最低!!と甲高い声が響いて、左の頬に衝撃。ビンタされたのだと気づくのに数秒。この一瞬の出来事が、わたしにはとても長い時間に思えた。長くのばされ綺麗に手入れされたピンクいろでキラキラの、リボンがちりばめられた爪を生やした可愛い女の子の手が、敵意をむき出しでわたしの頬を痛めつける。叩かれた頬よりも、心のほうが痛い気がした。 くるりとわたしに背を向け、ずんずんと歩いていく彼女の背中からは怒りと不安が手に取るように伝わった。これから今のと同じように彼を殴りに行くのだろうか。ほっぺがびりびりと痛みをますけれどわたしは彼女を責められない。 案の定千石くんのほっぺも赤くなっていて、赤い頬からは彼女の怒りが伝わった。わたしのそれよりも強い力を込められたのだろう。わたしの頬の赤みに気づいたのか、千石くんは左の頬に触れて「お揃いだね」と笑った。笑いごとではない。 「さいていって言われた」 「俺も言われたよ」 「わたしさいてい?」 「きみは悪くないよ」 「千石くんのせいだよね」 「はは、はっきり言うなあ」 千石くんはどんなことがあっても笑えるひとなんだと思う。それは千石くんのいいところだと思う。だけれどわたしやあの子の泣き出したいような気持ちに気づいてくれないのは千石くんの悪いところだろう。「いたい?」と弱弱しい声で千石くんが問う。わたしの頬を撫でながら。 「いたいよ」 「ごめんね」 「心がいたい」 頬に触れていた手がわたしの手のひらをつかみぎゅうと握りしめる。千石くんは大きな目をぱちりと開いてわたしを見ていた。いたたまれなくなって目を逸らす。 「きみが悲しいとおれも悲しい」 そんな言葉は聞きたくない。わたしも、あの子も、千石くんのせいで悲しみに溺れている。千石くんのことをだいすきで苦しい。悪気のないおんなのこへの優しさが苦しくて仕方ないんだ。それはきっとあの子も同じなのだ。可愛い小さな手のひらは震えていたから、わたしと千石くんを叩いたてのひらもきっとわたしと同じくらい痛かったに違いない。わたしはこの気持ちの発散のしかたを、伝え方を知らないでいる。千石くんを独り占めしたいと思っているこの手のひらは千石くんを叩くことなんてできないし、千石くんに嫌われたくないわたしは千石くんに「さいてい」と言う勇気もない。わたしはあの子を責められない。左の頬が赤くなろうとあの子はきっと悪くない。それがあの子の精一杯だったのがわかる。あの子とわたしは同じだから。そしてわたしと同じおんなのこは、あの子のほかにもたくさんいる。 つまるところ、わたしは千石くんが好きなのだ。とてもとても、好きなのだ。 120513 |