4.自分にできること



「――あいつが退学したって、どういうことだ」
「入ってくるなりそれ? きみ、そんな入れ込んでたの? あの子に」
 息を切らして理事長室へ飛び込んできた自分に、部屋の主――桃山恵一(ももやまけいいち)は呆れたようにそう言った。
 忙しいから朝礼には出なかったのにこれじゃ意味なかったかな、とぼやくおとこを無視して話をするようを促す。
「……むだ話をするつもりはない」
 彼とは腐れ縁というかなんというか、この学園に在学していたころからのつきあいなのだ。お互いの立場が変わっても、態度を改めることはなかった。
「……ぼくも、詳しくは聞いてない。ただ、宮城家から生徒たちの冬休み中に息子は病に伏している、学園をやめさせてほしい、そう連絡がきたんだ。あまりに急すぎるとはおもったけど、調べてみたらあの子、休みに入る一週間くらい前から自分がいなくなってもへいきなようにいろんな仕事を済ませて、しかも後続が困らないよう会長の仕事を役員にすこしずつ覚えさせてたみたいだね」
 一週間前という期間に心あたりはなかった。というか、顔を合わせる機会すらほぼなかった。
 なにがあったのか、透に話してもらえなかった。その事実が、政貴を怒りで震わせた。
「……逃げられるとおもうなよ」
 ほとんど独り言のように呟いたそれを恵一の耳は拾いあげたようで、わざとらしく「おお怖い」と肩を抱いている。
「お祖父様に頼るの?」
「クソジジイにだけはぜってー頼らねえ。ろくな交換条件出してこねえのわかってるからな」
 桐生といえば日本有数の名家だ。そこの三男坊としてうまれた政貴は、会社を持つことはないはずだった。しかし、最も発言権のある現会長、祖父が自分をいたく気に入っており、「会社は政貴に継がせる」と言い出したのだ。
 父も兄も猛反対した。けれど、出来のいい兄弟たちの中でも飛び抜けて政貴の出来がいいことは、明白だった。だからこそ、「おれは家は継がない」と早々宣言し、家を出た。ほんとうに、社長なんてものになりたくはなかったし、そもそも桐生が経営している会社にだって入るつもりはなかったのだ。
 そうして、祖父からできる限り干渉を受けないこの学園にやってきた。それでも恵一にとくべつ待遇を求め、理事長の持つものと同じブラックのカードを渡されたときは、彼に謝罪せざるを得なかった。「面倒かけた」と。
 結婚は、最大限の譲歩だった。
 そこまで自分に固執するなら、あんたの選んだおんなとの子どもをやる。だから、もう放っておいてくれ。
 そんな台詞を投げつければ数日後、祖父が見繕った相手のデータが山ほど送られてきた。そして、その中からてきとうに選択したのが今の妻だ。
 おとなしいし、文句も言わないし、あたりだったな、とおもっていた。子どもをつくれば後腐れなくわかれることができそうだと安心すらしていたというのに――。
「……変な話、きみがそんなふうにだれかに執着するのを見ることができて、ぼくはほっとしてる」
「もう、二度とねえよ」
「じゃあ、はやく捕まえないとね」
「ああ……」
 やっと、手に入れることができた感情だ。あっさり捨てることなどできるはずがない。
 愛だの、恋だの。今でも、そんなものばかばかしいとおもうけれど。
 ――必要だったのだ。彼には、自分からのその言葉が。
 次に会ったときには、間違えない。
 政貴はそう決意し、理事長室の大きな窓から、群青の絵の具をとかしたような色をしている空を見あげた。


 ****


 風紀委員長、森永篤実は戸惑っていた。なぜなら、今学園を騒がせている張本人から手紙が届いたためだ。
 凛としていて美しい字は、透にとてもよく似ている。
 封を切り、中身をとり出すとすぐに篤実はそれを読み始めた。
  ――そこには、目を疑うようなことが書き綴られていた。しかし、冗談だろうと笑い飛ばしてしまうのも難しい、たちのわるい話で。
 なぜこれを自分に打ち明けたのか――、疑問におもっていると、手紙が最後の一枚になった。
『どうしてこの話を自分にと、おもっているだろう?』
 まるでこちらの心情を読んでいるかのような描写にどきりとしつつ、文章を追う。
『おれが言うのもなんだが、今、学園は会長がいなくなったことで騒ぎになっているとおもう。おまえにうまくおさめてもらうために、真実を伝えたというのがひとつ。生徒たちにすべて教えることはできなくても、すこしの嘘を織り混ぜればそれっぽくできるだろう。あとは――』
 次の瞬間、篤実の目は大きく見ひらかれた。
『おまえが真面目なやつだって、知ってるから』
 どんなに飾っても、勉強をしても、なにひとつ透には勝てなかった。だから、自分があのおとこの視界に入ることなんて、絡んだとき以外にはないのだろうとおもっていた。――なのに、透は篤実のことを「真面目」だと称した。
 なにを見てそう感じたのかはわからない。確かに仕事は期限内にきちんと回すようにしていたし、学園内の事件を未然に防げるように見回りを強化するなど、自分が委員長になってから新しく始めたとり組みもある。――もしも、そういう部分を、見ていてくれたのならば。
「……かなわねえな、ほんとに」
 悔しいが、やはり透は会長になるべくしてなったのだと痛感させられた。そして、そんなおとこがいなくなったのだ。学園が混乱に陥るのも当然の結果だといえる。
 彼に信頼され、この事態の収拾を任されたのだから、きちんと遂行せねばならない。
 ――今まで抱いてきたやつらは、全員代わりだったんだって。ほんとうは、おまえと体を重ねたとき、めちゃくちゃ緊張してたんだって。すき、だったんだって。
 そう告げたら、なんて言葉が返ってきたのだろうか。
 もう、それを確かめるすべはないけれど。篤実はけじめをつけるために、心の中で透に伝えた。
 ――宮城透。おれは、おれの上にあっさり立ってしまう、憎らしくてたまらないおまえに憧れていたし、恋をしていた。さようなら。また、いつか会う日まで。


 手紙は、すぐに燃やした。だれかに見られるわけにはいかないからだ。そして、すぐに透がここを去った原因について、なんとか文章をつくった。
 何件か電話がきたが、軽く事情を話して部屋で仕事をさせてもらった。サボることも多々あるけれど、結局のところ一番仕事をしているのが自分だという自負はある。風紀委員長は忙しい。ほかの委員に仕事を任せているように見えても、実際は部屋まで――持ち出し可能の書類のみではあるが――を持ち返って夜遅くまで作業することもしばしばだ。しかし、生徒会長はこれの倍は大変なのではないかとおもう。そして、現在はその会長が不在なのだ。文句も泣き言も言っている暇はない。




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