「君が美海ちゃんかー
かーいいねー」



目の前にいる男の人は、でれっと顔を崩して近寄ってくる。


ワキワキと、何かを揉むような手の動きが気持ちわるくて、思わず沢田さんの後ろに隠れた。


「シャマル、美海が怖がってるから
ちゃんとしろ」


「へいへい」



口を尖らせながらもちゃんと言うことを聞くシャマルという男の人。



「…」



沢田さんにお礼を言おうとしたが今それを伝える手段がなくて、どうしようかと考えた結果、沢田さんの服の裾を少し引いた。



「…ん?どした、美海?」



わずかに赤く染まった頬で微笑して私のほうへ振り返る。


じっと目を見つめて口を動かした。


あ、り、が、と、う

と。



沢田さんはわかったのか、



「どういたしまして」



おどけたように言ったから、二人で顔を合わせてわらった。




「…おいおい、人の前でいちゃつくなよ」


「いちゃついてないから
それよりも美海の声のことだけど…」



診察に入りそうな流れだったから沢田さんの後ろから出て、シャマルさんの前に立つ。



「…じゃあまず口開けてー」



口調は変わらなくても顔が引き締まって実感する。

沢田さんの言うとおり腕は確かみたい、と。



それからいくつか、シャマルさんの指示に従って声を出そうとしてみたり、触診されてみたりした結果、シャマルさんが言った。



「体には何の問題もない
恋人の存在によって忘れられていた虚無感とか絶望感とかが溢れて、声が出なくなったようだ」



やっぱり…。


たとえいきなり捨てられたとしても、あの人の存在は私にとってでかかったのだ。

あの人が世界の全てだったように。




「…声、出せるようになる?」


「わからない
何かの弾みでいきなり出るようになるかもしれないし、一生このままかもしれない」





沢田さんはこの言葉を聞いて辛そうな顔をしたけど、私は別にいいと思った。

ここの人たちはみんな優しいし、今の生活で、声がないことで不自由することはないと思ったから。



ただひとつだけ、残念だと思うのは、


「沢田さん」、と


名前を呼べないことだった。








小さな望み

なんで残念なのかは、まだわからない






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