9


「ほんとうに、ごめん」
 何十回目の謝罪をしたころだっただろうか。いよいよ無言になってうつむいてしまっていた彼女が、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの小声を発した。
「…………て」
「え?」
「理由を、教えて。ちゃんと、わたしが納得できる、理由を」
 納得させる自信はなかったが、カインは彼女に正直なきもちを打ち明けた。
「きみは……強い心を持っている。傷ついても、いつかその傷を癒してしあわせを手にすることができる人間だ。おれには、今、どうしても一緒にいたいひとがいる。だから……どうか、すぐにはむりでも」
「わたし、強くなんかないわ。あなたがいたから、今までがんばれたの。あなたがいなきゃ……っ」
 胸に縋りついてきた小さな手をそっと外し、歩き出す。
「ごめんな、サーシャ」
「いやっ、いかないで、カイン……!」
 悲痛な叫びが脳内にこだましたが、カインは振り返らずに教会をあとにした。扉の横で待っていたラビットに「いいのか」と訊ねられたが、力なく笑みを浮かべてうなずく。
「いこう、ラビット。――ルラルラ!」
 天に手を伸ばし、高らかに転移の呪文をとなえた。
 そうして、ひかりに包まれたふたりは逃げるようにして村から去ったのだった。


 ****


 カインがおもい浮かべたのは、あの大森林の中に存在する村だった。魔王を倒したらまた立ち寄る、と言っていたのもあるし、だれにも干渉されずにゆっくりできる場所といったら、あそこしかないとおもったからだ。
「あれっ、勇者さまじゃないですか!」
「あ、えと、こんにちは。魔王を倒したので、のんびりしにきちゃいました」
「それはそれは……お疲れさまでした。相変わらず温泉以外たいしたものはありませんが、どうぞゆっくりしていってください」
「ありがとうございます」
 覚えていてくれたのか、とあたたかいきもちになったが、黒目黒髪という勇者の象徴があるのだから当然といったら当然のことなのかもしれない。しかも、だれもが見惚れる美人が一緒なのだ。記憶に残らないほうが難しい。
 この村には宿屋がないので、前回は村長が家の部屋を貸してくれ、そこに泊まらせてもらっていた。魔王を倒したあとの勇者には価値がないため、以前と同じ対応をしてくれるか不安はあったが、カインもだいぶ強くなったため野宿をすることになっても問題はないだろう。
 さっそく村長に会いにいくと「ついに魔王を倒されたのですな。ああ、宿ですか? うちでよければ好きなだけ滞在してくだされ。たいしたものは用意できませんが、今夜は宴をひらきましょう。……世界に平和をもたらしてくださり、ありがとうございます」と、こちらが恐縮してしまうほどに感謝され、一応「お気遣いなく」とやんわり断ってはみたのだが、見事にスルーされてしまった。そうして、その日の夜は二十人にも満たない村人が全員集い、カインとラビットのために夜遅くまで宴会が続けられたのだった。


 皆が寝静まったころ、ふたりは布団に寝そべって天井を見つめながら眠れずにいた。
「……カイン」
「うん?」
「まだ……ひき返せる」
「え……?」
「村に戻って、あの娘と結ばれるといい。我のことは……しあわせを知ればいずれ、殺すことにためらいはなくなるだろう」
 どんな顔をしてそんなことを言うのか。
 これで笑顔なんて浮かべていようものなら殴ってやろうと起きあがったが、そんな想いは空気の抜けた風船のように萎んでしまった。
「……どうして、そんなこと言うんだ」
「……おぬしが、つらそうだからだ。迷いもせず、完全に吹っ切れているなら我とてこのような提案はせぬ。だが……、違うのであろう? これから、人生の半分をかけてともにいきていくのに、おぬしは我のことを知らなさすぎるからな」
「なら、教えてよ。知らないことは、これから知ればいいじゃないか」
 確かに、心はまだふらついている。けれど、カインは「やっぱりやめる」と簡単に放棄できてしまう程度の覚悟を決めたつもりもない。
「おれがそばにいてほしいのは、笑顔を見たいのは、きみなんだ。ほかのだれかじゃ……意味がない。それに……」
「……なんだ」
「きみだって、ほんとはおれに戻ってほしくないんじゃないの」
 これを告げるのには、勇気が必要だった。否定されたら、傷つくことがわかっていたからだ。しかし、言わずにはいられなかった。これから新たな旅を始めるにあたって、互いのきもちを確認しておくのは重要な事柄だし、避けるのは得策ではないとカインは判断した。
「……ああそうだ。そうだとも。我は、おぬしがあの娘を突き放し、我を選んだことに……ほの暗いよろこびを感じてしまった。自分がそんな、穢らわしい感情をいだくものだと、知りたくはなかったのに」
 ずっと、泣きそうな表情をしたままの彼に、どうしようもなく愛しさを覚えた。
 細い体に覆い被さり、くちびるを寄せると一瞬ためらうような雰囲気が伝わってきたが、それを無視して口づける。すると、おずおず背中に手を回され、カインはめまいがするほどの多幸感に襲われ、しばらくラビットを離せなかった。
「ラビット……、おれは、きみがすきなんだよ。だから、一緒にいくんだ。……どこまでも」
「カイン……」
 これが、女性に向けるような恋情であるのかはよくわからない。だが、ひとつだけ確かなことがある。
 自分は、彼のことを愛しているのだ。きっと、海よりも深く。
「髪の色を変えたら、ふつうの……どこにでもいる旅人と見わけがつかなくなるんじゃないかな。そうしたらたぶん、ただの『カイン』と『ラビット』として、気楽に世界を回ることができるよ」
「……我が、魔法をかけてやろう。何色にする?」
 そうだなあ、とすこし悩んで出した答えは単純明快。
「赤かな」
「赤?」
「そう。おれ、きみのその紅い目が……すごく好きなんだ」
 赤は血や魔物を彷彿とさせるから苦手だというひとは多い。カインも、ラビットに出会うまでいい印象をいだいていなかった。けれど、今は違う。彼の瞳が、あまりにもうつくしかったから。変な先入観は吹き飛び、あとにはただ感動だけが残った。
「……もう、寝ようか」
「ん、そうだな」
 熱烈な告白をしてしまった気がして今さら恥ずかしくなったカインは布団に入りなおし、すこし迷った末にラビットと手を繋いだ。
 こんなことで安心するなんて、まるで子どもみたいだ。
 そうおもいながら、緩やかに瞼をおとす。
 朝目覚めたとき、このぬくもりが自分から離れていないことを願いつつ、カインは夢の世界に沈んでいった。


 窓から溢れるまばゆいひかりに顔を照らされ、小さく唸って目を覚ましたカインは、慌てて自身の隣を確認した。すると、静かな寝息をたてて眠るラビットがそこにいて、心底安堵した。
 お互いがお互いを信頼しきれていないこの状況はつらいが、しかたのないことだともわかっている。
「ラビット……」
 ほっとし、一粒涙を零したその後、笑顔をつくって彼を起こした。
「起きて。朝だよ。村のひとたちにきのうのお礼を言って、おれたちにできることを手伝おう」
「う……ん……。もう、朝か……」
 真っ白な雪に陽射しが降り注ぎ、そのまばゆいひかりが反射するかのような自然な輝きを放つラビットに見惚れ、もう何度目かもわからない感動をいだきながらカインは挨拶をした。
「おはよう、ラビット」
「……おはよう、カイン」
 同じ言葉が返ってくる幸福を噛みしめ、ふたたび湧きあがる涙をなんとか押しとどめ、微笑む。
「ここを出たら……次はどこにいこうか」
「どこでも……おぬしのいきたいところに向かえばいい」
「うん。ありがとう」
 終わるはずだったふたりの旅は、もう一度始まる。四十年という、長いような短いような期限つきで。
「着替えたね? じゃあ、いこう!」
 手を伸ばす。その手を、彼がとる。そんなささいなことにもしあわせを覚えながら、カインは歩き出した。
――ラビットも、自分と同じきもちでありますようにと願いながら。




End.

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