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 ひそひそ囁き合っている彼らは、自分の耳を信じるならば「なんで副会長が……」「あの黒いの、なんなの?」などという会話をしているようだった。まあ、恵都とは今日限り接する機会はないだろうし、この見た目ならばだれも好き好んで近づいてくることはないだろう。
 エレベーターが一階に到着する前に、棗は言った。
「今日はありがとうございました。部屋には自分でいけるので、案内はここまででけっこうです」
「どういたしまして。……それじゃあまたね、棗」
 またね、とはどういう意味なのか。それから、なぜ名前呼びなんだ。
 聞きたかったが、踵を返して遠ざかっていく恵都をひきとめてまで知りたいわけでもなかった棗はそのまま、ポーンと音をたてておりてきたエレベーターに乗った。
 七階のボタンを押して、自室に向かう。
 到着した階は左右にずらりと部屋が並んでいて、やはりホテルのようだった。番号を確認しつつ部屋を探すと、それはすぐに見つかった。
 勝手に入るのはまずいだろうかとインターホンを押してみるも、部屋の主は現れない。ならば仕方ないか、と先ほど受けとったカードキーを扉の横にあるさし込み口にスライドさせ、指紋を認証するパネルに指をあて、鍵をあけて中へと入った。
 靴を脱ぎ、左右にあるドアと目の前にあるドア、どれからあけようか迷ったのち、正面にあるそれを押した。
「……あ? おまえ、だれ?」
 リビングらしきそこで、ソファーに座ってテレビを眺めつつ、スナック菓子をばりばり食べているこのおとこがどうやら同室者らしい。
「……編入生の高宮棗。よろしく」
「あー、そういやそんなんくるって聞いた気が……。無視してわるかった。おれは埜田雷貴(のだらいき)。ま、てきとーによろしく」
 雷貴と名乗ったおとこは、灰色の髪に赤のメッシュを入れ、長ったらしい前髪を左側に流している不良のような外見の美形だった。
 恵都といい、この学園には顔がととのっているやつが多いなとおもいつつ、あたりを見回す。
「おまえの部屋は右な」
「ん、わかった」
 扉をあけて、ベッドや机の位置を確認した。
 勉強するためのデスクのひき出しをあけると携帯電話がおいてあり、これを用意したのがだれなのかすぐにおもいあたる。操作のしかたなど知らないが、てきとうにボタンを押しているうちに覚えるだろう。
 電話帳らしきものをひらけば、そこには忍の名前があった。これをこんなところに入れておいたのはやはりあのひとだったか、と呆れつつもありがたく使わせてもらうことにし、それをポケットにしまい込んだ。
 床には茶色の箱がおいてある。棗が家から送ったのは、この小さな段ボール一箱だけだ。ぐっと真ん中を押してガムテープを破り、そのままふたをひらけぱ棗の大切なものたちがそこにはつめ込まれていた。
 かつての仲間たちのことを想うと、胸があたたかく、そして苦しくもなる。
 中からトランプが入っているケースをとり出し、プラスチックのそれを指先でやさしく撫で、棗は呟いた。
「……待ってて。すぐに、会いにいくから」
 ――最後に記憶に残っている、苦しそうな、悲しそうな彼の顔をはやく、だれもかれもを魅了する笑顔に塗り替えさせてほしかった。


 コンコン、とノックをされ、「はい」と答えれば「そろそろ飯食いに食堂いこうとおもってんだけど、おまえ、どうする?」と訊ねられた。すこし躊躇ったのち、いく、と立ちあがり、ドアをあけた。
「あー……、おれといくと面倒なことになるだろうけど部屋が同じな時点でもう手遅れな気もするし、我慢してくれ」
 棗にはなにがなんだかわからなかったが、雷貴は悪いやつではなさそうだし、頷いておくことにする。
 部屋を出て食堂に向かい、あけ放たれている大きな扉をくぐれば歓声があがった。
「埜田さまだ……!」
「やあん、今日もかっこいい……!」
「やだ、ぼくお化粧してない!」
 意味のわからない台詞があちこちで飛んでおり、雷貴はそれらに心底いやそうな顔をしつつ、席を探した。その間に、棗も話題にあがった。
「あのもじゃもじゃなんなの……?」
「オタクの分際で埜田さまに近づくとか信じらんない!」
「あんなやつのそばにいたら埜田さまが汚れちゃう!」
 ひどい言われようだ。棗は決してオタクではないし、そもそもオタクを貶すような発言もどうかとおもう。それに、そばにいるだけで汚れるとはどういうことか。最低限、体は清潔にしているつもりなのだが。
「はあ……。わりいな、やな気分にさせて」
「……? べつに雷貴のせいじゃないだろ。周りが勝手に騒いでるだけだ」
 それは、棗の本心だった。しかし、雷貴は自分が責められても仕方ないとおもっていたのか、わずかに目を見ひらいて驚くような仕草をした。そして、照れくさそうに「ありがとな、……棗」とはにかんだ。
 端のほうはあいていなかったので、しかたなく奥よりの、中央から離れたところにふたりは腰をかけた。
「注文のやりかたわかるか? もう聞いてるかもしんねーけど一応説明すんぞ」
 知らなかったので助かる、とおもいつつ頷けば、雷貴は話し始めた。
「どのテーブルにもメニューが見られるタッチパネルの機械がおいてあるから、これ見て食べたいもん決めて、カードと指紋をかざせばそのうち料理がくる。好きなもん選べ。今日は入寮祝いとしておれが奢ってやるよ」
 説明を聞き、じゃあ遠慮なく、とメニューを見てオムライスセットを頼んだ。雷貴はハンバーグセットにするようだ。
 注文が完了しました、という文字が画面に出てきたのであとは待つだけだった。
「棗って、物怖じしないタイプなんだな。見た目からはぜんぜん想像つかねーけど」
「そういう雷貴も、不良みたいな外見してるのにやさしいじゃん」
「ぶはっ! おれがやさしいとか、ねーわ」
 そんな会話を交わしていると、雷貴の背後で足をとめるおとこがいた。
「雷貴、そいつだれ?」
「なんだ、蓮二か」
 蓮二というらしいおとこは棗を一瞥し、「もしかして同室になった編入生?」と言った。
「おー。こいつ、高宮棗っつーの。棗、こっちの黒髪は芦塚蓮二(あしづかれんじ)。おれのダチ」
「……よろしく」
「…………」
 ふだんならば、値踏みするような視線を向けられればいやな気分になる。だが、今日はそれよりも驚愕が勝った。
「……ジャック?」
 棗は、知っていた。彼のことを。
「なんで、その名前――、」
 こちらを警戒し、睨んでくる蓮二に自分はジョカだと告げようとするも、ここでその話をするのはまずい。
「……夕飯食べたあと、時間あるか? 部屋で話そう。雷貴も、よかったら一緒に」
 同室者にまで素顔を隠すのは難しいだろうし、変装していることはそのうち言うつもりだったのだ。それがはやくなったからといってとくに問題はないだろう。
「おれはいいけど……」
 戸惑うように棗と蓮二のふたりへ視線を交互に移す雷貴にため息を零し、蓮二は棗の提案を受け入れたのだった。
 ――だれが、予想できただろう。
 この三十分後、蓮二が棗に勢いよく土下座をかますなどという、とんでもない未来が待っているということを。


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