小さいころからずっと一緒で当たり前だった凛との会話が減ったのは、中学に入ってからだ。凛は中学に入りモテだしてどんどんチャラくなって、もうわたしとずっと一緒に居られなくなった。手を伸ばせば届く距離に居たはずの凛は学校ではわたしの知らない友達と一緒で、放課後は知らない女の子と一緒だった。凛はいつも別の女の子を連れていた。それは確かに大きな変化だけれど、わたしはそうやって変わっていくことも怖くなかった。凛はそれでもわたしが誘えば絶対に断らなかったし、どの彼女よりもわたしを大切にしてくれていると思ったからだ。 晴れた日の放課後は海へ行く。約束をしたことはなかったけれど、それはなんとなくわたしと凛の決まりごとみたいになっている。凛は彼女と一緒に居たけれど気にせずに「今日も、一緒に行こう」と言えば凛は彼女の誘いを断った。彼女は不満そうな顔だったけれど、わたしには関係のないことだ。わたしは凛とともにだらだらと海までの道のりを歩く。夏のような暑さはなくて快適だけれどわたしは夏の暑さが好きだった。 「凛!その女誰よ!」 「げ」 凛の彼女(と思われる女)が凛の元へ駆け寄る。化粧でかためた顔は涙で崩れてぼろぼろで、わたしは少し引いた。ぼろぼろの女は凛の顔にパシンと弱弱しいビンタを喰らわす。小さな力の弱い女の子の手だ。その手を凛がつかむ。ごめんごめんと軽く謝る凛の姿を見て何とも言えない不安が生じる。 「凛、最低、この女ともやったの?」 女はマスカラの真っ黒の涙を流しながら言う。わたしは最初誰のことを言っているのかわからなかったけれど、ここにはわたしと凛の彼女しか女が居なかった。必然的にわたしのことだ。幼馴染で仲が良くて大好きだからいつも一緒にいるのに、それなのに、付き合うとか付き合わないとかやったとかやってないとかの話になるのはどうしてだろう。それともこの状況で凛を男として好きになれないわたしが悪いのだろうか。凛の彼女がマスカラでにじむ涙の黒みたいに、どす黒い人間にしか思えなかった。凛は女の趣味が悪いのかもしれないとおもった瞬間、凛が彼女の手を強くつかんで、「こいつはそんなんじゃねえよ」と冷たく言い放った。 「やーみたいな女とこいつを一緒にするな」 彼女はぼろぼろの顔をさらにぐちゃぐちゃにして、「さいてい!」と叫んで走り去った。これは修羅場というものなのか。わたしの心臓がばくばくうるさい。 「かのじょ…」 「あんなやつ彼女じゃねーって」 いいの?と聞こうと思ったのに、聞き終わる前に凛にさえぎられた。まるで今の出来事はなかったかのようにして、制服の裾をまくりあげ、靴下を脱ぎ、さらけ出した足を海へ浸す凛を見て、もしかしてこのような修羅場がわたしの知らないところで何度も起こっているのではないかと思った。そしてすべてではないにしろ、少なくともその原因にわたしの存在があるのではないか。彼女でもない幼馴染の存在を周りは許してくれない。 「ねえ、あんた、凛のなんなの?」 この間の、海での修羅場のおんなと、その取り巻きだった。今日は彼女、じゃないか、元カノだ。元カノは泣いていなくて、マスカラもにじんでいなくて、迫力のある怖い顔だと思った。この間、凛にしっかりとふられたのに、そんなに凛のことが好きなのだろうか。 「幼馴染だけど」 「は?それだけ?」 「そう、それだけ」 「…でもこの間、凛がただの幼馴染をあんなふうに」 「付き合ってなんかないよ」 「でも」 「わたしと凛は家族みたいなの」 あなたたちと凛の薄っぺらな体だけの関係とは違ってね。そう言いたいのをこらえた。元カノたちが腑に落ちないような顔でこっちを見ている。ただの「幼馴染」が自分より凛と仲良しなのが気に入らないのだろう。元カノは、何よりも凛に大切にされているとでも勘違いをしていたのか。凛のことを何も知らないで、どうして大切にされていると思うのだろう。 わたしからしたら、あなたたちが、凛のなんなの? 凛はその日も別の女を連れていた。声をかけようかと思ったけれどやめた。また凛が殴られたりしたら嫌だと思ったからだ。だけれどそうやって人目を気にしていたら、わたしと凛は一緒に居られないんだなと改めて思った。 「俺はさ、名前が凛と付き合ってると思ってた」 裕次郎が、知らない女と歩いていく凛を横目に言った。裕次郎の言葉にはほかの人から感じられる興味本位や悪意が感じ取られなくて、好きだ。だから素直に返せる。 「だって凛はどのカノジョよりも名前のこと大事にしてるじゃん」 「…やっぱりそうだよね」 「だけど彼女じゃないんだろ?」 「付き合うってそんなに大事かな」 裕次郎は、ううん、とうなり声をあげる。 「わたしは、凛が好きだけど、彼女になりたいわけじゃない」 「…いいんじゃね」 「でもそれじゃあわたしと凛は一緒に居れないかな」 「まあ、カノジョはやーのことむかつくだろうな」 「わたし、凛の彼女、むかつくかも」 言葉にして、はじめて、自分が「凛の彼女」に嫉妬していることに気づいた。 「それは、好きじゃないの?」と裕次郎が言った。「それは、恋じゃないの?」「彼女になりたいんじゃないの?」「好きなんだろ」と言った。裕次郎は優しい口調で、言ったけれど、わたしは追い詰められているようにしか思えなかった。「恋人」という関係にはいつか終わりがあるけれど、わたしと凛はずっと永遠にいっしょでなきゃいけないのだ。 ・・・・・ おれには絶えずいろんな女が寄ってくるし、来る者拒まず、まあ要するに体だけのお付き合いというのをしているけれど、誰一人とも彼女と思ったことはない。一回ヤっただけで彼女面をしてくる女もたくさんいるけれど、可愛いと思ったこともない。どうしたって思えない。 小さいころからずっと一緒だった名前と少し距離を置いた理由なんて、特になかった。しいて言うならば「思春期」。誰と誰が付き合ってるだとか、誰が誰を好きだとか、そんな話は煩わしくて仕方なかったし、そんな馬鹿馬鹿しい話の対象におれと名前が上がることが本当に嫌だった。中学に入ってちょうどモテだしたのをいいことに、いろんな女と遊んでみたら、おれと名前が付き合っているという誤解はわりとすぐ解けた。女癖の悪くなったおれをあいつは軽蔑するかもしれないと思ったけれど、あいつは今でも変わらずにおれに笑いかける。 「あいつのどこがそんなにいいの?」 屋上から見える海は綺麗だ。今日は名前に誘われるかな、なんて考えていたので裕次郎のストレートな問いに焦る。裕次郎は無神経だけど、興味本位や悪意のこもらない純粋さを持っているから、聞かれるとうっかり素直に答えてしまう気がする。 「どこって、全部だよ」 「ふうん」 「…なんだよ」 「そんなに好きなら、なんでほかの女と付き合うの?」 「誰とも付き合ってねえって」 「でも、あいつは、やだって」 「はあ?」 「凛のカノジョ、むかつくって」 「っはあ?なんだよそれ」 「言ってたんだよ」 お前らわけわかんねー、と裕次郎は言った。否定する意味じゃなくてただの感想というような言い方だった。わけわかんない、か。もはやおれにもわからない。おれたちの関係を守るためにしていたことが、名前を傷つけていたなんて。そんなの知らなかった。 「ちゃんと言えば?好きなんだろ」 裕次郎の優しさすらも煩わしかった。 今日は「一緒に帰ろう」と言われる前におれから言った。ほかの女の相手はどうしてもする気になれなかった。するどい視線でおれを睨む女が居たけれど心の底からどうでもよかった。おれの人生にあんな女は必要ではないんだと思う。 「わたしたちが幼馴染なことはそんなに悪いことかな?」 一瞬言葉の意味が理解できなかった。うつむいてぽつりぽつりと喋りだす唇が綺麗だとおもう。 「こないだ、凛の彼女に、「あんた凛のなんなの?」って言われたんだ。そんなの、わかんないよねえ」 同意を求めるというよりも、独り言のようだった。 「俺に彼女いたらいや?」 誰一人として彼女と思ったことはないのに、わざと意地悪な、名前を試すような聞き方をしてしまった。名前は顔を上げずに、足元だけを見てゆっくりと歩き続ける。おれは名前が砂浜に残したおれよりずっと小さな足跡を同じようにゆっくりと追いかける。頼りない小さな背中が寂しかった。ずっとずっと近くにいるために、くだらない周りの野次や冷やかしで壊されないように、そうやって名前をおれの居る場所からほんの一瞬遠ざける、それだけのつもりだったのに、いまではもう近づくことすら許されない気がした。 「彼女とわたし、どっちが大事?」 「は?」 くるり、振り返った名前の制服のスカートがひらりと揺れた。寂しげな背中からは想像もつかないほどに名前は明るい笑顔を纏っていた。予想外の表情に答えに驚いていると、名前が口を開く。 「凛にはたくさん彼女が居たけれど、それよりもわたしを大事にしてくれたから全然さびしくなかったの」 「それは、」 「わたしに彼氏ができても、やっぱり凛のほうが大切だと思うの」 「それは、違う」 「…なんで?」 違う、と思わず言ったものの何が違うのか全くわからなかった。おれがしてきたことはそういうことだと思う。おれはいちばん好きな女を恋人にする権利をとっくの昔に自ら手放していたんだ。 「わたしと凛は、恋人なんてつまんない関係じゃ、だめだよ、それよりもっと深い、わたしたちは、ずっとずっと一緒に居なきゃ」 震える名前の肩を抱き寄せることは許されるだろうか、手を握ることは、もしくは綺麗な形の唇にキスをすることは…きっとどれも許されない。おれが触れるには名前はどうしても綺麗すぎる。 ひとつになれないふたつの体温 titel:icy 20120213/20130401加筆 |