月のみぞ知る(2/3)
「はづきさん」
低く抑えた声で呼び掛けると、彼女の体がビクンと揺れる。
「え?た、武市さんっ!?」
驚いて振り返ろうとしたはづきさんの細い肩を、僕は自分が今まで羽織っていた上掛けでそっと包み込んだ。
「眠れないのですか?‥‥ですが、そんな薄着では風邪をひきますよ」
「あ‥‥‥‥」
敢えて呟きには触れずに微笑んだ僕を見て、はづきさんがほっとしたように肩の力を抜く。
「ごめんなさい‥‥あ、あの私っ‥‥‥‥嫌な夢を見て、それで目が覚めてしまって‥‥‥‥」
「そう、ですか」
うつむき加減でポツリポツリと呟くその言葉が鋭い棘となって、僕の心に突き刺さった。
鈍い痛みに、わずかに眉をひそめる。
(‥‥武市半平太ともあろう者が、何と無様な事か)
出会ったばかりの頃、はづきさんが家に帰る方法を一緒に探しましょうと言った言葉に嘘はない。
だが、今の自分はどうだ。
はづきさんが友人の名を呟いたあの一瞬に。
遠く離れてしまった友を思う心を、僕を想う心にすり替えてしまいたいと願った‥‥などとは。
それは口が裂けても、声に出してはならない願い。
『決めるのは、彼女自身であるべきだ』
だからこそ。
「あの、武市さん」
「何ですか?」
ふと我に還ると、はづきさんが僕の顔を見上げていた。
「このままでいたら、武市さんが本当に風邪をひいてしまいますよね?」
と言って自分の肩に掛かっている僕の着物に手を伸ばす。
「‥‥‥‥‥っ」
いや、自分がした事ではあるのだが。
薄い寝巻きの上に僕の着物を羽織ったはづきさんの姿に僕の心の奥底が疼く。
夜気に当たってほんのり上気した彼女の頬に、めまいがした。
「そんな柔な体はしていないが、そうだな‥‥‥‥ならばこうしようか」
「え?‥‥きゃっ!」
可愛らしい悲鳴を上げる彼女を、胸に掻き抱く。
驚いて反射的に僕の腕から逃れようとするはづきさんを、きつくきつく抱き締めた。
「ほら、こうしていれば十分に暖かいでしょう?」
「‥‥‥‥もう、武市さんてば」
これ以上は無理なほど頬を朱に染めて、はづきさんが唇を尖らせる。
幼子のようなそんな仕草も愛しくて堪らない。
彼女の柔らかい髪を一房手に取ると、僕は想いを込めて口づけた。
『誰よりも、何よりも彼女には幸せであって欲しい』
それが僕の偽らざる本心だ。
これから先、彼女がどんな決断をしようともそれは変わらない。
けれど今、はづきさんは僕だけのもの。
それもまた紛れもない真実なのだから。
いつかその時が来るまで、絶対にこの手を離したりするものか。
すべてが眠りに就いた宵闇の中で、天空にたたずむ月だけが僕の心を‥‥誓いを照らし出していた。
―終―
⇒あとがき
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