~2015 | ナノ

空には厚い大きな雲がかかっていて真っ暗だった。神様が泣いているのかと不安になるくらい、大粒の雨がぼたぼたと降り続いている。わたしは傘を持っていない。昇降口から出て行く人は色とりどりの傘をさす。赤、青、黄色、グリーン、オレンジ。その明るいどれもが真っ暗な空とは不釣り合いだ。
この大雨だから部活は休みだ。生徒がせかせかと帰っていく様子が教室の窓から見える。教室にはクラスメイトが何人か残っているが仁王の姿は見えない。最後の授業をサボっていたからどこかで眠ってでもいるのだろうか。付き合っているとはいえ、部活がある仁王と一緒に帰れる日は滅多になかった。それどころか休みの日だって滅多に会えない。今日は一緒に帰れるかもしれない。少し待ってみようかな、そう思い、窓際の席に座った。もしかしたら仁王は傘を持ってきているかもしれないという淡い期待もあった。クラスメイト達は一人、また一人と少しずつ帰宅して行く。ざわざわ賑わう教室が静かになっていくのを聴きながら、大きな雨の粒が降り注ぐのをぼうっと見ていた。

昇降口から出てきたのは仁王だった。先に出て行ってしまったらしい。銀髪は目立つなぁ、やっぱり仁王も傘を持っていないなぁ、とぼんやり思いながら、仁王に追いつこうと鞄を持つ。窓に背を向けて立ち上がろうとしたその時、仁王の後ろから女の子が歩いてきた。女の子は持っていた傘を仁王に渡す。見間違いかもしれない、大袈裟に目をこすってもう一度そちらに目をやると、仁王と知らない女の子がべったりとくっついている。可愛いピンク色の傘をさして相合傘で帰って行くのが見えた。


「え」


見間違えるはずなんてない。あんな銀髪他にはいないのだから。





雨は相変わらずざばざばと降りわたしを濡らす。どこに向かっているかはわからないがとにかくひたすらに歩いた。傘もない。水たまりも気にしない。頭のてっぺんから足の先まで雨で濡らしてしまえば怒りで沸騰した頭も冷えそうだと思った。水たまりの上をバシャバシャと歩けば、小さく飛沫が上がる。学校指定のソックスが雨に濡れて気持ち悪い。震える指先は、怒りか、雨で冷えた寒さか、どちらだろう。
雨なんて降らなければ良かった。部活が休みになんてならなければ。わたしが仁王と一緒に帰ろうなんて思わなければ。知らないままでいられたらどれほど良かったか。何かのせいに出来るわけがないのに何かのせいにしたくて堪らなかった。身体は芯から冷え切っているのに感情は熱を冷まさない。


「名前」


ふと、聞きなれた声に名前を呼ばれた。あまりにも優しくわたしの名前を呼ぶから、それはわたしが勝手に作り出した幻聴かと思ったけれど、振り返ると仁王がいる。現実だ。さっきの女の子が持っていたピンク色の傘とは違う、モスグリーンの大きな傘をさしていた。何しに来たの、と冷たい言葉が溢れそうになったが、仁王は他の女の子と帰ったところをわたしに見られたとは知らないのだ。


「どうしたの」


感情を押し殺してそれだけ問うが、仁王は何も答えない。大きな傘の影になって仁王の表情まではよく見えなかった。いったいどんな気持ちでわたしの後を追ってきたのか、知りたいけれど知りたくない。


「傘、珍しい色だね」
「…柳生に借りたんじゃよ」


あの子の傘に入って帰ったんじゃないの?
そんなことは怖くて聞けなかった。仁王の顔を見たくなくてコンクリートに雨粒が叩きつけられるのを見ていたら、不意に雨が止んだ。否、止んだのではなく仁王がわたしを傘に入れた。傘が雨を弾く音が大きく聞こえた。


「風邪引くぜよ」


わたしに傘を向けたことで、仁王のふわふわの銀髪が濡れていく。真っ白なワイシャツも濡れていく。仁王は眉を八の字にし、さみしそうな顔でわたしを見ていた。まるで捨てられた仔犬のようだと思う。捨てられたのはわたしのほうだというのに。
雨とは違う生温かい水分が頬を伝う。目から次々と溢れ出す生温かいそれは止まらない。仁王の顔が滲んで見える。


「仁王は、わたしのこと置いて帰っちゃった、知らない女の子と一緒に、手を繋いで、帰っちゃったから。わたしは雨に濡れて風邪ひいたって、いいんだよ」


涙と一緒に感情もあふれ出してしまった。仁王の細い指がわたしの冷えた手を温めるように包み込む。その手が温かすぎて、余計に泣けた。


「柳生くん」


思わず名前を呼ぶと、仁王だったそれは柳生くんになり、一瞬驚いた顔をした。「すみません」「苗字さんが心配で」気まずそうに目を逸らす困り顔は仁王のものではなく、柳生くんのものだった。


「余計なお世話かもと、思ったのですが」
「ふふっ、見た目は完璧に仁王なのにね」
「…じゃあどうして気づいたのです?私が仁王くんじゃないと」


ひとつひとつ丁寧に言葉を選ぶような話し方をするな、と思った。見た目は完璧に仁王なのに話し方は柳生くんに変わったのが、なんだか面白くてさっきまでの怒りを忘れてしまえた。柳生くんは困惑を隠しきれないようにわたしに聴いた。なにもかもが違ったのだ。髪型も、髪色も、口元のほくろも、少し猫背なのも、声も、話し方も、すべてが完璧だけれど、全然違う。
わたしは仁王にあんなに優しく、名前を呼ばれたことがない。
柳生くんの問いに答える代わりに「ありがとう」と言うと柳生くんはますます困惑しているようだった。それすらも今のわたしには可笑しかった。


「柳生くん、ありがとう」


わたしたちは、仁王と知らない女の子がしていたように、二人並んで歩いた。モスグリーンの大きな傘はわたしを雨から守ってくれる。


20150802/title:icy