~2015 | ナノ


橘杏という可愛い女の子がいた。大きな瞳が印象てきで、切りそろえられた髪は綺麗に風になびき、しなやかに伸びる脚はモデルのようで、運動神経がよくテニスが上手い。それだけで十分に魅力的な彼女は、性格も良い。明るくて人懐っこい笑顔を浮かべ、誰にでも優しく、勝気で強気で面倒見の良い一面もあり、とにかく女のわたしから見ても、「完璧」と言う言葉を当ててもお釣りがくるくらいに良くできた女の子だった。

神尾がそんな杏ちゃんを好きになるのも、当たり前のことだと思う。杏ちゃんを見る神尾の瞳は輝き、杏ちゃんと話す神尾の頬は紅潮し、分かり易く前面に大好きを押し出しているからこの気持ちにはみんな気づいている。杏ちゃんも多分気づいている。気づいていないふりをしている。



・・・



「神尾は、杏ちゃんを好きだよ」
「なによそれ?神尾くんが言ってたの?」


杏ちゃんはそれをありえないことだとでも言いたげにくすりと笑う。わたしはそれにひどくイラついた。


「言わなくてもわかるってば」
「どうして?」
「…杏ちゃんはどうして気づかないの?」
「気づくもなにも、神尾くんがわたしを好きだなんて…」
「その気がないなら早くふってよ、中途半端に期待させたら神尾がかわいそう」


八つ当たりでしかないこともわかっている。それでも誰かに当たりたくて仕方なかった。杏ちゃんは優しいから、わたしと違って優しくて素敵な女の子だから。わたしに八つ当たりされたって、何も変わらないじゃない。神尾に好かれているじゃない。そしてこれは僻みでしかないことも、本当はちゃんとわかっている。


「じゃあ、もしその気があったら?」


杏ちゃんはいつになく勝気な笑みを浮かべていた。わたしが口ごもると、杏ちゃんは小さなため息をついて、あきれたような困ったような顔でわたしを見ていた。


「ずるいよ、自分は神尾くんに気持ち伝えられないのに」


ぐさりぐさりと杏ちゃんの言葉がわたしの心臓をえぐる。涙が出そうになったけれど泣きたくはなかった。わたしは泣いたって喚いたって杏ちゃんにはなれなくて、神尾の好きな人が杏ちゃんという事実は変わらなくて、わたしが神尾を好きなのも変わらない。


「ずるいのは杏ちゃんだよ、わたしの気持ち知ってて神尾の気持ちに気づかないふりしてて神尾をずうっと独り占めにしているんだもん」



・・・



「神尾、杏ちゃんにふられたって?」
「お前わざわざ傷口えぐりにきたのかよ」


泣いているかと思った神尾は普通に笑っていた、いつもと変わらない神尾だった。
杏ちゃんがわたしに「神尾くんにちゃんと言ったよ」と伝えたのはほんの数分前のことだった。わたしの心臓が重く沈んでいくのがわかった。杏ちゃんの表情から、杏ちゃんが伝えた言葉が神尾にとって悲しい答えだということは容易く想像できたのに、神尾の顔からは悲しさは微塵も伝わってこなくて、それが余計に悲しかった。


「違うよ」
「じゃあ慰めに来てくれたんだな」
「…」
「お前が本当は優しいの知ってるぜ」


神尾が悲しみを押しつぶしたような笑顔をわたしに向けた。「優しくなんてないよ」と小さくつぶやく。


「心配してきてくれたんだろ?」
「…ごめん」
「どうしたんだよ」
「…わたしが杏ちゃんに言ったの、神尾にちゃんと伝えなよって」
「え?」
「ごめん、本当にごめん」


怒るかと思ったのに、神尾は小さく笑った。


「ありがとう」
「なにそれ」
「ちゃんとふられてスッキリしたから」
「…」
「お前のおかげだな!」


神尾が杏ちゃんにふられて傷つけばいいと思った。傷ついた神尾に優しくすればわたしを好きになってくれるかと思った。そんなことを知ったら神尾は幻滅するだろうか。杏ちゃんはわたしの気持ちに応えてくれた。わたしは?わたしはどうすればいいの?


「ごめん、わたし神尾のことずっとずっと好きだったの」


ぎゅうと目をつぶれば視界は真っ暗だ。神尾がどんな顔なのかは見えない。驚いているのか、わたしの馬鹿な策略を見抜いて呆れているか、わたしにはわからない。だけれどそれでいい。ほんとうにずるいのはわたしだから。


120510