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「できないよ……」
 震える指先で、彼のひんやりとしていて冷たい皮膚にふれる。
「おれには、できない」
 おもいでとともに、涙が溢れた。
 つらいことはたくさんあった。けれど、リドルとの旅の道中、「逃げ出したくなること」は一度もなかったのだ。
 彼だけが、勇者という存在に救いを与えてくれた。彼となら、痛みをわけ合うことさえできる気がした。
 ここで魔王を倒しても、「しあわせ」にはなれるだろう。でも、きっと一生後悔する。どうしてあのときリドルに手をかけたのかと、ほかの道はなかったのかと、ふとした瞬間悩まされるに違いない。
 そもそも、カインは歳をとる。ずっと一緒にいるなんてできない。それがわかっているからこそ――、この短い人生を、自分の選んだ相手とともにいきたかった。
「また、ふたりで旅がしたいんだ。死ぬまできみと……、どこまででもいきたいんだ」
「カイン……」
 困ったように眉を寄せるおとこのうつくしい顔を霞む目でぼんやり見つめていると、妙案が頭の奥でひらめいた。
「そうだ……そうだよ、リドル!」
 我を忘れて彼の肩を掴み、ぐっと顔を近づける。
「な、なんだ、どうしたのだ、」
「きみ、死ぬのあと四十年くらい待てない?」
「は?」
 ぽかん、といった効果音が似合いそうな顔をする魔王に、カインはひとつまばたきをしてたまっていた滴を頬につたわせ、ほとんど脅迫のような言葉を告げた。
「あと四十年我慢してくれたら、きみを殺してあげる。でも、それまでは……おれと、旅を続けて。誓いを果たしてくれたら……、きみが一番気に入った場所で、この刃をきみの心臓に突きたてると約束するよ」
 唖然として固まってしまったリドルにカインは焦るも、これ以上の妥協はできそうにない。
「お願いだ、リドル。うんって言って。うなずいて。おれはきみを……失いたくない。きみと送ったかけがえのない日々をまた、この手で掴みたいんだ」
 緩やかにさがった腕から、そっと剣を外して床に放り投げる。そして、返事を待つこと数分。ばくばく、心臓が喉から飛び出そうなほど激しく鼓動する中、大爆笑が室内に響き渡った。
「は、え、リドル……?」
「あははははっ! は、はは、っく、だめだ、笑いが……っ、は、はぁ、勇者といういきものは、とんでもないことを考えるな。……だが、そうか。それが、おぬしの出した結論か……」
 荒くなった呼吸をととのえ、うっすら笑みを浮かべると、リドルは「よかろう」と口にした。
「……っ、じゃあ!」
「ああ。四十年程度……、我にとってはまばたきをするような時間だ。それで死が確約されるのならば、よろこんでその提案を受け入れよう」
 全身が燃えるように熱くなり、感激に震える。細い体をきつく抱きしめ、カインはぎゅっと目をとじ泣くのをこらえた。
「ありがとう……! またきみと世界を回れることが、おれは心の底からうれしい!」
「……だが、ふたたび旅を始める前に、訪れねばならん場所がある」
「え? どこ?」
 カインの疑問に答えるべく、リドルはすこし寂しそうに微笑んで、小さくくちびるを動かし、囁いた。
――おぬしの、故郷だ。


 ****


「……カイン?」
「ほんとだ! カインだ!」
「おーい! みんな! カインが戻ったぞお!」
 村の入り口にリドルとともにルラルラで飛んできたカインは、すぐに顔なじみの村人たちに見つかりあれよあれよという間に家に押し込まれた。さすがに客人であるラビット――万が一魔王の名を知る者に出会ったらめんどうがおきると考え、偽名をそのまま使うことにしたのだ――に失礼なことはしていないようだが、なにかやらかしはしないかとひやひやする。
「まあカイン、お帰りなさい! ついに魔王を倒したのね!」
「サーシャが先にひとりで戻ってきたときは不安でたまらなかったが、こうして無事戻ってきてくれてほんとうによかったよ」
 両親と順に抱擁を交わし、「そちらのかたは?」という問いに「旅の途中、世話になった仲間だよ」と答えたのち、沈むきもちをなんとか押しあげカインは訊ねた。
「……サーシャは?」
「教会にいるわよ」
「すぐに会いにいく。でも、その前に……すこし話があるんだ」
 ふしぎそうに首を傾げる父と母を目にすると、迷いが生じる。
 ほんとうに、これでいいのか。まだ、ひき返せるんじゃないのかと。しかし、縋るように向けた視線の先にあった紅に射貫かれ、自身の意気地のなさに呆れると同時に覚悟が決まった。
「また、旅に出るつもりなんだ。……しばらく帰れなくなる。今日は、それを伝えにきた」
「旅って……、魔王を倒したのに? またすぐいくの? なんのために?」
 母の心配そうな表情に、つきりと胸が痛む。けれど、自分はもう選んだのだ。ラビットとその他すべてのものを天秤にかけ、彼ひとりを選んだ。――もう、ひき返すことはできない。
「ごめん…………」
「……ひきとめても、いくんだろう?」
「うん」
 ためらいなく返事をすれば、父はあきらめたように力なくうなずいた。
「あなた!」
「よしなさい。カインはわたしたちの手を離れて立派に育ったんだ。見送ってやろうじゃないか」
「でも、サーシャが……」
「これから、話をするよ」
 ふたりに見送られながら教会に向かうと、中には祈りを捧げる女性の後ろ姿があった。彼女が幼なじみのサーシャだと、カインはすぐにわかった。
「……サーシャ」
「……カイン? カインなの!?」
 振り向いた彼女はうれしそうな笑みを浮かべ、小走りになってこちらへやってきたかとおもうと、そのまま勢いよく抱きついてきた。
「ああ、わたし、魔王の魔法でひとり村に戻されてしまって……。あなたが無事か心配で、毎日かかさずお祈りをしていたのよ……」
 小さく、華奢で、守ってあげたくなるような可憐な女性。
 自分はサーシャのことが、確かにすきだった。しかし、今はそれ以上に、心奪われる相手ができてしまったのだ。
「……ごめん」
「え……」
「おれ、また旅に出るんだ。今日は……おわかれを言いにきた」
「なんで? どうして? いやよ、だって、結婚しようって……、魔王を倒したらふたりでしあわせになろうって、そう言ってたじゃない!」
 サーシャの言葉はすべて事実だ。だから、ただ謝ることしかできない。

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