裸足になった素足が生ぬるい水に触れる。海はわたしの侵入などまったくの無関係といった様子で、変わらず波を立て続ける。その様をずっと観察していた。海は広いな大きいな、という歌を口ずさむ。本当に海は広く大きかった。足だけでは物足りなかったのでしゃがみこんで指先をも海に預けるわたしの少し後ろに蓮二はいた。わたしのことを立ったまま見下ろしていた。もちろん靴も履いたままで海への侵入などを試みる様子はない。 「満足したか?」 「うん、ありがとう」 よいしょと立ち上がる。蓮二の元へと歩き進めれば水に触れた足は砂を纏わらせる。立ち上がるときに着いた手のひらにも砂はしっかりと付着していた。 「砂付いちゃった」 「海に入るつもりならタオルくらい用意しろ」 「ごめんなさい」 蓮二の鞄からはタオルがでてきた。蓮二はわたしが困ったときは必ず助けてくれる。必要としているものを出してくれる。まるでドラえもんみたいだと笑ったら少し怒られたことがあった。ドラえもんじゃないならヒーローだ。地球なんて大きなものは救えない、わたしだけを救うわたしだけのヒーロー。 「使え」そう言って差し出されたタオルはやわらかくて心地よかった。 「ありがとう」 二つの意味を含んだお礼の言葉だった。一つはタオルを貸してくれたこと。二つ目は海へ連れてきてくれたこと。 なぜか急に海へ来たくなったんだ、理由はわからない。だけれど一人で来る勇気がなかったわたしは蓮二に「海へ行きたい」と言った。それから一時間後、わたしたちは海に居た。蓮二がいたらなんだって叶う気がしてくるから怖い。 「それくらい気にするな」 「頼りにしてるよ」 海水と砂で汚れた足を、再び靴の中へしまう気にはしばらくなれなかった。借りたタオルで手のひらだけ拭いて、足は砂浜へ投げ出したままだ。 海は広くて大きかったけれど、わたしの存在は小さくてつまらない。それを思い知らされた。隣には蓮二がいる。一人で来なくて本当によかった、と思う。蓮二の手を引き、自分のと絡めれば、蓮二の少し低い体温がある。ここにある。 「海、広いね」 「そうだな」 「わたし、海になりたいなあ」 そうすればこんな感情にもならなかったかな、と思う。蓮二は怪訝な顔を浮かべた。 「お前が海だったらこんな風に手を繋げないが」 「そうだった」 「それでもいいのか、お前は」 「…いやかな」 「それなら、このままがいいだろう」 さらさらの髪が潮風に流れて蓮二はとてもきれいだった。そうだ、わたしはこのままがいい。それなら時間が止まればいい。終わりなんてこないほうがいい。そんなのはありえない、ちゃんとわかっている。わたしたちの関係なんて今だけだ。長くても高校を卒業するまで、短ければ明日にでも終わってしまうかもしれない関係。恋人同士という肩書きは絶対安全に見えて本当はとても脆い。 蓮二はこれから先何人の人を好きになるだろう。わたしの知らないどこかの誰かを好きになり、生涯の愛を誓い、子供もできたりするのだろう。その相手は、多分わたしじゃない。多分、というのは蓮二といるとなんだって叶う気がしてくるから。ほんの少しの可能性を捨てきれないでいる。もしかしてと想像する。それがとても怖い。蓮二ならきっと割り出せるだろう。わたしたちの未来が一緒である確率。それって何パーセント?それを知るのはとても怖い。 「蓮二」 「なんだ?」 「今日のことを忘れないでね」 「どうした急に」 「わたしと過ごした今日を、忘れないで」 海はわたしたちのことなど気にせずに、変わらず動いている。わたしはそれがひどく羨ましかった。どんな未来にも恐れずにいられる広さや大きさが欲しかった。わたしが欲しいものを何でも出してくれる蓮二にもそれは与えられない。 砂浜に座り込んで足に付着した砂をタオルで拭う。蓮二がわたしの正面に座り、何も言わずにわたしの手からタオルを奪う。「蓮二?」呼びかけても返事はなく不思議に思っていると、さらに不思議な行動をされた。蓮二はわたしの足を優しく持ち上げた。何も纏っていない裸足に直に触れられるとくすぐったくて少し恥ずかしい。「蓮二?」もう一度呼べば、わたしの足に付いた砂を払うことに集中していた蓮二が顔をあげる。 「俺が、忘れると思うか?」 「思わないかな」 「安心しろ、忘れない」 わたしと蓮二の関係は永遠ではなくとも、今日を過ごした事実は永遠だ。いつかわたしが蓮二以外の人を好きになっても、今日のことは忘れない。わたしの知らない誰かと蓮二が幸せな家庭を作ったとしても、蓮二には今日のことを思い出してほしい。わたしは蓮二の中で美しく輝く思い出になりたい。 120511/学生限定様へ提出 |