~2015 | ナノ




凛はいつだってわたしの先を行くようだった。久しぶりに会った凛からはタバコの匂いがして、わたしの知らない人みたいだ。海を見つめる凛の横顔は、少し日に焼けた腕は、細いけど男らしい手は、わたしの知っている凛と同じはずなのに。「やっぱり沖縄の海はきれいだ」と言って海を見る凛はもう都会の人だった。


「東京、楽しい?」
「まあそれなりに」


凛はもう方言を話さない。昔にふざけて言った片言の標準語じゃなくて、違和感なく標準語を話す。「変わったね」と言いそうになったのをこらえた。これは凛にとっては違和感じゃなく自然な変化なのだろう。わたしにはあまりに急すぎる。
凛が東京に行くことを決めたのも急だったな、と思う。凛のような自由な人にはこの場所は狭すぎたのかもしれない。だけれど、凛にはこの場所が一番に似合うと思っていた。それなのに、凛は容易く東京での生活に慣れていったようだ。相変わらず少し長めに伸ばされた髪がゆらゆらしている。学生のころは毎日毎日飽きるほどに海に入っていたのに、凛は靴を脱ごうとしない。茹だるような暑さはあの頃と変わらないのに、何もかも変わってしまったのだと思う。


「お前は?楽しい?」


凛の視線を受けて、なぜか泣きそうになった。昔のわたしは凛に手を引かれていろんなところへ行って、毎日がとても楽しかった。凛はわたしの知らないことをたくさん知っていて、わたしの持っていないものをたくさん持っているのだと思う。わたしは凛に出会って世界が広がったのだと思う、凛がいないと、なんにもない。


「わたしも、それなりに」


凛がいないと退屈だなんて、言えない。もう凛はわたしの手を引いてわたしの行く道を指してくれない。


「東京はどう?」
「時間の流れが速いよ」
「ここの時間はゆっくりだよ」


凛は大きくうなずいた。もう戻ってきてはくれないのだろうか。東京で目まぐるしく流れる日々で、凛はどんどん大人になっていったのだろう。タバコに火をつける仕草が様になっている。凛の時間はものすごいスピードで進んでいるのに、わたしは昔と変わらずゆっくりゆっくり進んでいて、凛はどんどん先へ行く。ずっと隣にいるのが当たり前だったはずなのに、凛はわたしを置いていく。


あの日、東京に行くと決めた凛に行かないで、と泣いて縋れたならば何か変わっていただろうか。わたしは左手の薬指をなぞる。ずっと昔にもらった安物の指輪はもう外したけれど、日焼けの後はまだ消えない。わたしたちの関係は口約束よりもずっともろい恋人同士だったように思う。指輪をよりによって左手の薬指にはめた凛に、「婚約指輪みたいだね」と笑ったわたしをばかばかしく思う。全部過去になってしまった今では凛にとってもただの思い出でしかないのだろう。わたしと凛の関係も、もう思い出しかないだろうか。今更素直に伝えたってきっともう遅いのはわかっている。


「ごめん、凛」


凛は、何もかも変わってしまったのに、まるで昔みたいに優しい眼差しでわたしを見た。太陽の陽射しは凛によく似合っていて、わたしは昔にタイムスリップしたみたいな気持ちだった。


「ごめん、行かないで」


涙があふれた。凛がわたしを置いてここを出た時から、ずっとため込んでいた気持ちだった。凛がわたしの左手をやさしく包み込む。


「謝るなよ」
「…ごめ、でも」
「謝るのは俺だよ」
「え?」
「これ」


そう言って凛はわたしの日焼けの後を隠すように指輪をはめた。




20120201/私生活