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「……まず、役割の相談がいるだろ」
 苦虫を噛み潰したような表情で、先生はそんなことを言う。役割なんて自分が受けだと決まっていると勝手に決めつけていたので、混乱した。
「えっ」
「なんだよ」
「先生、まさかネコ……?」
 うなずかれたらどうしようと冷や汗をかいていると、「違うけど」と否定されて心底ほっとした。
「じゃあなんで、」
「おまえ、女役がいいのか?」
「……べつに、どうしてもそっちがいいってわけじゃないですけど、でも、あの、おれ、先生を抱くのとか想像、できないから……」
 女役でいい。蚊の鳴くような声で告げれば、先生はますます眉間のしわを深くする。なんなんだ、このひとはおれと、そんなにしたくないのか。
「そういう顔すんな」
「そういう顔ってどういう顔ですか」
「『今すぐ抱かれたい』みたいな顔だよ」
「……だめなんですか?」
 必死なのはこちらばかりで、悲しくなる。視線を下におとすと、「じゃあ聞くが」と頭上でため息をつかれた。
「なんの用意もしてない状況でおっ始めたら慣らすときにケツの穴舐めることになるけど、いいのか?」
「けっ……!」
 ちょっと薄めのくちびるから発された衝撃的すぎる台詞に絶句したのち、おれは敗北を認めた。
「……お互いのために、日を改めましょう」
「わかってもらえてなによりだ。……金曜日の放課後、またここにこい」
「え……」
「必要なものは準備しておくから」
 予想外の誘いに胸が跳ねる。金曜日って、次の日のことを心配してのことなのか。ああもうくそ、先生、ちゃんと先のこと考えてる。これがおとなの余裕ってやつ?
「…………はい」
 週末が、いつにも増して楽しみでしかたなかった。
 それ以降のおれは、そりゃあもうひどいものだった。寝ても覚めても金曜日のことばかり考えていて、初めての彼女で童貞捨てる男子学生のようだった。比喩的な意味で。
 名誉のために言っておくけど、おれは人生発のセックスをするというフラグがたったときすら、こんなふうにはならなかった。すくなくとも今よりはずっと余裕があったのだ。
 どうしよう、と慌てたり悩んだりするのは相手が鬼頭先生だからなのかな、とおもう。
 あのひとがすきだ。自分のきもちに気づいていないふりをするのができなくなってしまうほどに。いつの間に、こんなに感情が膨れあがっていたのだろう。
おもえばずっと、彼はおれのことを気にかけてくれていた。外部生だったからかもしれないけど、ほかの生徒たちよりすこしだけ。それに優越感なんていだいたことはなかったはずなのに、今はそれがむくむくと湧いてくる。
 恋愛ってきれいなものばかりじゃない。知っていたはずなのに、後ろめたくなるのは卑怯な手を使って彼の心を手に入れたからだろうか。
 それでも、いやなのだ。だれにも譲りたくない。あきらめたくない。せめて先生が正気に戻るまでのあいだだけでも、恋人でいさせてほしかった。
「まさか、ケツを掘られるのを心待ちにする日がくるとは……」
 ノンケだったはずなのになあ、と遠い目をしても逸る想いはどうにもならない。
 あと数日しかないけれど、お尻、すこしは弄っておいたほうがいいんだろうか……
 約束の日までの数日を、おれは心底くだらない煩悶を抱えつつ過ごした。
――そして、きたる金曜日。
 表面上はなんとか平静を保っていたつもりだったのだが、あのひとには心の内がばればれだったらしい。放課後にダッシュで数学研究室へ向かって先生のそばに寄ると、丸めた教材でぽこりと頭をたたかれた。
「おまえ、今日一日上の空だっただろ」
「うっ……、す、すみません」
 上の空だったのは今日だけじゃありませんでした、と自白はしない。煩悩が消えるまで禁欲しろなんて言われたらたちなおれないので。
「まあいい。……ついてこい」
 立ちあがり、奥の部屋に繋がる扉の鍵をあけると、先生はおれをその中に招いてくれた。
「えっ、なにこれ!」
 つい、叫んでしまう。だってそこには、想像もしていなかった光景がひろがっていたのだ。
「教師は生徒の寮にいけないし、生徒も教師の寮には入れないからな。救済措置みたいなもんらしい。まあ、忙しいときに泊まり込みで作業することもあるから、今まではそっちの理由で重宝してたわけだが」
 目の前にあったのは、完全なるプライベートルームだった。ソファーやテレビがあるし、たぶんもっと奥にはベッドもあるのだろう。
 ていうか、教師と生徒が交際に発展したときのための救済措置って。王道学園の偉いひとたちは考えることが常人とは違う。
「ひろくはないがシャワールームもある。使いたければ使ってこい」
「い、至れり尽くせりですね……」
 校内はどこもかしこも空調がしっかりきいているのでそこまで汗くさいということはないはずだが、やはり体臭は気になる。お言葉に甘えて体を清めさせてもらうことにし、案内に従って部屋を横断した。
 どこになにがあるかの説明を受けたあと、脱衣所ではたとする。
 先生と同じシャンプーやらボディソープやらを使ったら、同じかおりになる……?
 どぎまぎした。これからもっといやらしいことをするのに、今からこんな状態で大丈夫なのか不安になる。
 烏の行水か、というはやさでシャワーを終えると、リビングでプリントをぺらぺらめくっていた先生の横の狭いスペースにむりやり尻を捩じ込むようにして座ってやった。それから、肩に頭を乗せる。すると、やさしく髪を梳かれて羞恥に悶えそうになった。
 このひととあまったるい行為をすることに、まだ多少の抵抗がある。だけど、それとセックスはべつ問題だ。
 こっち見て、という想いを込めてじっと端正な横顔を見つめていると、呆れたように息を吐き出した先生が髪を掻きあげた。
 びく、と怯えるように震えてしまったが、それについて言及されることはなかった。代わりに、「おれもシャワーしてくるから、待ってろ」と告げられた。
「あ、はい」
 素直にうなずいて、のそのそと動く背中を見送った。
 やる気満々な自分とは反対に、乗り気ではなさそうな鬼頭先生にしょんぼりする。膝を抱えて悶々しているとそれなりに時間が経っていて、頭上から声がかけられた。
「なにしてんだ? 寝室いくぞ」
「あっ、は、はやかったですね」
 そう反応を返しても、眉を寄せるのみで返事をしてくれない彼に涙がこみあげてくる。
 これから抱き合うって雰囲気じゃない。
 性行為は、お互いがしたいとおもったとき、合意を得てするべきものだというのがおれの持論だ。だから、あきらめるしかなかった。

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