5.透と政貴の始まりのこと




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 錦には、すきなひとがいた。
 余裕に満ちた話しかたと、からかうような、意地悪な内容の多い会話に初めは苦手意識をいだいていたのだが、ここぞというときにはきちんと「教師」の顔をし、時折さりげないやさしさを見せる、彼――政貴のことがすきだった。しかし、淡い恋は儚い花よりも呆気なく散った。
 一年生のころから生徒会の役員だったので、担任でなくとも接する機会は多かったし、自分のクラスの数学は彼が担当していた。
 昔、「遊んでいそうに見えて、桐生先生は生徒には手を出さない」との噂があった。実際、錦が告白したときに「一度だけでいいから」というなんとも惨めな台詞を告げたにもかかわらず、政貴は困ったように笑って「ごめんな」とそれを拒んだ。だから、その噂はほんとうなのだと信じて疑わなかった。だって、この学園で一番の美人は自分だ。それは自惚れではなくて、生徒たちからの評価である。
 人間は顔がすべてではないのかもしれないが、第一印象などは完全に顔がいいやつが人気を得るに決まっている。とくべつ親しい生徒がいない限りは、だれよりも優位に立っているのは錦だったはずなのだ。――なのに、「抱かれたい」ランキングで一位をとるほどの男前、透と関係を持っているとはどういうことだ。彼には「そういう」趣味があるのだろうか。
 ひとりで考えていても仕方がないと、錦は直接透に訊ねることにした。どうやってあのひとを誘惑することに成功したのか、と。
 透の話がまったく想像もしていなかった方向に展開されることなど、そのときの錦には知る由もなかった。




 衝撃的な場面を見てしまった翌日、生徒会の仕事を終えた錦は「すこし話があるのですが」と透に告げた。彼はたまっていた書類を片づけるために、ふだんよりも長めに残って作業をするつもりだったらしいが、今日はそれならはやめに切りあげるか、とデータを保存しパソコンをとじた。
 ほかのだれかには聞かれたくなかったので、自室に招いて茶を出した。透がそれに口をつけたのを見てから、あの、と声を発した。
「実は……、きのう、見てしまったのですが」
「は? なにを?」
「生徒会室に、私物を忘れてしまったので、とりにいったら、その……」
 聡明なおとこは、すぐに錦の言いたいことを察したようだった。
「あー……、見られてたのか。完全に油断してたわ……」
 弁明するつもりはないようだ。ならば、とたたみかけるように質問を飛ばす。
「なぜ、桐生先生とあんなことを? あのひとは、既婚者でしょう」
 透らしくなく、すこし視線をうろつかせたのち、彼はぽつりと呟いた。
「先生は、やさしいから。やさしいから――、おれを見捨てられなかったんだとおもう」
 どういうことだ、と混乱する錦の目を、いつもの強い輝きを放つおとこの瞳が捉える。
「聞いてくれるか? おれと、あのひとの始まりの話を」
 一瞬ためらったが、錦は頷いた。知りたかった。彼のことが、もっと。
 すでに振られているとはいえ、こちらはまだ恋心を捨てることができていないのだ。その話から、なにかを拾えたらとおもった。政貴に好かれるための情報を。
 ――それは、おれがまだ中等部にいたときのことだった。
 そう始まった回想に、すでに錦は首を傾げたいきもちでいっぱいになった。
 自分は初等部からいるが、透を知ったのは高等部からだ。実際、彼は外部生として高校からこの学園に通い始めたはずだ。
「そこらへんの事情についても、そのうちわかるから」
 表情に出ていたのかそう言って苦笑したおとこの顔は、すこしだけ政貴に似ていた。
 小さく頷き先を促すと、透はふたたび話を開始したのだった。



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