「……おれ、この家にうまれてからずっと、大切にされてきた自覚はある。ふたりがいなくても、寂しくないようにって、桂田やほかのひとがついててくれた。でもやっぱり、おれ、小さいころ、ほんとうはずっと、父さんと母さんにそばにいてほしかったんだ。だからおれは、たとえ宝が望んでいなくても、あの子のそばになるべくたくさんいてやりたい」
沈黙したのち、母はぽつりと零した。
「そうね、あなたは昔から、わがままを滅多に言わない子どもだったわ……」
泣き喚いて、寂しいと、一緒にいてと叫べば、両親はなんとか時間をつくってくれたのかもしれない。しかし、透自身が彼らに面倒をかけることを望まなかったのだ。それがよかったのかわるかったのか、今でもわからないのだけれど。
「宝はあなたたちの子です。反対なんてしません。仮に辰郎さんに反対されても、わたしが説得します。必要とあらばアドバイスやサポートもさせていただきますので、いつでも仰ってくださいね」
「……はい、ありがとうございます」
家にも頻繁に顔を出すことを約束すると、母は「長々お邪魔してしまってごめんなさいね」と言って退室した。
ふたたびふたりきりになった空間で、透は若干居心地がわるくなっていた。
――政貴があんなふうに、将来のことをきちんと考えていてくれたなんて。
うれしいが、すこし複雑でもある。このおとこは、ずっと前にいる。年齢の差はどうやったって埋めることはできない。周りからどんなに持て囃されていても、やはり自分はまだまだ子どもなのだとおもい知らされた。
「先生……」
近づき、そっとスーツの袖口をひっぱる。すると、彼はなにも言わずに抱きしめてくれた。
「いろいろ、考えてくれてたんだな、……ありがとう」
「正直、わかんねーことだらけだ。家事はおれもできるけど、子どもに関してはおまえに任せきりになるかもしれねえ」
それはかまわないけど、と返してから、確認するように訊ねる。
「……やっぱり先生、やだった? おれが、子ども産んだの……」
「なんでそうなる。べつに、いやじゃねえよ。ただまあ、自分が親になるってことに、戸惑ってはいる」
子どもを育てるのは、当然どちらも初めてだ。なにもかもがうまくいくはずないし、躓くことだってたくさんあるだろう。でも、政貴とふたりならばどんな困難だって乗り越えることができると、そう信じている。
「……あと一年か」
「?」
あと一年が、なんなのか。不思議におもっていると、それを雰囲気で察したらしい彼がふっと笑う。
「おまえに、『せんせー』って呼ばれるの。名残惜しいような、そうでないような、複雑な気分だ」
「……せんせーって呼ばれるの、好きなのかよ」
意外だ、と内心驚いていると。
「セックスのとき、なけなしの背徳感が刺激されんだよ。それが、けっこういい」
――そんなことを、言われてしまって。
ああそうだこのひとはこういうひとだった、と呆れかけたとき、おとこは首の後ろをくっと押し、顔をあげるよう促してきた。
なんだ、とすこし上にある目に自身の目線を合わせる。
全身がとろけてしまいそうなやさしい表情がそこにはあって、顔面がじわじわ薔薇色に侵食されていくのが自分でもわかった。
たえきれず、視線を横に泳がせると、政貴は口をひらき、空気を震わせた。
「――来年、おまえがどんな声でおれの名前を呼ぶのか。楽しみにしてるからな」
返答する前に、唇を奪われた。
ぽわぽわしてしまい、まともなことを考えられなくなった頭で、透は。
先生の名前を呼ぶ練習、ちゃんとしておかなくちゃ。
――なんて、浮かれたことをおもったのだった。
End.
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