後編


抵抗する間なく、手首を掴まれて寝台に引き倒された。杯が倒れる音が耳に届く。視線を向ければ、眠り薬を混ぜていた杯が倒れ、水が滴っていた。心臓が大きな音を立てて鳴り始める。予備の薬は手元にあるが、飲ませるにはどうすればいいだろう。不自然に水を勧めては疑われてしまう。いや、そんなことよりも、まずはこの男から逃れなくてはならない。

「……夏黄文殿」

男は酔いで赤くなった頬をして、欲に塗れた目で私を見下ろしている。見下ろされているという状況に、苛立が湧き上がった。それを奥底へ沈め、言葉を続ける。

「あなたは先ほど、私に、好いているかどうかお聞きになられました。……あなたは?」
「俺、は……」

眉根を寄せ、私を見つめている。迷いが見えた。ならば、逃げ出すことは出来る。視線を伏せ、寂しげに呟く。

「酔ってらっしゃるのでしょう?ですから、こんな戯れを。それとも私を哀れとでも思われましたか」
「そんなことは……」

苦しげに息を吐き出し、そのまま首筋に顔を埋めた。熱を含んだ、酒臭い息が吐き出され、体が嫌悪で震える。ジャーファル殿、とまた名前を呼んだ。応えるのも嫌で黙り込む。はやく離れて欲しいのに、男は私を抱きすくめ、体を擦り寄せてきた。腹の下部に当たる、固いものに一瞬息が止まった。欲望の塊と言えるものが、私の腹部に押しつけられている。思考が止まり、体が硬直した。

確かに私は、男を欲情させ、性行為を持ちたいと思わせるように動いた。けれど、心から望んではいないし、大人しくこの身を捧げるつもりもない。だからといって殴り飛ばすことも出来ない。苦々しい思いを噛み砕き、思考を巡らせる。

「……後悔、しませんか」
「おそらく」
「では、やめましょう」

男は何も答えない。腹部に当たる性器は萎えることなく、私を圧迫し続けている。

「あなたはそれでいいのでありますか?」
「…………」

それでいいに決まっている。体を離し、私の顔を覗き込む男は、苦しげに眉根を寄せていた。やはりその目は欲望に潤んでいる。気持悪いから見るな。

「ジャーファル殿」

男の顔が近づいてきて、反らす間もなく唇を塞がれた。舌が口腔に滑り込んでくる。生温い舌が口の中を探り、舐め回す。首筋のあたりがぞわぞわする。気持悪い。かといって、無理矢理に引き剥がしては、疑われてしまう。自ら舌を絡ませることもできず、為すがまま口腔を蹂躙された。それはそれで腹立たしいのだからたまらない。大体いつまで吸っているつもりなんだ。呼吸ができない。苦しい。眉根が寄る。思考に回す酸素が足りなくなる。

「っは、……あ、っ」

ようやくのこと解放され、空気を吸い込んだ。夜の空気が肺を巡る。安堵してため息が零れた。首を絞めて気絶させるのはどうだろう。真剣に考え始める。もちろん言い繕えないようなことをするつもりはないけれど、頭の中ではとっくに首を絞めて、窓から放り捨てている。

「……申し訳ありません」

今更謝って許されると思うな。そう思いかけ、何に対して謝っているのか疑問に感じた。己の主を利用し傷つけ、私の王を貶めようとしたことか。謝ったところで毛頭許すつもりはないし、一度下した評価を覆すつもりもない。けれど、この場面で、あのことについて謝るにはあまりにも場違い。嫌な予感がする。
わずかに体を引くと帯を解き、上着を脱ぎ捨てた。顔から血の気が引いていくのがわかる。本気で首を絞めるか、殴り飛ばすか、それとも水差しの水を頭から掛けるか。そこまでせずとも、口移しで飲ませてしまえばいい。それなら体裁も整う筈だ。そろそろと水差しへ手を伸ばせば、その手を掴まれた。

「久方ぶりで、加減が」

見下ろす目が嫌な光を帯びている。不意にシンの言葉を思い出した。男を侮るな、相手が本気になれば無理強いだって出来る、と。私はその時「でも、あなたはそんなことしません」と返した。シンは、俺はな、と苦笑混じりに答えた。

「……っいや、いやです……」

声が震える。こんな男の前で弱音を吐き出したくはなかったが、恐怖には勝てなかった。いざとなれば実力行使で逃げ出せると思っていた。それなりに力はあるつもりだったし、こんな男、素手でもなんとかなるだろうと侮っていた。自分の感情に目が曇り、過小評価していたのだと気づいて絶望する。大体ひ弱そうな顔している癖に、なんなんだその腕の太さ。腹立たしい。なによりこんな男に怯える自分が許せない。目の前が涙で滲む。

シンのことが脳裡に浮かんだ。誰よりも敬愛し尊敬している、ただひとりの私の王が、私をひとりの女として好いていることは嫌というほど知っている。

王と私の関係はとても危うい。抱き締める腕の力は、心だけでなく体も自分のものにしたいのだと痛いほどに伝えてきた。そんなことを思い出すのは、いま正にその守り抜いてきたものが奪われようとしているからであり、なによりも、こんな奴に抱かれるくらいならばさっさとシンに抱かれていればよかったと後悔しているせいだ。過去の私に言いたい。くだらないこと考えてないでとっととシンの寝台に押し掛けろと。立場の違いなどシンは欠片も気にしないし(気にするべきだとは思うけれど)、世継ぎの問題だってなんとかしてみせる。

この困難を回避できたら、すぐさまシンのところへ向かう。そう強く心に決めて、口を開く。

「あ、あまりにも性急すぎます」
「……私たちには時間がない……」

ぽつりと呟き、また唇を塞がれた。同時に手のひらが私の乳房を掴んだ。

「――ッ!」

やめろ、と叫びたいのに唇は塞がれたままで、引き剥がしたいのに腕に力が入らない。身をくねらせ、男の下から抜け出そうともがけば、腕の力が強くなり、手付きが荒々しくなった。どうやら興奮するらしい、と気づいて、動きを止める。唇が離され、ようやく呼吸ができた。はっ、と息を吐き出せば、涙が眦から零れて落ちる。
乱れた上衣を掻き寄せ、男を睨む。

「そのように、乱暴にされては、その、嫌です」
「では、優しく」

腕を伸ばし、私の首の後ろに手のひらを回すとそのまま引き寄せた。引き寄せると同時に体を擦り寄せてきて、またしても唇を塞がれる。腕ごと抱き込まれ、体の下に押さえ込まれた。

「んんっ、も、……っ嫌」

唇の合間で水音が響く。男と私の唾液が混ざり合う音だと気づいて、体が震えた。嫌だ、嫌だ、そんな言葉だけが脳裡を巡る。男が片手で腰帯を解き、腰布へ腕を突っ込んだ。指は傷跡をなぞっている。

「い、嫌だと……!」
「何故、でありますか。あなたが、望んだ……」

浮ついた声が囁く。全身の血が熱くなって、怒りで目の前が真っ白になる。誰がこんなこと望むか!と叫びたい。けれど、そう思わせたのは確かに私だった。では、自業自得なのか。唇を噛み締めて、俯く。例え、自業自得で、当然の結果だとしても、このまま犯されるのは絶対にだめだ。シンの顔がよぎる。ぼろぼろと涙が零れ出して、慌てて拭う。怒りと後悔と、悔しさが溢れ出て止まらなかった。こんな男の前で泣き出すなんて、最悪だ。

泣き出した私に、わずか冷静さが戻ったのか、男は静かに見つめてくる。指先で涙を拭い、おそるおそる口を開いた。

「あの、もしかして……初めて、で?」
「…………」

頷いて逃げられるものだろうか。面倒な女だと思ってくれるだろうか。しばらく押し黙った後、静かに頷いた。男は何も答えない。ちらり、と視線を向けてみれば、真顔で私を見つめていた。なんなんだ、見るな。表情から感情が読み取れないことに嫌な予感ばかりが迫り上がる。

「……こんな女、面倒でしょう?」

か細く呟いてみれば、「いいえ」と静かに首を振った。先ほどまでの嫌な光は目から消え失せている。代わり手を両手で包み込まれた。

「それなのに、自分から誘いを」
「必死、だったので……?」
「ならばそのお気持に応えねばならないと、思われませんか?」

思わない。そもそもさっき嫌だと言ったことを覚えてないのだろうか。自分に都合の良い部分だけ持ち出すなんて、なんて自分勝手な男なんだ。状況は一向に改善されない。

「お気持はとても嬉しく思うのですが、その、心の準備をさせてはいただけないでしょうか」
「あなたがそうしたいのなら」

手を離される。深く息を吐き出して、人心地つく。乱れた衣服を手早く整え、男の下から抜け出そうとした。しかし、男は私の上から退こうとはしない。

「夏黄文、殿?」
「落ち着かれましたか」
「いえ、この体勢では、到底……」
「水でも飲みますか?」
「ええ、ぜひ!」

だから退け、と男の胸を押すが、ぴくりともしなかった。

「寝転んだままでは飲めません」
「では、私が」

そう言うと、水差しを手に取り、机の上に倒れていた杯に水を注いだ。その杯に口を付けたかと思えば、視線を私の顔へ向ける。顔を反らせば、顎を捉えられ、向き直された。唇が触れる。舌が割り込んできて、次に冷たい水が流し込まれた。流し込んだ後も唇は離れることなくくっつけられていて、息ができず、咽が動いた。液体が食道を通り、胃へと落ちる。

「…………」

口移しで水を飲まされた、その出来事に思考が止まる。一度男の口腔に留まったものが、私の口に流し込まれ、それを飲んだ。いますぐ吐き出したい。けれど、そんなことは出来ない。男はご満悦そうに笑い、また私に口づけた。唇が触れ、舌が滑り込む。手は先ほどと同じように乳房を撫で始め、衣服を剥ぎ取ろうと蠢く。呆然としている場合ではない、と気を取り直し、唇を受け止めたまま、男の首に腕を回した。そうして、体を反転させる。

「……私の番、ですね」

水の残る杯へと伸ばす。杯に眠り薬を混ぜて、口移しで飲ませる。方法がそれしかないならば、そうする他にない。だが、杯に手が届くというところで、また体を反転させられた。

「さきほど飲みましたから」
「……ッ」

首に顔を埋められ、舐められた。舌で肌をなぞられる嫌悪に、一瞬すべての思考が固まる。舐められた箇所を拭き取りたくなる。そうしている間に腰布を奪い取られてしまった。手慣れているのか、一切無駄がなかった。そんなことに時間を費やすより他にもっとやるべきことがあるだろうに馬鹿か。
守るもののない下腹部を隠そうと、服を引っ張る。男の手は足の傷を撫でていた。

「痛くは、ありませんか」
「……もう古傷です」
「今は、痛まない?」
「ええ」

数時間前に同じ会話をしたことを忘れたのだろうか。男はどこかうっとりとした表情で、傷を撫でる。不意に足を引き寄せられた。昔の傷に、唇が触れる。全身が総毛立って、顔面を蹴り飛ばしたくなる。唇を噛み締めて嫌悪に耐えている間にも、男の唇は傷をなぞって、移動する。私の傷は、踝から太股まで長く走っていて、それは男の顔が下腹部に近づいてくるということでもあった。心臓が早鐘を打ち、焦りが生まれる。多少の不都合が出たとしても、この男を蹴飛ばして逃げるべきではないのか、その考えが浮かぶ。だが、感情のままに唾を吐き捨てて、苦労をしたのも事実。折角ここまで気を惹いたのに、と成果を無下にするのも憚れた。

迷っている内に、男は足から顔を離した。性器には興味がないのだろうか。足の傷にだけ発情し、自慰で抜いてくれるのならば、私に問題は一切ない。こんな男の自慰を見たい訳ではないが、貞操を奪われるよりずっとマシだ。提案してみようか、と口を開きかけた時、男の手が服の裾から入り込んで、皮膚を撫でた。「……っあ」と声が零れ、唇を噛み締めた。どう言えば逃げられるものだろう。逃げるだけならば簡単だ。いい加減にしろ、と怒鳴りつけ、どうしてお前みたいなクズに身を任せなければならないんだ、と唾を吐き捨てればいい。だが、それではだめだ。好いているという姿勢を崩さずに、逃げる方法。短く息を吐き出し、自分の腕を抱え、丸くなる。男は動きを止め、私を見つめた。

「ごめんなさい、私、やっぱり」
「怖いのでありますか?」
「それも、あります。けれど、それ以上に欲望を満たすためだけに抱かれるのは、やはり切ない……」

すん、と鼻を啜った後、これはわざとらしかったか、と黙り込んで相手の出方を窺う。男は何も言わない。

「そのようなこと」

ため息と共に吐き出された言葉に、気が張りつめる。顔を上げて、男を見つめた。男は眉を寄せ、私を熱っぽく見つめている。その視線に鳥肌が立ちそうになった。見なくていい。何かが減る。

「でしたら、今宵はもうお許しください」

眦に涙を湛えて訴えれば、おそらく身を引くことだろう。例え見目に不足があろうと、男は女の涙に弱い。気にも止めない男もいるにはいるが、この男はクズの癖に妙につけ込みやすく、情に流されやすい部分がある。

「せめて私の覚悟ができるまでお待ちいただけませんか?」

畳み掛けるように弱々しく囁く。

「しかし、私たちには時間が」

それこそ望むところじゃないか。さっさと国へ帰れ。この後は好いているという姿勢を崩さず、覚悟ができてないと訴えて、この男が国に帰るまでのらりくらりとあしらえばいい。手紙を書いて欲しいとお願いすれば、運が良ければ煌帝国の状況が掴めるかもしれない。一応は皇女殿下のお付き、迂闊なことは書かないだろうが、気長に続けていればうっかりということもある。手紙が届いたところで数週間前の出来事になるのだろうが、まったく情報がないよりは良い。

「……それに、あなたが心の底から私を好いてくださるまで、待ちたいのです。期待してはいけませんか……?」
「ジャーファル殿……」

ぎゅうっと両手を握り込められた。なんでこいつはいちいち手を握ってくるんだ。気持悪い。先ほどまで興奮していたせいか、手のひらが湿っていて余計に気持悪い。いますぐ抜き取りたいのを我慢して、視線を合わせ、はにかんでみせる。

「あなたの気持を尊重したいのはやまやまなのですが、余裕が、もう」

男の言葉に、笑顔の形を作ったまま表情が固まった。握り締めてくる手の力が更に強くなる。頬が引きつりそうになる。

「あの、夏黄文殿?」

手を離されたかと思うと同時に抱き締められた。肩越しに天井が見える。首筋を男の髪がくすぐった。酒の匂いがする。そうして、もうひとつの失態に思い至る。酒を飲ませ過ぎた、と。普段ならば、私に対してまだ警戒を残している。その警戒が、酒のせいで薄らいでいる。いや、薄らいでいるのは理性か。ともかくこの男のなけなしの、あるかどうかもわからない良心に訴えるのはもはや無駄だ。残された道は実力行使しかない。

多少の怪我を負わせたところで、酒の勢いで犯されるのは嫌だったといえば、納得させられるだろう。だが、両腕ごと抱き込まれている上に、体がぴたりとくっついているせいで、蹴り上げることもできない。抜け出そうともがくが、離すつもりは一切ないようで、抱きしめる腕の力が更に強くなる。首に男の吐息が触れる。

「っあ!」

ざらりとした舌が皮膚を舐め上げ、唇が軽く吸いつく。背中に回された手が乱れた服の中へ忍び込み、撫で回してくる。固い節くれ立った指が肌の上を動けば、体が震えた。嫌悪と、わずかな怯えで心臓が激しく鳴り始める。逃げ出したい。

お前にそんなことして欲しくないな、と苦笑混じりに呟いたシンの顔が浮かぶ。王の望む通り、やめていればよかった。そうでなければ、もっと早くから体を使っていればよかった。私は純潔であるという顔で王と向かい合い、影で裏切る、その覚悟がないのならば、使うべき手段ではなかった。中途半端な覚悟で事を為そうとするから、こんなにも後悔する。

短く息を吸い込む。口では気遣いながらも、この男は結局私を犯すつもりでいるのだ。逃がすつもりは毛頭ない。悔しさに唇を噛み締めながらも覚悟を決める。こうなってしまった以上仕方ない。なんとしてもこの男を骨抜きにして、シンドリアのために役立てる。かと言って、こいつが嫌いだという事実はどう頑張っても覆らない。つまりはさっさと終わらせるのが一番良いと判断した。

「……あの」

両腕で胸元を軽く押しながら、囁く。男は離れない。ひたすらに私の体をまさぐっている。思わず舌打ちしたくなったが堪えた。発情期の獣でもあるまいし、人の話ぐらい聞け。

「もう逃げようなど、思いませんから」
「逃げようと、思われていたのでありますか?」

ようやくのこと体が離れる。男は何故か優しげな笑みを浮かべ、問いかけてきた。気づかれぬように、自分の手のひらに爪を立てる。決して苛立を表に出してはいけない。

「ええ、だってあまりにも性急で」

視線を逸らし、ちいさく呟く。男の目には恥じらっているように見える筈だ。視線を戻し、じっと見上げる。

「……どうぞあなたのお好きに」

自分をくびり殺したくなりながら、男の首へ腕を巻きつけた。このまま絞めることができたら、どれほど幸せだろう。男の手が肌を滑り、乳房を掴んだ。

「――ッ」

肉に指が埋まっているのがわかる。強く掴んでしまったと思ったのか、手のひらは一端離れて、けれどすぐさま触れて来た。指が動いて、その動きに合わせて肉が動く。シンにも触られたことはなかった。振り払うように、せめてもうすこし大きい方が使えるだろうか、そんなことを考える。一度してしまえば、二度も三度も同じだ。今後はもっと簡単に情報を得られるし、利用できる駒を増やせる。

それは一種の現実逃避だ。置かれている現状を意識しないために、未来のことを考える。この結果によって得られること、今後の展開、使えるものはすべて使い、力にせねばならない。時折、声を零しながら、必死に考える。

いつの間にか胸がさらけ出されていて、男が顔を埋めていた。揉み込みながら、先端を吸い上げる。強く吸い上げたかと思えば、舌先でくすぐり、唇で甘噛みした。いやにねちっこい。好きにさせる覚悟を決めたとはいえ、あまりに何度も繰り返すものだからたまらなくなって、髪を掴む。

「そんな……っ、胸、ばかり……!」

声が震えていることに気づき、唇を噛み締めた。

「胸ばかりでは嫌だとおっしゃる」

くす、と微かな笑い声が胸元から届く。危うく頬を張り倒すところだった。男の指が乳房から、腹をなぞり、下腹部へ移動する。

「っん」

奥歯を噛み締め、声を殺す。誰も触れたことのない箇所を、武骨な指が撫でる。優しい動きではあるが、確実に肉の中へと潜り込む。声を出し、身を捩るべきかと思うも、体が強張るせいで上手く声が出せない。首を振るい、敷布を握り締めた。嫌だ、と叫びそうになり、唇を噛む。

男は私の顔を覗き込み、目を細めている。不意に、私を嘲笑っているのではないかという疑いが首をもたげた。逃げ出すのに失敗していま正に犯されようとしている私を。もしそうであるならば、いますぐ笑え。声を立て、愚かな女だと笑い出せ。そうすれば、もう演じなくても済むのに。目を閉じ、弱い自分を叱咤する。

「……大丈夫で、ありますか?」

そろそろと差し出された言葉に、ゆっくりと目を開き、私を覗き込んでいる男を見た。微かに眉根が寄っている。気のせいでなければ、その顔に浮かぶのは不安げな、こちらを気遣う心配そうな色だ。再度目蓋をきつく閉じて、首を振るう。笑え。私を馬鹿にして笑うべきだ。そうでなければ、困る。

私の頭を撫でる手がある。宥めるように軽く撫で続ける癖に、もう一方の手はいまだ私の中に差し入れられていて、同じように緩慢な動きで肉をやわらかくしていた。気持良くは、ない。けれど、私の体は異物を受け入れるための準備を整えている。勝手なものだと思う。

「もう、だい、じょうぶ……っ、です、から」

頭を撫でる腕を掴み、動きを押さえた。ですが……、と言い募ろうとする男を遮り、「はやく」と訴える。この状況に置いて私が望むことはただひとつ。この行為をはやく終わらせることだ。手慣れていれば、もっと気の利いた誘い言葉でも言えるのだろうが、今は「はやく」と訴えることで精一杯だ。男の咽がごくりと鳴る。別段悪い選択ではなかったようだと思えば、自然口元が緩んだ。

足の間に体を滑り込ませ、腰を寄せてくる。先端が触れた。目を閉じるか、それとも覆い被さる男を見るべきか、考え、男の顔を見つめていることにした。息を吐き出し、眉を寄せ、私の下腹部を見ている。肉を掻き分け、中に入り込もうとする性器は、指とは段違いの質量で、息が詰まりそうになった。短く息を吐き出し続けながら、努めて力を抜く。さっさと受け入れて、終わらせなければならない。ただそれだけを考える。王のことは、忘れる。

「あ、……っ、はあ、わたし、……ぁあ、っ」

何を言えばいいのかわからない。好いた男と初めて通じ合った女は一体何を言うのか。言葉は何も生まれない。じんじんと響く膿むような痛みに意識が持っていかれて、思考が回らない。この上に揺すられるのかと思えば、涙が零れた。何が楽しくて、この世の男も女も性行為などするのか理解ができない。こんなの気持良くもなんともない。

男がまた私の頭を撫でる。煩わしくて思わず手を払いのけた。呼吸を整え、涙を拭う。

「あなたなんか、嫌いです」

まごう事なく本音であり、事実だ。自分が嫌に子供っぽくなっていることに気づいて、眉根が寄る。ああもうどうにでもなれ。

「……駄々を捏ねてらっしゃる」

可笑しそうに男が笑う。酒の匂いがした。腰を引き、次に突き上げられた。

「っあああ!」

背が仰け反る。足が突っ張る。無意識のうちに逃げようと身を引けば、すぐに腰を押しつけてきた。ぐいぐいと奥を抉られる。先端が奥を押しているのが、嫌でもわかった。涙が零れ、必死に首を振るう。好きなようにされたくはない。気持は冷めているのに、性行為に慣れていない体が勝手に動き、身悶える。いやいやと訴えれば、欲が煽られるのか腰の動きが激しくなる。初めてだって言ってるだろうが、この馬鹿男!

男が動きを止めるまでの時間はひどく長く感じられた。腹の上に射精された後、私は力の抜けた体を寝台に預けて、ぼんやりと天井を見つめていた。足の合間には性器の感触が残っていて不快だった。頭の隅に押しやっていたシンの顔が浮かび、罪悪感に押しつぶされそうになる。私は、シンを、裏切った。
覚悟はしていたつもりだったが、改めて事実を認識すれば苦しくなって、堪えようと思うのに涙が零れる。

「……どこか、痛みますか」

男が不安げに囁く。何も答えることができず、ただ首を振るう。確かに性器には痛みが残っていた。けれど肉体的な痛みなどどうでもいい。胸が裂かれるように痛む。どれほど悔いようが、泣こうがもう終わったことだ。静かに息を吐き出し、気持を落ち着かせる。私はこの後、自分の部屋に帰る。体を清め、体液で汚れた服を処分し、何もなかったことする。嘘や取り繕いは慣れている。シンを裏切ったことは墓の中まで持っていく。

「ごめんなさい、その、嬉しくて」
「ジャーファル殿……」

偽りの言葉に、笑みを浮かべる男は滑稽だ。ぎこちなくではあったが、私も笑顔を返す。笑顔の形になっているといいが。

「……自分の部屋に帰らねばなりませんから」

のそりと身を起こし、覆い被さったままの男の胸を押す。男は動かない。私の顔を覗き込んで、にっこりと愛おしげな表情を浮かべている。その笑みの中に、どこかいやらしさを感じて眉を顰めた。

「夏黄文殿?」
「もう一度だけ」

唇を塞がれる。無遠慮に舌が潜り込んできて、舌を絡めとる。手のひらが当たり前のように乳房を揉み、肌を撫でた。一度体を重ねたことで遠慮がなくなっているとしか思えない。脇腹を抓り上げようとした時、唇が離され、次に体を反転させられた。腰を掴まれ、持ち上げられる。顔から血の気が引く。一度で十分だというのに、どうしてまた突っ込まれなければいけないんだ。

「あなたがあまりに愛らしいことをおっしゃるから」

人のせいにするな。ただ単にヤりたいだけだろうが。腕で腰を掴む手を振り払おうともがけば、そのまま手首を掴まれて、背に押しつけられた。これでは強姦と変わらない。調子に乗るな、と苛立ちが湧き上がる。さきほどまでの後悔や罪悪感が、男への怒りに変換された。けれど、やめろこのばかが、と罵倒することができないのだから、私には拷問でしかない。

「は、初めてだと、ですから、そんな、……ああっ」
「もう初めてではないでしょう?」

耳朶を甘噛みされ、性器を突き立てられる。この体勢でなければ、確実に殴っていた。それが良かったのか、悪かったのか私にはわからない。けれど、一発ぐらい殴っても許されるだろうとは心の底から思った。



結局、なかなか離してもらえず途中意識を飛ばした。そんなに溜まっていたなら、娼館なりなんなり行って発散すればいいものを。出世のための駒として扱う癖に、主を放って女を買いに行くのは躊躇うらしかった。だからといって、ここぞとばかりに人の体を玩具にすることはないだろう。本人にそのつもりがなかろうが、知ったことではない。初めてだというのに、好き勝手にあんなことを、と思えば腹の底から苛立ちが湧き上がってくる。

傍らで間抜け面して惰眠を貪る男の頬を殴ろうかどうしようか考えていると、ちいさく唸った。どうやら起きたようだ。さっさと殴っていればよかったと舌打ちしたくなるのを耐え、笑みを浮かべる。男は不思議そうに瞬きを繰り返し、怪訝そうに表情を曇らせた。

「……あの」
「はい」
「何故、ここに……?」
「………………」
「それに、その、何故そのような格好で……」
「…………覚えてない、と、おっしゃる」

本気か、この男。一般的に考えて、このような状況に置いて、女には男を殴る権利があるだろう。腕を振り上げる。渾身の力で頬を引っ叩く。叩かれた男は目を白黒させ、いまだ状況を理解していないようだった。その呑気とも取れる顔を見ていると、怒りがふつふつと湧き上がり、収まることがないと思えた。

「あなたが!」
「は、はいッ!」
「何をしたか、この状況を見て理解できないのならば、私が、自らの口で話さねばならない、とそういうことですか」

睨みつければ、ヒッと息を飲んで、体を引きつらせた。失礼な態度を無視して、顔を近づける。

「……私は覚えております。嫌というほどに、あなたが、私に、何を、したのか」

言葉を区切りながら、言い聞かせるようにして話しかけてやれば、目を泳がせ、その後ちいさく縮こまった。

「も、申し訳……」
「謝罪は結構です」

体を離し、深く息を吐き出す。

「過ぎたことを責めても詮無き事。大事なのはこれからのことです。……どうかこのことはご内密に」
「そ、それはもちろんであります」
「そうでありましょうとも。……私はシンドリア国王シンドバッド王腹心の部下。あんな騒動があった後に、部下に手を出されたとあってはさすがの王も限度というものがありましょう」

ごくり、と咽が動く。

「私とて他国の者と通じ合ったと知れては忠誠心を疑われてしまいます」

有り得ないことだ。けれど、そんなこと男が知る筈もない。

「ですから……」

男の手を握り締めて、縋るように見つめる。私の目を見た後、視線が泳ぎ、胸元で止まったかと思えばすぐに逸らされた。こんな貧相な胸元でも性的な感情を沸き立たせるものらしい。肌に散らばった鬱血から視線を逸らしたかった可能性もあるが。ともかく動揺を誘うには十分だと判断し、故意に体を前のめりにして、握り締めた手に力を加える。

「どうか、お願い致します」

眉尻を下げ、見上げるようにして見つめれば、わずかに体を強張らせた。喜ばしいことではないが、私の体にはまだ情事の跡が色濃く残っている。それを目の当たりにして気まずいようだ。好都合とばかりに膝を詰める。男は何か言いたげに口を開いては、閉じ、開いては閉じて、

「王に知られたくないからでありますか?」

と問いかけた。

「もちろんです。王の信頼を裏切ったと思われたくありません」

心臓が軋む。既にシンの信頼を裏切った後だ。私の感情に気づくことなく、男は続ける。

「そうではなく、つまり、王に余計な勘繰りをされたくは、ないから、では、と」

何を言いたいのかわからず首を傾げる。王に余計な勘繰りをされたくないのは、それはもう当たり前だろう。例え一時でも、王に捧げる忠誠に疑いを持たれるのは切ない。

「……初恋、だと」

目を見開く。そんなことを聞きたかったのか、この男は。苛立と共に湧き上がったのか、感じたことのない感情だった。気持悪くて、逃げ出したい。何がそう思わせるのかわからないが、心臓の裏側が不快さに震えるような、そんな気持になった。戸惑いを覚えながら、口を開く。

「どうして、そんなことを気になさるのですか?」

私は確かに言った。王として好いている、と。真実がどうであれ、その言葉は、今はもう王を恋愛対象から外していると受け取って当たり前の言葉だった。それなのに、何故今更疑うのだろう。酒を酌み交わしている時も、王と自分を重ねているか、と男は問いかけた。どこかで王との関係を気づかれたのだろうか。普段は王と部下として振る舞っていて、今まで誰にも悟られたことがない。それなのに、数日滞在しただけの男に勘付かれるものだろうか。自然、表情が険しくなった。男は私からずっと視線を逸らしている。

「わかりません。……あなたが、私の手を握る度に、初恋は王だと言ったあなたの声が脳裡をよぎる。シンドリア国王は、素晴らしい方だ。今までずっと何年も傍にいて、簡単に諦めきれるものなのですか?」

男の目は思いのほか真剣だった。どこか縋るような色もあった。その目に浮かぶ感情の正体に気づいた時、笑い出したくなった。なんて都合の良い話だろう。無自覚なのか、それとも自覚しているのか、それはわからない。男は、嫉妬を覚えているのだった。ならば、落ちたも同然。体を繋げただけのことはあった。そうに違いない。

「……夏黄文殿」

手を伸ばし、赤く腫れた頬を撫でる。このまま思いきり引っ張ってやりたい気持が湧き上がるが、いまは気分が良い。大人しく優しく頬を撫でるに留める。

「王との信頼関係にヒビを入れたくない、それだけの話です。それ以外の気持はありません」

男はそっと私の手を引き剥がして、ただ無言で見つめる。目には猜疑が浮かぶ。信じ切れないのならばそれはそれで構わない。迷い、悩む間、この男は私のことばかり考える。私がするべきことは、その疑いを消し去るために、好いている姿勢を崩さなければそれだけでいい。今までのように過剰でなくともいいだろう。例えば、すれ違った時に不自然でない程度に長く見つめる。立ち位置をすこしばかり近くする。そんな些細な行動の積み重ねで、いつの間にか思い込むのだ。疑いを持ちはしたが、この女は自分に惚れている、と。

「すみません、おかしなことを」
「いいえ」
「私も、他国の政務官殿に手を出したと知られては、立場が危うい」

それはそうだろう。他国の王を陥れようとしたばかりか、その王の部下に手を出したとあれば、処罰を受けるには十分すぎる。シンを陥れようとしたことは寛大な心で許されたが、私は狭量な方だ。もし、露見した場合は、酒に酔った男に無理矢理犯されたと訴える。誰も私の証言を疑う者はなく、ひどく責められることだろう。あの初心で愛らしい姫君からもだ。そこまで考え、楽しい想像を打ち消す。先日の騒動で傷付いた姫君をまた巻き込み、傷つけることは可能な限り避けた方がいい。

「ですから、このことはあなたと私だけの秘密」
「はい」

了承以外の選択はないと理解していてなお、色好い返事に安堵する。シンに知られれば最後、どんな目に合わされるか想像ができなかった。信頼を裏切る女など必要ないと切り捨てられるかもしれない。部下としての私には利用価値はあるが、恋仲相手としての私は捨てられるかもしれない。部下としての信頼さえ手元にあれば、私には十分だ。けれど、そう思っていてもやはりシンに抱き締められないことや、口づけを交わせないことは、どれほど切ないだろう。考えると、胸が締めつけられた。

「では、先に失礼いたします。いまはまだ明け方、起きているのは数人。誰にも見られずに済みますから」

言うがはやいか、男から離れ、脱がされ、散らばった服を着込む。多少いつもより皺が多い官服をきっちりと着込み、一度だけ男に頭を下げた後、部屋を跡にした。


薄靄が掛かる日の出は美しかった。けれどそんなこと知ったことではない。男が手の内に堕ちた喜びと、嫌な相手と体を繋げた嫌悪が混じり合い、複雑な気持に支配された。濡れた襟足を撫でると、手のひらが湿る。部屋に戻る前に水浴びをしたはいいが、精液の匂いがこびり付いているような気がした。ため息が零れる。なにより気が重いのは、シンを裏切ったことだ。あんなにも約束したのに。仕方のないことだったとはいえ、やはり気分が臥せった。私に出来ることは、知られぬように努めることだけだ。それ以外に残された道はない。

夜明けの廊下を歩きながら、昨晩のことを考える。昨晩は部屋に戻ると、寝台の上でシンが待っていた。もう明け方だ。夜中に部屋で待っていたとしても、今は自室へと引っ込んでいる筈。

シンには、明け方に帰ることになる、と伝えてはいた。情事の真似事を仕掛ける時はいつもそうしていた。眠らせた後に、部屋を出て、明け方にまた戻ることも出来たが、そうしたことはない。途中で目覚めないとも限らなかったからだ。シンは、部屋で私の帰りを待っている時もあったが、大概は皆が目覚める前に部屋に来て、普段と変わりない私の姿を確かめて、すぐに自室へと戻った。ならば、今回もそうであるに違いない。そうであることを強く願った。

私の願いは叶えられ、部屋の扉を開けて、中の気配を窺っても、誰かがいる様子はなかった。安堵して、部屋へと滑り込む。すぐさま箪笥へと駆け寄り、着替えを取り出した。まずはしわくちゃになった衣服を脱ぎ、隠蔽した方がいい。衣服にはわずか男の移り香があった。苛立たしく舌打ちをし、脱ぎ捨てる。

腰帯を解き、上衣から腕を抜き取った。机の上に脱いだ上衣を乱暴に放り投げ、腰布から足を抜く。最後の服を脱ぎ捨てようとした時、人の気配を感じて、振り返れば、いつの間にかシンが立っていた。心臓が大きく跳ね、驚きで激しく鳴り始める。

「な、なんで……」
「俺はずっとこの部屋にいたが?」

気配を消して忍んでいたのか。私を驚かすために潜んでいただけならばいいのだが。シンは、私の顔を見つめ、首、胸、腹、腰、足へと視線を落として、また戻した。

「良い格好だ」
「……女の着替えを覗くなど、王のすることではありません」
「お前が勝手に脱ぎ始めた」
「声を掛けてくださればよろしかったのに」
「折角、目の前でお前が脱いでくれるというのにか?」

シンは楽しげに咽を鳴らして笑った。けれど、その目は笑っていない。細められた猛禽類の目は、険しい。全てを見透かされているような気になって、落ち着かなかった。そんなことはおくびにも出さず、口を開く。

「ともかく、着替えるんですから出て行ってください」
「王を追い出すとはひどい部下もあったものだ」
「如何に忠実な部下であろうとも、着替えを覗く趣味に付き合ってはいられません」
「ただの王と部下ではあるまいに」
「……王と部下でなかろうとも、着替えを覗くのは如何と思われますが?」
「つれない奴だ、お前は」

笑いながら、私の傍に歩み寄ったシンは、私を静かに見下ろしている。探るような視線が注がれていた。目を反らしてはいけない、と己を叱咤し、真っすぐにシンの目を見た。

「私は、まだ」
「ジャーファル」

まだこの体は純潔であると訴える言葉は、名を呼ぶ声に掻き消された。

「昨日は何をしていた?」
「昨日は、いつものように酔い潰し、寝台に運び、情事の跡を装いました。私に失態はありません。いつも通り、何の問題もなく」
「ジャーファル、いつもより言葉が多いな」
「そんなことはありません。あなたが昨晩の行動をお聞きになられるから、答えたまでのこと」
「そうか。では聞こう。昨日、何をされた」
「何も」

何も、と私の言葉を繰り返したシンは、鼻先で軽く笑った。

「お前なら、何があってもそう言うだろう」
「まるで私が何かされたような言い方」
「そうでないことを祈るよ、ジャーファル」

シンは手を伸ばし、私の頬を撫でる。その手は優しい。優しいけれど、同時にひどく恐ろしかった。いきなり頬を張り倒されてもおかしくない、そんな緊張感が漂っている。

「ジャーファル、……嘘を吐くな」
「私が、あなたとの約束を反古にすると?」
「しない。お前はしないだろう。何があっても守ろうとする。しかし同時に、国の利益となるならば、俺との約束などいとも簡単に破る人間だ。そして、それを決して俺に悟られまいとするだろう。だがな、ジャーファル、俺を見くびるな。お前のことなら全てお見通しだ。だから、脱げ」

淡々とした口調で語りかけながら、シンは最後に言い放った。硬直をなんとか解き、眉間に皺を寄せる。普段の自分を脳裡に浮かべながら、口を開いた。

「朝っぱらから何を言ってるんですか!ばかばかしい。そんなにも私が信じられませんか」
「約束を反古にしていないと言うのならば、なおのこと、脱いで証明してみせろ。脱ぐのは一枚だ。すぐに証明できる」

頬を撫でていた指が滑り落ち、服に掛かる。引き裂こうと思えば、すぐに引き裂けた。怯えを悟られぬように、不機嫌な顔を作る。

「……あなたがそこまで言うのならば、お望み通りにしてもかまいませんけれどね、今は時間がありません。こんなところで時間を食っている場合ではないでしょう?そろそろ侍女が着替えを用意し、あなたの部屋を訪れるはず。ですから、さっさと帰りなさい」

無理矢理に部屋の外へシンを押し出して、扉を閉めた。幸いにもシンは、また扉を開け、部屋に押し入ることはしなかった。離れていく気配を確かめた後、扉を背に息を吐き出し、そのままへたり込む。

上手く誤摩化せただろうか。普段通りに振る舞えただろうか。へたり込んだまま、己の体を見遣る。胸元には鬱血が残っている。それ以外に変化はない。少なくとも私の目にはそう見えた。肌に残る鬱血も、胸元のふたつみっつだ。この程度ならば見られたとしても誤摩化せるはずだ。そう思うのに、不安が心に深く根を張って、体を震わせる。

私は怖い。シンに裏切ったことを知られ、捨てられることが怖くてたまらない。また罪悪感が湧き上がって、しばらくはその場から動けなかった。


第二夜 終

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