31-5

並盛高校。それは大でも小でもない。並の高校である。

並盛中の横にある、いたって普通の平凡な高校。卒業生の半分は進学、半分は就職。ランクも地区内では真ん中。同じことを二回言うようだが、至って並の高校である。

だがそれ故に、内申点を体育に全振りしている笹川了平にとっては、受験しても受かるかどうか厳しいのが実情だった。

「な…んだ…と……!?」
「笹川君の場合は、まず5教科の平均を3にするところからスタートしなければ。」

美冬は潜入先となるクラスの情報は内申点から個々の家庭状況に至るまで、そのすべてを把握している。故に、彼の志望校と現実の差に開きがあることをよく知っていた。先程まで盛り上がっていたはずの空気は、衝撃のあまり一変した。
柊美冬の肩をがしり、と掴んだ笹川は、彼女の身体を容赦なく揺さぶる。

「体育は5だ!それじゃだめなのか!?」
「…っ、体育だけじゃダメです…痛い痛い離して」

美冬の悲鳴に、笹川はすぐに手を引っ込める…が、ショックは抜けきらない。平穏な夕暮れの空気にそぐわず、彼は一人劇画モードに突入していた。

あまりの作画の違いに、美冬は笹川の皿にマスタードチキンサンドを盛り付けた。まずは食べて落ち着くよう促してみる。すると、目の前に差し出されたものはひとまず食べる習性のおかげか、心ここにあらずといった表情のまま、笹川はむぐむぐと口を動かしていた。

「うーん」

この区域内でボクシング部がある高校は確かに並盛高校だけである。
となると、彼の進学先は並盛高校以外考えられないのもまた、妥当な線であろう。今から、彼が出来ることがあるとするならば。

「5教科の内申点を上げるのも大事ではありますが、笹川君は部活動推薦枠を利用するのもありかもしれませんね。」
「すい…?なんだ?」
「次のボクシング部の秋大会で優勝して、受験につなげるんです。」
「!!!」

ぱあ、と笹川の顔にどこからか一筋の光明が差し込んだ(どこから?)。みるみるうちに頬は薔薇色に染まり、枯れ果てていた生気は十分に満たされ、笹川は勢いよくソファーから立ち上がって吠えた。

「ボクシングなら、任せろ!!!!」

がおん、と獅子ばりの咆哮を上げた彼は、嬉しそうに拳を突き上げた。

「部活動で優秀な成績を収めることで受験が有利に進むような枠があるんです」
「それを早く言え!!」
「うーん、でも内申点が元々高くないと使えないんですけどね…」
「それはどうにかなる!!」
「ええ…」
「というか、どうにかしてくれ!!」
「えええ…」

毎度ながら、無茶ぶりもいいところである。
内申点を上げることの大変さを、彼は解っているのだろうか。たぶんわかっていない。柊美冬ははあ、とため息をついて天を見上げる。夕陽があまりにも眩しくて、涙が出そうだ。


「…………もう、しょうがないなあ」


彼にそう言うのは、いったい何度目なのだろう。
最初は、ボクシング部への勧誘だった。
日々、宿題を見せてほしいといわれた。
この夏も、どうにかして朝練に付き合ってほしいと駄々をこねられた。
どんなに突っぱねても、それでも、彼は何度も何度も、しつこく粘ってきた。

(ああ、そういえば、そうだった…)

事件に巻き込まれ、日常は遠くなり、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。けれど、柊美冬は思い出した。

笹川了平。
彼はとても我儘で、自己中心的で、マイペースで。
それでいて、燦燦とあたたかく、時に厳しく彼女を焦がす、太陽のような男だったことを。




「…わかりました」
「!!!」

この男の、まるで向日葵が咲くような、輝く笑顔を見るのが、好きだった。そして今日もまた、彼女の目の前には大輪の向日葵が咲き誇る。

(……)

この数日、安請け合いするのはやめようとあれほど心に誓ったはずだったのに。
だが、あの笑顔が見たいから、とでもいうように、唇は勝手に動いてしまった。まるで見えない何かが、美冬の固い意思など関係ないと嘲笑っているかのようだ。

ありがとう、と嬉しそうに笑う笹川了平を見ていると、ついつい唇が綻んでしまいそうになる。…が、つられてしまわないように、美冬はキッと眉に力を入れた。なにせ、これからの短期間で内申点を上げるのは、並大抵の努力ではつとまらない。

「まずは、明日から授業中寝ないでください」
「なにぃ?!」
「私が学校に行くのはもう少し先になりますから、それまでの間、死ぬ気で授業中起きてください」
「そ、それは無理が…」
「無理でも何でもやるんです。並高に行きたくないんですか?」

しばしもにゃもにゃと口を動かしていた笹川だが、彼女の煽り文句に「わかった!」と大きく首肯した。

「俺も漢だ!!やってやる!!!」
「その意気です。あと、宿題は自力でやってください」
「…な、なんだと!?」



……
………


その後、美冬の復帰はもう少し先になること、復帰までの間に笹川が取り組むべき勉強とリハビリメニューを確認しあったころには、夕陽はすっかり地平の下へと沈み、窓の外には藍色の闇が迫り始めていた。

「ぬ…長居をしてしまったな」
「すみません、お引止めをしてしまいましたね。」

笹川がそそくさと荷物をまとめる横で、美冬はさらさらと進路希望調査票に記入をして、笹川に差し出した。

「これ、先生に提出しておいてください」

第一志望、並盛高校。
そして、第二・第三志望は、空欄。


「…約束、したじゃないですか」
「?」
「私、貴方のこと二度と負けさせないって。」
「う、うむ」
「だから、笹川君も、並高、受かってくださいよね」


もしここに沢田綱吉がいたら、「すげー上から目線!!っつかどんだけツンデレ?!」と叫び、もしここに笹川京子がいたら、「お兄ちゃんをよろしくお願いします!!!」と、悶え死んでいたことであろう。だが、ここには両者どちらも存在しない。

故に、笹川了平の答えは、明確だった。


「当たり前だ!!!」


にか、と彼は笑って、プリントを受け取った。








玄関で笹川了平を見送った美冬は、はあ、と一息吐いた。
怒涛の数時間だった。
突然の笹川了平の襲来からはじまり、サンドウィッチを食べ、進路についての話をして、未来についての話をした。次のボクシング部の大会は優勝しなければいけないし、なんなら彼の高校入学まで一枚かまなければいけなくなった。

「やることが多い……」

頭に手を当て、やれやれと一人嘆く。
どれも、CEDEFの任務には一切関係のないことばかりである。
だが、並盛中3年A組の柊美冬にとっては、どれもが大事なことだった。


「ああ、ダメですね」

どうして、笹川了平を前にすると、思い通りにふるまうことが出来ないのだろう。
あれほど黒曜の事件に巻き込んだことを後悔していたはずなのに、考えなしに関わることをやめることが出来ない。

あのあたたかで苛烈な陽の光の傍に、もっといたいと思ってしまう。




どうして、と彼女は思う。

だが、その答えを語る者は、ここにはいない。



来訪者が去った扉の鍵は、がちゃり、と音を立てて閉められた。



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