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 雪が、降っているのかとおもった。そして同時に、血が舞っているのか、とも。
 その白と赤はゆっくりと近づいてきて、こう言った。
「――おい、我がだれだかわかるか?」
 そこでようやく、「それ」がひとであることに気がついた。
 霞んでいた視界が徐々に晴れてくると、ただただ目を見ひらくことになった。
 目の前にいたのは、あまりにもうつくしいおとこだったのだ。
 白く長い髪に、血のような色をした赤の瞳。真っ白な肌は雪のようで、漆黒のローブととんがり帽子を被った、まるで人間ではないようなぞっとするほどの美人がそこにはいた。
「聞いておるのか、勇者よ」
「……ゆう、しゃ?」
 ぺちぺち、頬をたたかれおもむろに体を起こすと、彼は「ううん」と唸って衝撃的な事実を告げた。
「おぬし、記憶を失っているな?」
 唖然とする自分に、その人物は鏡をさし出す。おそるおそる覗き込めば、そこにあったのは漆黒の髪と目。――まぎれもない、勇者の証。この世界に黒髪黒目はひとりしかいない。それが、魔王を倒すことができる唯一の存在、勇者なのである。その勇者が、自分――?
「我はぬしとともに旅をしていた魔法使い。先ほどの魔物との戦闘で足をすべらせ転倒した際に、記憶がすっぽり抜け落ちてしまったのやもしれぬ。回復するまでしばし、ここを離れるぞ」
 すぐそこにあるおどろおどろしい城は、明らかに難易度の高いダンジョンだった。記憶喪失だかなんだかわからないが、最高のコンディションのときに挑むべき場所だということはいやでも感じとれる。魔法使いの助言に従うとうなずいてみせた。すると、すぐさま彼が呪文をとなえ、ひかりに体が包まれる。その輝く粒子におもわず目を瞑ると、一瞬の浮遊感ののち、地面に立っている感覚がした。そっと目をひらけば先ほどとはまったく異なる風景がひろがっており、彼が転移の魔法を使ったことがわかった。
「ありがとな……って、あれ、そういやまだ名前聞いてなかった」
「そうだったか?」
「うん。……忘れてごめんな。改めて、魔法使いのことはなんて呼べばいい?」
 ごめんな、と謝った際、困ったような、切なげな、言葉では表現しがたい表情を浮かべた彼に、胸がちくりとした。だが、そんな同情を誘うような顔をしていたのはその刹那のみ。魔法使いはいいいたずらをおもいついた子どものような無邪気な笑みを浮かべ、逆に問うてきた。
「我の名、なんだとおもう?」
 わかるはずがないだろう、と困ってみせても彼はこちらがそれに答えないと正解を教えてくれる気がないようだったので、てきとうにそれらしい名前を口にした。
「――ラビット、とか? きみ、白いし」
「……ラビット。ラビット、か」
 大切なものを繰り返すように二度、その名を紡ぐと彼はにこりと笑って言った。
「そう、我はラビットだ。よろしくな、勇者カインよ」
「あっ、え、よ、よろしく……?」
 握手を求められたのでそれに応じる。魔法使い改めラビットの手は、とても冷たかった。しかし、ふしぎと安心感がある。
「――とりあえず、今日はこの村で宿をとろうか」
 木の柵で囲まれている村に、視線を向けた。そうだな、と首肯した彼にほっとしながら、急ぐことなく歩みを進めた。――こうして、なにひとつわからぬまま勇者の旅は再開された。




 魔法使い――ラビットは、自分にはあまりにももったいない人物だった。
金をやたらと持っているし、なにより強い。めちゃくちゃに強い。勇者であるカインの比ではないほどに。
 なにがどうなってパーティーを組むことになったのかと訊ねると、「酒場で出会って一緒に魔王を討伐しにいかないかと誘われた。勇者の誘いを断れる者など、ここ世界にはおらぬだろう?」ともっともらしい答えが返ってきたのだが、カインはなんとなくそれが真実だとはおもえずにいた。だからといって、おとこが敵だとも考えにくい。もしも魔王の手先であるならば、自分がダンジョンの前で意識を失っていたあのときに、ラビットはとどめをさしてしまえばよかったのだから。
 彼が勇者に危害を加えることはない――
 それは根拠なんてひとつもない、ただの勘だ。なのに、なぜかそれはカインに絶対の自信をいだかせた。
 ただし、危害を加えてこないのはラビットに限るわけであって。当然、モンスターからは襲われる。そして、雑魚はともかくちょっと知能を持ったやつになると、弱いやつから先に倒しちまおうぜ! という発想をごく自然にやってくるため、カインは外を歩くたび、へろへろになっていた。しかも、ラビットは魔法は超高等のものもなんなく使うくせに治癒魔法はいっさい使用できないらしく、道具での回復か武器の追加効果、マジックポイントを譲渡してもらい自分で治癒魔法を使う等、回復方法が限られているのだ。
 僧侶をパーティーに追加したいという想いは日に日に増していく。
――だが、それはかなわなかった。なぜって? ラビットがいたからだ。彼は協調性というものが皆無だった。というか、旅のメンバーを増やすことに反対しているようなのだ。実際にはっきり言われたわけではないが、態度を見ていればそれは明らかだった。
「困ったなあ……」
 そう。カインは困っている。実際問題、僧侶をパーティーに入れるべきなのだからそれに不満があるラビットとわかれるのが最善手のはず。たとえ彼がどんなに強くとも、勇者である自分にしか魔王は倒せないのだし、死ぬわけにはいかないのだ。蘇生魔法――と実際に死人を蘇らせることができるわけではなく、瀕死の状態から回復する魔法のことだ――を使用できる人物がいるかいないかというのは、比べるまでもなく大きな違いだ。僧侶はそれが使える。仮に今は使えずとも、修練をつめば使えるようになる。だから、絶対に仲間にしたいのだ。
 だというのに、ラビットの手を離してはいけないと本能が叫ぶ。そのせいで、カインは五つ目の村や町を訪れたところだというのに、未だに彼とふたりきりで旅をしていた。
 というか、そもそも。ラビットが治癒魔法を使えるようになれば、すべての問題が解決するのだ。
「なあ、ラビット」
「なんだ」
「きみ、治癒魔法修得できないの?」
 その質問に、おとこはあっさり「むりだな」と答えた。
「我とあれは相性がわるい。だが……そうだな、蘇生魔法なら、なんとかなるやもしれぬ」
 蘇生がいけるなら治癒もいけるんじゃないの? という言葉はなんとか呑み込む。治癒系は自分が使えるのだからと妥協することにした。

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