~2015 | ナノ

どうしようもないくらいに好きな人がいた。けれどその人はわたしなど眼中になかった。いや、わたしに限ったことではない。彼はおんなのこという生き物すべてに興味がないように思える。(年頃の男子には珍しい、堅い硬派なところもわたしは好きだけれど)彼はおそらく、テニスに恋をしていた。そのひたむきさが、わたしはどうしようもなく好きで好きでたまらない。





「それで、真田に告白した結果は?」
「見事にフラれたけど」
「玉砕覚悟で告白するなんて、マゾなの?」


幸村はわたしが真田を好きなことを唯一知っている人だ。特にわたしの口から「真田のことをすきだ」と伝えたことは一切ないにも関わらず何故だか知っていたけれど、神の子と呼ばれていたり相手の五感を奪えたりする幸村なら、わたしの恋心の一つや二つ見抜けてしまうのかなと妙に納得してしまった。幸村はわたしの気持ちを知っていたけれど、応援するわけでも邪魔をするわけでもなく、ただ知っているだけだ。届かないわたしの恋心を傍観して楽しんでいる。馬鹿にして蔑んで面白がっている。いい性格してるよね、と思うけれど、確かにわたしの真田に対する気持ちが笑っちゃうくらいに一方通行であることは事実だった。


「幸村には関係なくない?」


反論の言葉だってこれくらいしか浮かばずに、わたしは強い視線で幸村を睨みつける。けれど幸村はそんなのに動じるような男ではない。そんなことは分かりきっているけれど、わたしはこのまま幸村に馬鹿にされているのは悔しかった。


「だいたい、お前が真田を好きって、変だよね」
「そんなことないと思うけど」
「はっきり言ってあげる、不釣り合いだよ」
「…幸村には関係ないって」
「せっかく俺が忠告してあげてるのに」
「いいんだよ、もうフラれたから」


応援するわけでもなく邪魔をするわけでもなく、わたしの恋の行く先を傍観している幸村は、わたしの恋がうまくいくことを願っていなくて、むしろ失敗することを大前提にしていることは、確かだ。




翌朝、たまたま真田と目が合った。昨日の今日で声を掛ければ真田はきっと気まずい。けれど無視するのもそれはそれで気まずい。覚悟を決めて「おはよう」と言えば真田はビクンとあからさまに肩を震わせた。高校に上がったらクラスが変わるかもしれない。けれど同じ高校だ。わたしは長期戦を覚悟している。恋に興味のなかった真田がわたしの告白によってわたしを意識してくれる一ミリにも満たない些細な可能性を夢見ている。


「…!お、お」
「そんなにどもらないでよ」
「す、すまない」
「別に、昨日のことなら気にしてないから」
「しかし」
「友達に戻ろう?」
「む…お前がそういうのなら」


昨日わたしの目をしっかり見て「今はテニスのことしか考えられない」とはっきり言い放った真田と、今わたしの目の前で耳まで真っ赤にし気まずそうに目を逸らすこの男が同一人物とは思えないくらいだった。おかしくなって思わず笑い声をこぼせば真田は「何を笑っているのだ」と小さく怒鳴った。笑った理由を正直に話すのなら「やっぱりそういうところも好きだと思ったから」なのだけれど、昨日の今日でもう一度フラれることはさすがにつらいので、「なんでもないよ」とごまかした。
部活はもう引退している。それどころか卒業が近づいている。全国大会に勤しむ真田をずっと見てきたわたしからすると、今がチャンスだと思った。けれど真田はあの夏と変わらずにテニスに恋をしていた。引退して部活動もなくなり余計に焦がれているのだろうか。周りの運動部の人たちは部活を終え一息ついていたというのに。真田は、ずっとテニスにひたむきだった。
立ち去る真田の広い大きな背中を見て、再び好きだなと思う。真っ直ぐひたむきなところが好きだ。部活と恋愛の両立なんて、ほかの部員のみんなが簡単にしていることを出来ない、真田の不器用なところも好きだ。確かに真田に恋愛は結びつかない。女の子と並んで歩く姿なんて想像がつかない。幸村の忠告は正しいのかもしれない。その忠告通りに真田はわたしのことを好きにならないかもしれないし、釣り合わないのは承知。なんならそれですらいいような気もしていた。フラれたからといって真田のことは嫌いになれない。好きなままだ。けれどフラれたことに少しだけ安心している。真田は変わらない、わたしの好きな真田のままだということに。




放課後、教室に幸村が来た。名前を呼ばれた。大きな声ではないのによく通る声だなと思った。ふと幸村に違和感を感じる。いつもみたいな余裕が幸村にはなかった。切羽詰まったみたいな苦しそうな顔をしていて、心臓がぞわぞわする、そんな表情だ。


「どうしたの?」


わたしの前で幸村はいつも余裕をたっぷり含んだ意地の悪い笑顔だったんだ。それがわたしは昨日まで悔しかったはずなのに、なくなるとどうしてこんなにも不安なのだろう。どうしてだろうか、わたしは幸村が今にも泣いてしまうのではないかと、それだけが心配だった。そしてそんな苦しいときにわざわざわたしに会いに来るその理由はなんだろう。


「真田にお前のこと相談されたんだ」
「は」
「真田、すぐにお前のこと好きになるよ」
「はあ?」


予想外の言葉に驚いているわたしを放って幸村は話し出す。正直幸村が何を言っているかわからない。昨日までさんざん釣り合わないだなんてあざ笑っていたのに。


「幸村おかしいよ?何言ってんの?」
「真田が!」
「え」
「お前のこと、気になるって言ってたんだ」


右側の肩に重みを感じ、幸村の頭が乗っかっていることに気づいた。幸村は性悪なくせに今にも消えてしまいそうな儚さがあるのでわたしの右肩は緊張でこわばる。わたしが支えないと幸村は崩れ去り消えてしまうかもしれない。


「どうして真田なんだい」
「どうしてって」
「どうしておれじゃなくて真田なのか聞いているんだ」
「ゆ、幸村何言ってんの」


真田がわたしのことを好きになる、という言葉は普段だったら天にも昇るくらい嬉しいはずなのに、幸村がおかしくなったせいでそれどころじゃなかった。こんなの、幸村がわたしのことを好きみたいだ。
いや、そんなわけがない。これは、幸村じゃないのかもしれない。


「あ、もしかして仁王でしょ、騙されないんだから、仁王のペテンってほんとにすごいよねー、幸村かと思ってびっくりしたよ」


その場の雰囲気に似合わない無理やりな明るい声ではごまかせない。こちらを睨みつけて「真面目に話をきけよ」と冷たく言い放つだけだった。
本当はわかっていた。仁王はこんな馬鹿げたことをしないということを。


「おれは、」
「幸村はそんなこと言わないよ」


ね、と笑って見せる。幸村がわたしの手首を捕まえる。幸村の手は冷たかった。「これは仁王のペテンなんかじゃないよ」と震える声で呟くのは幸村そのものだ。だけれど、否、だからこそわたしはその言葉の続きを聞きたくない。


「幸村、ごめん、」
「ちゃんと聞けよ、おれは」
「幸村、手、痛いよ」
「おれは、お前のことが」
「いやだ、ききたくない」


幸村は手を離さない。強く握りしめてわたしを逃がさない。細くて色白のしなやかな指は見た目に反して力強い。そうだ、彼も真田と同じテニス部だ。中性的な見た目とは結びつかないけれど、あのテニス部の部長なのだった、と今更ながら思った。
わたしは幸村の顔が見られなくて俯くしかできなかった。わたしの前にいる幸村はいつも自信に満ちていて、わたしのことなんか興味ないって顔で、余裕の笑顔で、いてほしいのに。

20150629/titel icy