

頭を下げ部屋を出て行く侍女を見送り、寝台で休んでいるジャーファルさんに視線を移す。目蓋を閉じたまま、ぴくりともしない姿は人形のようだった。頬の肉が削げ落ち、顔色も悪い。胸が貫かれたように痛む。

「……ごめんなさい」

寝台の傍らに膝をつき、両手で顔を覆う。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、何度も何度も繰り返し、言葉は途切れることはなかった。

「シャルルカン?」

か細い声で名前を呼ばれ、顔を上げる。横たわったまま薄らと目を開けたジャーファルさんは静かに俺を見つめていた。白く細い指が伸びてきて、頬を撫でる。

「どうして、泣いているんですか」

優しい声に頭の中がぐちゃぐちゃになった。ごめんなさい。もう二度としません。今更謝ったって許されることじゃない。後悔している。ごめんなさい。ありったけの謝罪の言葉を吐き出し、ぼろぼろと涙が零れては落ちた。

「……俺、ジャーファルさんのことが、好きで、だから」
「そう。だから、力づくで私を犯し続けたっていうの」

声に、冷たい色はなかった。拒絶もなければ、非難めいた色さえなかった。息が止まる。ジャーファルさんの表情に変わりはない。薄らと微笑みすら浮かべていて、指は、まだ俺の涙を掬い取るように頬を撫でていた。

「俺、どう、したら」

強張った咽を無理矢理に押し開く。

「なにも。きみの好きなようにしたらいい。これからも私を犯し続けたいなら、そうすればいい」

首を振るう。もう二度とそんなことはしない。

「どうして?あんなに何度もやめてって言っても続けたのに」

ひとつひとつの言葉が、いままでしてきたことを突きつけ、心臓を抉った。

「……きみは、聞こうともしなかったし、私も言わなかったけれど、私は、きみのことが好きだったよ」

してきたことの全てが脳裡に浮かび、絶望を知る。この人が俺のことを好きだったというなら、どうして俺はこの人を力づくで犯したのだろう。いや、例え、好きではなかったとしても犯す理由にはならない。

「きみは明るくて、屈託なくて、表情がころころ変わって、見ていて楽しかった。きみの声で名前を呼ばれるとくすぐったくて、嬉しくて、それだけで幸せな気持になれた。それからね、拗ねたような物言いが可愛くて、つい些細なことで怒ってみたりもした」

あれはねわざとだったんです、と懐かしむ声で言う。

「……でも、私が好きだったきみはもういない」

どこにも、と告げ、ジャーファルさんは唇を閉じた。絶望は降り積もり、心を押しつぶさんばかりだった。

「どう、したら」

まだ繋ぎ止めようとするのか、と嘲る声があった。散々傷つけておいて、まだ繋ぎ止めようとするのか、と。けれど、希望があるのならば縋りつきたかった。もう二度とあんなことはしない。望むことならばなんでもする。一生を懸けて償う。

「では、私を許してくれますか」

告げられた言葉に狼狽える。何故、ジャーファルさんを許さなければならないのだろう。許しを乞うのは俺の方だ。何も言えず、見つめる。見つめ返すのは静かな瞳だ。いつだって絶望には続きがある。

「……きみの子供を殺したから」

頭を殴られたようだった。そして、ジャーファルさんが休みを取っていた本当の理由も理解する。過労もあったろう。けれど、本当の目的は。

「あれだけ何回も中に出して孕まないと思ったの。それとも、それが目的だったのかな。ごめんね、もういない」

言葉は何ひとつ出て来なかった。

「私は、きみがいままでのように王と国に尽くしてくれればそれだけで満足です。後は、好きなようにしてください」

ジャーファルさんの声は最後まで静かで優しかった。そうして気付く。この人はこんなにも静かな優しい声で俺に話しかけたことがない、と。希望は欠片もなかった。俺を見る目も、頬を撫でる指も、声も、静かで優しいけれど、繋ぎ止める術はない。声を殺して泣く俺の耳に、さようなら、と言葉が告げられた。


:自分の手の中にあったものを、自分の行動によって壊してしまった、って可哀想だよねという話。

  
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