3


「おー、もう終わるからちょっと待て」
 タン、と最後にどこかのキーを押してパソコンをとじ、鬼頭先生は「いくぞ」と歩き出した。
「おまえ、なにしたの。笠井先生に呼び出されるとか」
「えっ、なにもしてませんよ!? おれの優秀っぷりは先生だって知ってるでしょう?」
 どちらかというと文系なので数学はあまりトップをとれたことはないが、クラスの平均点を大幅にあげるくらいの点数はいつもキープしている。さらには、素行だっていい。性格は正直自分でも「難あり」だとはおもうが、他人に害を及ぼすほどではない――メガネくんのことに関してはほんとうにあんなことが起こるだなんておもってなかったから興味本意で呪いをかけてしまったのだ、ゆるしてほしい――し。
 教師からしたら、明るい優等生に見えていることだろう。しかも、特待生の条件をキープするために質問しにいくこともよくある。よって、おれは先生たちから好かれているのである。だから、生徒たちのあいだで鬼と呼ばれて恐れられている鬼頭先生も怖くはないし、むしろ親近感さえいだいている。彼は、中学にいた教頭先生にちょっぴり似ているのだ。まあ、彼はこんなイケメンではなく、そこらへんにいそうなごくふつうの中年男性だったが。
 そんなことを考えているうちに笠井先生の研究室の前まできてしまっていて、おれの心臓はばくばくと早鐘を打ち出した。
「せ、せんせ……、もしおれの悲鳴が聞こえたらすぐに助けに入ってくださいね……」
 若干青ざめているのが自分でもわかる。
 疑問は尽きないようだが、それでもなにも訊ねず頷いてくれる鬼頭先生はほんとうに教師の鑑です!
 心の中で賛辞を送りつつ、先ほどと同様に扉をノックし室内へと足を踏み入れる。すると、この部屋の主に声をかけられた。
「呼び出したりしてすまないね、嵯峨野くん。じゃあ、ドアしめて、こっちの椅子に座ってくれるかい?」
 あわよくばこのままさっと話を聞いて立ち去れたらいいななんて幻想を抱いていたのだが、見事にぶち壊された。つらい。
「は、はい……」
 明らかに怯えている様子が見てとれているはずなのに、笠井先生はにこにこと笑みを浮かべている。そんなに緊張しなくていいよ、くらいの言葉はかけていただきたい。このままだとおれの心臓が爆発する。
「……あの、おれはなぜ呼ばれたんでしょうか……」
 とにかくはやく解放されたかった。自ら敵陣に突っ込む切り込み隊長にでもなったようなきもちでそう問えば、すっと真顔になって彼は言った。
「――嵯峨野くん、ぼくとつきあわない?」
「…………はい?」
「わあ、オッケーもらえちゃった。やったね」
 おれがおもわず零した声に子どものような無邪気な笑顔になった笠井先生に、思考がついていけていない。しかし、とりあえずさっきのは返事じゃないと伝えなければ、と口をひらく。
「先生、すみません今のはその、反射で言ってしまっただけです。というか、語尾に疑問符ついてたの気づいてましたよね……?」
「――きみが同性をそういう対象として見ていないことは知っているよ。でもさ、同性愛に否定的ってわけでもなさそうだしぼくにもチャンスはあるかなっておもって」
 わからない。本気なのかどうか、まったくわからない。これが年期の差か……と現実逃避をしていると、「まあ、考えてみて」と告げられてしまった。
 その場できちんと断ってしまうべきだったと後悔したのは、部屋を出て鬼頭先生の顔を見て、混乱していた頭がおちついたあとだった。


「なんだよ、なんもなかったじゃねーか」
 部屋を出てすぐ、鬼頭先生にそう言われたがおれは「すみません……」と力なく謝ることしかできなかった。いつもと様子が違うことを心配し、教室まで送ろうかと申し出てくれた彼に感謝しつつもそれを断りとぼとぼ歩く。
 この学園で、告白をされたことがないわけではない。なにを隠そう、おれは抱かれたいランキング上位入賞常連者のひとりなのだ。
 今どきの若者らしい明るい茶髪に、女子に羨ましがられるくらいに長いまつげ。身長は、百七十六センチとなかなかに高く、スタイルもよし。驚くことにこの顔つきは母似で、女性のはずなのだが彼女は俳優としてテレビに出演していそうなほどのイケメンなのだ。父は残念ながら若いころはそれはそれは男にモテただろうな、と憐れんでしまうような可愛らしい容姿をしている。おれは母さんに似てほんとうによかった。(ちなみにそこまで大きくはないけど親衛隊もあるよ!)
 ――と、今は容姿の話などどうでもいいのだ。問題は、「教師から告白された」という点である。
 同学年の生徒や先輩からは数えるのも面倒になるほど告白されてきたが、先生からというのは始めてだった。
 いや、だって危ないじゃん。ばれたら(あっちが)やばいことこの上ないわけで。そう考えると本気なのかもしれない、と考えざるを得なかった。しかし、だったらなぜ「今」なのか、という疑念が浮かんでくる。呪いをかけられたとおもわれるこの瞬間、行動に出た笠井先生はやはり呪いによっておれに気があると錯覚しているだけなのではないか。
 もしも本気だったら失礼極まりないが、逃げ腰になってしまうのもしかたのないことなのだ。だって、おれは平和に過ごしたい。周りと良好な関係を築いて、三年間この生活をエンジョイし続けるには教師とぎすぎすするわけにはいかない。
 教室へ戻ってもんもんしているうちに時間がなくなり、おれは昼飯を食べ損ねた。だが、嘆いている暇はない。
 その日最後の授業、数学を受け終えたおれは――鬼頭先生に言った。
「先生……、すみません、このあとすこし話、いいですか」
「……研究室でいいか」
「はい……」
 教材を持って歩き始めたおとこのあとをついていき、昼にも訪れた部屋に足を踏み入れると彼はまず、コーヒーを淹れてくれた。
 礼を口にしそれをすすれば、苦味と香ばしいかおりがひろがりおもわずほうっと息を吐いた。
「で、話ってなんだよ」と言う鬼頭先生はスティックシュガーを二本あけていて、意外だな、なんて脳裏で考えつつ訊ねる。
「……おれの教師からの評判って、どんな感じですか」
「はあ?」
 教師陣全体から好かれているのならば、その中のひとりから好意を寄せられていても不思議はないような気がする。だからとりあえず、笠井先生のあの言葉が本心である裏づけをとりたいのだ。その上で、ちゃんとこちらも真剣に答えを返したい。断るにしたって、相手のことを知り、恋心をいだけないと確信してから「ごめんなさい」と告げる。ずっと、だれに対してもそうしてきたのだから。
「…………まあ、かなり気に入られてるほうだとおもうが」
「……性的に?」
「……両方、じゃねーかな」
 生徒として、性的対象として。どちらとしても気に入られていると言う鬼頭先生は変にごまかさないから好きだ。このひとは、常に生徒と対等な関係であろうとしてくれている気がする。
「うああ、まじですか……」
 しかし、おれの問いに対する返答には肩をおとさずにはいられなかった。笠井先生の告白は本気であるという説が有力の方向に傾く。


Prev Next
Bookmark
Back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -