「赤也。」
先輩は、小さく笑った。先輩の笑顔には桜の花がとてもよく似合うと思った。先輩が立海の制服を着るのも今日で最後。先輩がおれの先輩なのも今日で最後。おれは今にも泣き出しそうな気持ちになったけれど、それでなくてもひとつ下ってことで先輩に子供扱いされているから必死に涙をこらえた。
「赤也、わたしね」 「ハイ」 「卒業したよ」 「ハイ」
さっきから空返事のおれに先輩は呆れたように笑った。先輩は高校を卒業したら何になるのだろう。大学に行くのか、就職するのか。おれは聞けないでいた。先輩がおれの知らない人になってしまうことが怖かったからだ。自分がこんなにもだらしなくて臆病でどうしようもない駄目男だったこと、先輩を好きになって思い知らされた。
「赤也、」 「ハイ」 「はい、じゃなくて『おめでとう』って言うのよ」 「ハイ」
おれは、その言葉を言い出せないでいる。たった2文字の単純な言葉を。
「もう、赤也ったら」
先輩の笑顔は桜のように散らないでほしい、とはらはら舞う桜の花びらを見て思った。だけれどその笑顔に届かないことはずっと変わらない。 今日で終わりだ、全て終わり。昨日までみたいにつまらない話をして笑ったり、一緒にご飯食べたり、宿題見てもらったり、出来なくなってしまうのだ。これからは当たり前の日常は無くなってしまう。そんなの嫌だ。おれは先輩のいない世界で生きて行けるのか。
もし、あと一年早く産まれていたなら。そうしたらこんなに躊躇うことはなかったかもしれない。どうしたってたった一つの歳の差がおれの邪魔をする。おれの気持ちを伝える為の言葉は口をついて出る寸前だというのに。
「先輩」
行くなよ、卒業なんてするな、おれはずっとこのままがいい。 そんなこと言えるわけがないだろう。先輩はおれのことなんて見ていないのだ。これからおれの知らない場所でおれの知らない人を好きになって、先輩はおれの知らない人になる。 考えただけで吐き気がする。ずっと触れたかった先輩の指先に唇に胸元に脚におれ意外の誰かが触れるなんて、そんなこと絶対に許せない。
だけど。だけど。
「赤也」 「なんすか」 「私、赤也が、好きよ」
心臓が、止まりそうだ。
「赤也みたいな弟が欲しかったなあ」
ああやっぱりその程度。一瞬浮かれたおれは馬鹿だ。奇跡なんて起きやしないだろ。
「ねえ」 「…ハイ」 「おめでとうって言ってよ」
泣きだしそうな先輩の顔は、見たくなかった。おれは先輩の笑顔が好きなんだなって、今更気づいた。そしたらそんな言葉ますます言えなくなった。おれに「すき」なんて言われたらきっと先輩は困るんだろ。
20110323
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