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「魔物は……そんなに活発に動いているか?」
「え?」
「こちらの世界に戦争をするための拠点を築いている魔物がいるなど聞いたことがない」
 部屋に戻った途端に突拍子のない会話が始まったとおもったが、先ほどのやりとりでカインのきもちが沈んだのを察したラビットがなにかを伝えてくれるつもりでいるのだとわかると、言葉を交わす気分ではないと突っぱねるわけにもいかなかった。
「確かに今の魔王は昔討伐された魔王よりはおとなしいみたいだけど、みんな過去の出来事があるから怯えてるんだよ。大地の半分が侵略され、焦土と化した――千年前の悲劇が」
「…………」
「だから、人々はおれにはやく魔王を倒してほしいんだ。あの悲劇を再来させないためにも」
 若干考えて込む様子を見せたのち、「そういうことか」とラビットは理解を示した――かに見えた。が、実際は違ったのだ。
「だが、それはおぬしの都合ではない。魔王を屠るという役目を放棄することはゆるされずとも、人生を謳歌する権利はあるだろう」
「そりゃ、あるだろうけど……、それは魔王を倒してからじゃないと」
「もし、魔王の討伐に十年二十年とかかったら? おぬしは勇者という肩書きのために、長い年月をひたすらに戦い、過ごす覚悟があるというのか?」
 彼の言うことはもっともで、反論できなかった。
 十年二十年と、魔王討伐のために必死になれるとはとてもおもえない。旅の途中で息抜きをしながら向かえばいいなどと考えていたが、浅はかだったのかもしれない。
「……きみの言うことは、一理ある。でも、ああいうひとがいなくなることはないよ、たぶん」
「だから、それを気にせずに済むようにしろということだ。ぬしは、勇者にたまたま選ばれてしまっただけのふつうの人間だろう。もうすこし……肩の力を抜いてもよいのではないか?」
 どんな想いで彼がそれを告げたのはわからなかった。しかし、胸がしめつけられるようなくるしさに襲われた。わるい意味ではなく、だ。
「……っ」
 ぽろ、と目から溢れたものが頬をつたう。
 魔王を倒すことだけが勇者に課された使命だとして、だれもかれもがカイン自身を顧みることはなかった。――なのに。彼だけは、違う。そのことがひどくうれしくて、すこし悲しかった。
 ラビットになら、あまえてもゆるされるだろうか。
「じゃ、じゃあさ」
「ん?」
「ラビットに、おれがいきたいところについてきてほしいって言ったら……ついてきてくれる?」
 そんな台詞を投げつけられるとは予想していなかったのか、おとこは珍しく驚いたような表情をした。
「……場所によるな。我には、訪れたくない世界がある」
「たとえば?」
「……天界だ。天人(てんびと)らとは気が合わんのでな」
 この大地の裏側にあるのが魔界で、遥か上空にあるのが天界と呼ばれる世界だ。それぞれの世界では人間とは異なる種族が生活をしている。
 カインはとくべつ天界におもい入れがあるわけではないので、ラビットがいきたくないというなら、とあっさり天界にいくことをあきらめた。
「べつに、どこだってかまわないんだ。ただ……、きみとふたりできれいなものを見て感動を共有したいって、そうおもっただけだから」
「まあ……、考えておいてやる」
 白を象徴するようなそのひとがうつくしく微笑んだそのとき、すでにカインの涙は乾いていた。


 ****


 吹っ切れたカインは、修行にかこつけて世界中を巡ることにした。
 べつに、必要なアイテムや武器があるわけではない。だが、「魔王を倒すための秘宝がこのへんにあるらしく……」とてきとうなことを話せば、どの村も町も勇者を快く受け入れ、もてなしてくれた。
 うそをついていることに罪悪感をいだかないわけではなかったが、ただ闇雲に魔王を倒すためだけの旅よりも心身ともに充実していることは確かだった。
「たくましくなってきたではないか」
 笑ってそう言うラビットは最初から強かったために変化はほとんどなかったが、カインは違う。
 そもそも、会ったこともなくほんとうに「悪」なのかもわからない魔王の討伐になど、懸命になれるはずがなかったのだ。だが、それも自分のためとなれば力の入れようが変わる。
 ラビットとたくさんのうつくしいものを見るために偏狭の地へと向かうこともあったが、そこにいる魔物が強かったためにレベルをあげざるを得なかったという事態も多々あった。
 目標があったので努力は苦にならなかった。それでもやはり成長は緩やかで、大器晩成型というのは難儀だな、と自分自身に呆れるほどだった。
 そうして各地を回っていると、あることに気がついた。――というか、気づかざるを得なかったのだが。
 洞窟や森といった場所の最奥にいる、その地域の魔物の親玉的存在というのと毎度遭遇するのだが、それらは必ずしも敵意を向けてくるわけではないのだ。
 おとなしくしているから見逃してくれと命乞いしてくるものもいれば、命までは奪わないから立ち去れと慈悲を見せるものもいた。
 人間にも善悪があるように、魔物にもいいものがいる。わかっていたつもりでいたが、実際に体験するまでは理解できていなかったのだと悟った。
「きもちいいね」
「うむ……」
 そんなふたりは現在、東の大森林という森の中にある小さな村に滞在中だ。
 秘境の地にある温泉を求めてやってきたはいいものの、現地民以外は目的の場所にはとうていたどりつくことができないと言われている、大自然が産み出した迷路をなんのあてもなくさ迷うのは自殺行為に等しかった。だが、おもい出してほしい。カインは豪運の持ち主なのである。ここでもその能力は遺憾なく発揮され、狩りに出ていた村人を発見し、村まで案内してもらったカインとラビットは贅沢にも、毎日温泉に肩まで浸かっているというわけである。
「やばい……。おれ、老後はこの村で過ごしたいかもしれない。温泉やばい。最高」
「わからんでもない。わからんでもないぞ、勇者よ……」
 お湯に入ったら一瞬にしてとけてしまいそうな見た目をしているラビットは、意外にも温泉を気に入っていた。
 細い体と長い髪を頭の上でまとめた姿は一瞬おんなと見間違えてしまうようなものだったが、おとこだとわかっていても彼の裸を初めて直視した日、カインはどうしようもなくどぎまぎした。老若男女を虜にする色気が、ラビットには備わっていたのだ。
 傷ひとつない、真っ白でなめらかな肌は、ところどころに切り傷があるカインのものとは大違いだった。

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