4.崩壊していく


 かしゅ、と小気味いい音をたててプルタブをあけ、無言でそれに口をつける。
 透は、コーヒーは無糖のものしか飲まない。これをくれた相手がそれを知っていることによろこびを覚えてしまう自分が、ひどく情けなかった。
「なんだ。この前のこと、まだ怒ってんのか」
 怒る、とはすこし違うような気もしたが、うまく説明できそうにないので問いを無視した。すると、ぐっと顎を強引に掴み持ちあげられた。
「……答えろ」
 視線が交わってしまう。その眼力に負け、「怒っては、ない」としぶしぶ返した。
「……ただ、せんせーの頭まじでおかしいんじゃねーの、っておもってただけ」
「おいおい、それはいくらなんでもひどいだろ」
 おかしそうに笑うのはそう、政貴。幸いにも孕むことはなかったが、可能性がゼロではないのに中に出すとはどういうつもりだったのか。
 このおとこには妻がいる。きっと、綺麗で気だてのいい、文句などつけようのない人物なのだろう。そうでなければ、このひとが独り身でいないわけがなかった。おんななんて面倒だ、女々しいおとこもきらいだ、エトセトラエトセトラ。暇になり、話題もなくなれば他人の気にくわないところを延々語るようなひとだ。結婚なんてしても、嫁ができた人物でない限りうまくいくはずがない。けれど、そんなふうに他人に興味をいだけること自体が透にとっては不思議で仕方のないことだった。
 政貴の中で「好き」に分類される人間はひと握りしかおらず、周りが「嫌い」で溢れていても、彼は「無関心」でいようとは絶対にしない。
 教師は、必ず生徒と、彼らの親と、同職のひとと、かかわらずにはいられない職業だ。ここは確かにふつうの学校よりもひとと接する機会はすくないかもしれないが、それでも教師という職が楽だとはおもえない。
 根本的に、「ひと」が好きなのだろう。だからこそ、「あのとき」の自分を放っておけず、ずるずる関係を持ち続けてしまっている。
 ――あーあ、おれ、これでも一応いい夫やってたんだけどなぁ。
 出会って間もないころ、おとこが口にしたその言葉が事実だったのかはわからない。でも、そう言って笑い、誠実さを捨てて不誠実な人間になり、それでも自分を救おうとしてくれた政貴に、透が惚れない理由などなかった。
 彼には恩がある。一生かかっても返し切れない、大きな恩が。だから、こんなところで余計なものを背負うわけにはいかないのだ。
「……あれから、体は?」
「変化なし。……まあ、心のほうはだいぶおちついたけど」
 時間を経て、現実から逃避していても仕方ないと前を向けた。ちゃんとしたおとこに戻る方法をなんとしても見つけ出すのだと、考えることができるようになった。
「おれ以外のやつとはしたのか?」
 なにを、とは訊ねずともその答えを導き出すことはこの学園の定期テストよりもよっぽど簡単だったが、素直に頷くのも癪で「さあな」ととぼけてみせる。しかし、政貴にそんな演技が通用するわけがなく。してないんだな、とにやにやされてしまった。
 ――した、とはもちろんセックスのことだ。このおとことすら今はしたいとおもえないのに、ほかのやつなんて論外だ。
「体、疼かねーの。そろそろ限界だろ」
 今まで一週間とあけずにだれかしらに抱かれていた体は実際、捌け口を探して熱を持て余している。でも、おんなの性器と変わらないあそこを見られるわけにはいかないし、欲望を発散させるためだけに性交するのはリスクが高すぎる。幸人ならば最悪、ばれてもだいじょうぶかもしれないとは考えているが、それでも膣への挿入はゆるさないだろう。
 このあいだの政貴との行為は、雰囲気に流されたというのもある。しかし、彼だったからゆるした、という部分も大きい。求められたら抵抗できる気がしない。なのに、ふだんは滅多に誘ってくれないくせに、こんなときだけこのおとこは悪魔のように囁いてくる。
「犯してやろうか、おまえん中、ぐっちゃぐちゃに」
 いつの間に回り込んだのか、背後から背中を覆うようにして耳に唇を寄せられていた。
 低く、蠱惑的な声に仮初めの女性器がはしたなく蜜を垂らした。ここで負けたらだめだとおもうのに、その意思とは逆に体はどんどん性交を受け入れる方向に傾いていく。
 ぴく、と動いた指が缶にあたり、透ははっとする。
 ――ばかか、おれは。ここで流されたらこのひとのおもう壷じゃねーか。
「遠慮しとく、っ」
 最後、わずかに声がうわずってしまったが、拒否することができた。自分にしては快挙だ、なんて自画自賛しつつおとこが離れるのを待っていると、「残念」と耳の裏を舐め、政貴は妖しく微笑んだ。
 このひとは、いやがっている生徒を強引に犯すほど相手に困ることはないのだろうし、そんなことをする人間でもない。だから、彼がひかなかったならば、それはすなわち透が「したい」と感じているということにほかならないのだ。
 ひいてくれてよかった、と安堵しかけた刹那だった。
「ひ、ぃっ!?」
 つつ、と股を撫でられ、隠しようもない驚愕を快感の混じり合った声音が洩れた。
「ぁ、なに、ばか、やめ……っ」
 口ではいやいや言いつつも、政貴にふれられている場所からじわじわ悦がひろがっていき、顔のしまりがなくなっていくのが自分でもわかった。
 チンポ挿れられたくてたまらない。犯して。助けて、先生。
 そんな想いが表に現れた、淫らな表情をしているのだろう。
「ほんとに、しなくていいのか?」
 縦に割れている、筋の部分を強めに刺激されれば、もう降参するしかなかった。こんな懇願したくないのに、唇が勝手にひらいて音を外に吐き出してしまう。
「ぁ……、せんせぇ……っ、そこ、マンコ……、めちゃくちゃに、犯され、たい……っ」
 よくできました、と笑って口づけてくるおとこに、透は体を明け渡した。


 その後、一時間以上もいやらしい行為に夢中になっていたふたりは、ここが限られた者しか踏み入ることのできない部屋だということが油断を誘い、とある人物がやってきたことに気がつかなかった。
 彼は、音もたてずに扉をあけ、そこにひろがっている光景――、政貴に後ろから突きあげられ、デスクにしがみついて卑猥な言葉を吐き、喘いでいる透を見て、唖然としたのちにすぐさまドアをしめて踵を返し、走り出した。
「うそだうそだ、うそだ……っ」
 生徒会役員の部屋が並ぶフロアへとたどりつき、まるで呪文のように同じ台詞を繰り返しながら自室へと駆け込んだのは、生徒会副会長――花倉錦。
 ――変わることなどないとだれもがおもっていた日常は、とどまることなくすこしずつ崩壊に向かっていたのだった。




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