「すごく幸せで、ときどき泣きたくなる。怖かったんだ。いろんなことが」
 とっさにかれんが開いた口からは言葉はでない。思わず落とした視線の先で、礇の両手が堪えるように小刻みに震えていた。それで彼女は口を噤む。本を持つ手に力がこもった。何をいってみても、ただ言葉が安っぽくなるだけのような気がして、唇を噛むことしかできない。日の暖かさも、風や鳥の声も、今が長閑であること全てが、急に息苦しくなった。
 軽率だったと思ったけれど、遅かった。あの人がいなくなってからの三年は、あっという間だったのに、とても長くて。あの人が戻るまでのこれからは、きっともっと長い。簡単に、絶対に見つけようなんて、口が裂けてもいえなかった。
「あの、」
「かれんさーん、イクさーん」
 それでも口を開いたとき聞こえた声に、彼女は弾かれたように顔を向ける。渡り廊下の向こうに、こちらへ手を振るセリアが見えた。ぎこちなく微笑んで、手を振り返す。隣で礇が立ちあがるのがわかった。
「俺は戻るよ」
 走ってくるセリアを一瞥すると、礇はかれんに目を戻す。
「まだ授業してるし、静かにって」
 伝えて、といい残すと白衣のポケットに手を突っ込んで歩き出した。建物の落とす影が、やがて彼を飲みこんでいく。右手にある出入り口へ着くころには、セリアはかれんの目の前で小さく肩を揺らしていた。頬の横に垂れた髪の毛が、首筋については離れてを繰り返す。



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