8.父と母


「透」
「、母さん」
「今日、あなたがお客さまを招いたと聞いたのだけれど」
 多忙で不在がちな父の代わりに、来客に対応するのは彼女だった。だからなのかはわからないが、母はほとんど外出をしない。パーティーがあるとか、家族で旅行をするだとか、そういうことがない限りは買い物もすべてほかの者に任せ、常に家を守っている。
 今日、折を見て政貴に会ってもらうつもりではいた。しかし、それは今、この瞬間ではない。もうすこしふたりで話をしたい――。そうおもっていたのに、察しのいい彼女は「……例の殿方ね?」と言って、中に入ってきてしまった。
「ちょっと、母さん!」
 政貴は突然の侵入者に驚いたような表情を浮かべたものの、挨拶をしようと席を立った。
「はじめまして、桐生政貴と申します」
「わたしは宮城霞(かすみ)。透の母です」
 お母さま、とおとこが瞠目する。母の外見はいやに若いので、そういった反応をするのもむりはない。実際、すこし歳の離れた姉に間違われることが多いのだ。
「話は、聞いています。単刀直入に伺います。あなたが宝の父親ですね?」
 なにを言い出すんだ、と透が硬直していると、政貴は「はい」と肯定してしまった。そして、彼は。
「事情を知らなかったとはいえ、ひとりのおとことして最低なことをしたと自覚しています。ほんとうに、申し訳ございませんでした」
 床に脚をつけ、ひれ伏すように謝罪をした。それを目にした瞬間、頭の中がぐちゃぐちゃになった。
 このひとはわるくないのに。ぜんぶ、自分が面倒事にしてしまったのに。
「やめろよ! あんたはわるくないだろ!」
 とり乱したことなんて、うまれてこのかたほとんどない。いや、もしかしたら初めてかもしれない。けれど、とまらなかった。政貴が責められるなんて、絶対にいやだった。
「……ふたりとも、なにを勘違いしてるのかわからないけれど、わたしたちはべつに怒ってなんかないのよ。こんなにはやく孫の見ることになるとは想像していなかったけれど、宝はとっても可愛いし、駆け落ちなんてされるよりずっといいって辰郎(たつろう)さんとも話していたの」
「じゃあ、なに……?」
 立ってください、と促され、その言葉に従った政貴は次の瞬間頬をぶたれていた。もちろん、母に。
「母さん!?」
「夫に、頼まれていました。もしも自分が不在のときに透のパートナーが挨拶にきたら、代わりに殴ってくれ、と」
 言ってることとやってることが違うではないか、と怒りに震えていると、彼女がこちらに振り向いた。
「……『なにもかもをゆるしてしまえば、逆にくるしくなることもある』」
「……?」
「辰郎さんが、そう言っていたわ。よくわからなかったのだけど、でも、あのひとのやることに間違いはないと、わたしは信じているから」
 わずかに赤くなった頬を指でそっと撫で、政貴は呟く。
「……お父さまは、よくわかっていらっしゃるのですね」
 よく、わからない。怒っていないなら、ゆるしてしまえばいいのではないのか。
「疎まれるとわかっていながらだれかを咎めたり叱ったりするのは、それでも相手のことを想い遣っているからだ。なんでもかんでもゆるすのは、ときに興味がないと切り捨てることと同義になる。おまえは自分ばかりがわるいとおもってるのかもしれないが、実際、非はおれのほうにあるんだよ。二度と近づくなと言われてもおかしくなかったし、罰を受けるのは当然のことだ」
 納得がいかない、という表情をしていたのだろう。呆れたようにため息をつき、彼は頭を撫でてくる。
「おまえはほんと、なんでおれみたいなのにひっかかったのか……。とにかく、大変なこととかをぜんぶひき受けようとするのはやめろ。そういうのは、ふたりでわけ合うんだ。そんで、お互いの負担が軽くなれば万々歳。よくわかんねえけど、そういうもんなんじゃねえの、夫婦って」
 つきあうとか、恋人になるとか。先のビジョンは、薄桃色のもやに包まれていてはっきりと見えることはなかった。しかし、政貴の言葉でそれがクリアになる。
 そうだ。もう、子どももいるのだ。恋がどうたらという次元の話ではない。
 透は政貴には到底至らない自身の未熟な思考を、恥じた。
「わるかった、よ……。すぐにはむりでも、努力するから、そうなれるまで……待ってて、ほしい」
 あたりまえだろ、と微笑まれ、安堵する。完全に母のことなど忘れていたところに、「やだわあ。ふたりの世界に入っちゃって」とからかうような台詞を放たれはっとする。
「でも、安心したわ。政貴さんは、透のことをとても大切にしてくれそうで。ねえ、よろしければ学校で透がどんなふうに過ごしているのか、お話ししていただけませんか?」
「はい、よろこんで」
 愛想のいい笑みを浮かべて母の申し出を受け入れるおとこの顔は、透が見たことのないものだった。
 あんな表情もできるのだな、なんて失礼なことを考えながら、なかなかやってこない桂田にもしやと扉をあけると。
「おや、透さま」
「わるい、もしかして母さんと話してるの知って、待っててくれたのか?」
「いえ、茶菓子を用意していたら遅くなってしまいまして。たった今きたところですよ」
 そう言う桂田が持っているトレーの上に乗っているお茶と茶菓子は三人ぶんある。ばればれの嘘に苦笑しつつ、室内に彼を通した。
 その後、母に学園生活のこと、政貴のことなどを根掘り葉掘り聞かれ、うんざりし始めたころに話題が先のことにシフトされた。
「……透さんと話し合ってからご相談しようとおもっていたのですが、せっかくの機会なのですこし、息子のことについてわたしの考えを述べてもよろしいでしょうか?」
 ええ、もちろん、と頷いた母に政貴は淀みなく自分の意見を伝えていく。
 透が高校を卒業したら、今借りているマンションで一緒に暮らしたいということ。そのとき、宝もふたりで育てたいということ。
 保育園に通わせ、時間になったら迎えにいく、そんなごくふつうの家族のような生活を、政貴は透と宝に経験させたいのだという。
「――もちろん、限界を感じたらご相談させていただきますし、保育園も友人がいる、安全が確認できていてマンションから近いところにします。大学に通う四年間だけでいいんです。ふたりで宝を育てる時間を、わたしたちにいただけませんか」
 すこし驚いたような表情を見せたが、母はすぐにそれをおさめて政貴の話に聞き入った。
 周りはうるさくなるだろうし、このまま宮城家で育てるほうが彼や自分にとって負担は減る。――けれど。
 たえきれず、透は言葉を挟む。




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