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 こちらが徹底的に避けているのに、向こうはむしろ接触しようとしてくるわけで。
 逃げるのにも限界があって、頻度はそこまで高くないが役員に捕まることがあった。しかし、だれに絡まれてもそこに本気の色は感じなかった。
 それぞれの親衛隊から睨まれるようになり、結局危惧していた展開に発展してしまったわけだが、それよりも大きな問題が棗の前に立ち塞がっていた。
 自室のリビングにある机の上にひらいた問題集を解こうとしても、それらは暗号にしか見えなかった。雷貴はせっせととり組んでいるというのに。
「…………どうしよう、ぜんぜんわかんない」
「なんでだよ。おまえ、ここの学園に外部からきたんだろ? 編入試験てめちゃくちゃ難しいって聞いたぞ」
「試験とか受けた記憶ない。……もしかしたら、叔父さんが手を回したのかも」
 最低限の常識しか教わっておらず、知識は部屋にあった本から得たものがすべてである自分にとって、高槻学園のテスト範囲はひろいし内容も難解だった。最悪今回は丸暗記でもいいが、この先毎回それではまずくないかと不安になる。
「叔父って……」
「言ってなかったっけ? ここの理事長なんだ」
 雷貴に正直に言ってしまったが、この事実がばれたら忍の立場が危うくなるのではないかとあとから気づいた。でも、雷貴を信じていないわけではない。「今の、ほかのひとには内緒にしてて」と頼めば「それはいいけど……」とおとこはすこし困ったような顔をする。
「どうすんだよ、中間。おれ、そんなに頭いいわけでも余裕があるわけでもねーから教えらんねーぞ?」
「……蓮二は?」
「あー……、あいつは中等部のころは毎回五位以内だったみたいだけど、どうだろ」
 だめもとで頼んでみよう、と携帯をとり出して電話をかける。すぐに通話に出た蓮二は「どうした?」とこちらの声も確認しないままそう聞いてきた。
「蓮二、テスト勉強忙しい?」
『いや……、いつも前日に見なおしくらいしかしてないが』
 機械を持つ手に若干力がこもった。ならば、とお願いする。
「おれに勉強教えてくれない? 丸暗記しかできそうになくて困ってる」
 夜と呼べる時間帯にもかかわらず、すぐいく、と蓮二は電話を切った。
 内心ほっとしつつ、「だいじょうぶだって」と雷貴に向かって告げる。
「お、よかったな。おれもつまったらついでに教えてもらお」
 今度なにか礼をしなければとぼんやり考えていると、数分ほど経ったころにインターフォンが鳴った。
 蓮二だろうと玄関に小走りでいき、ドアをあける。
「……きちんときたのがおれだって確認したか?」
「あ、してない。ごめん」
 口をすっぱくして危機感を持てと言われていても、急に実行するのは難しい。今は雷貴も部屋にいるしいいじゃないかとおもわないこともなかったが、それを口にすれば説教コースが待っているのは明白だったので、謝っておいた。
 納得はしていなさそうな表情の蓮二をごまかすようにして中へ入るよう促し、リビングに通す。
 がりがりペンを動かす同室者の集中を削いでは申し訳ないからと話しかけることはせず、蓮二に自分の状況を説明する。
「今回のテストは赤点とらない程度に暗記して臨むつもりなんだけど、とにかく基本というか基礎がわかんないのはまずいよな? だから、面倒かもしれないけどそこから教えてほしい」
「わかった。基礎の部分は今からすこしずつやりながら、テストが終わったあとに、本格的にやり始めよう」
 ――と、試験勉強と並行して高校の初め、あるいは中学で習う内容を蓮二から教えてもらいながらテスト期間を過ごした。
 テストの翌週、採点された答案が返却されてクラス中の人間が一喜一憂する中、棗は赤点がなかったことに安堵した。べつに勉強なんてしたいとおもったことはないし、しなくていいなら無知でいることを選んでいただろう。けれど、ここに入れてくれた忍の顔に泥を塗るわけにはいかないし、自分は無知ゆえに王を傷けてしまったのだと、今はおもう。
 表情があまり動かないため、人形のようだとさんざん言われてきた。それはきっと、あってないような感情のせいでもあった。だから、変わりたい。変わらなければならない。
 ふつうの人間になったら、王は自分に興味なんてなくなってしまうかもしれない。でも、まともな人間にならなければなにを言っても彼には伝わらない。
 あのときどうして王が「あんなこと」をしたのか。その理由がわかるまで、会っても意味がない気はしたが、それでも探さずにはいられないだろう。棗は、どうしようもなくあのおとこに焦がれているのだから。


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 外部受験、しかも途中から入る編入試験になればさらに難易度はあがるようで、中間でたいしていい成績をとったわけではない――成績優良者の名前が各学年三十位まではり出されるためわかってしまうのだ――棗は裏口入学なのではと周りから白い目で見られていた。それに関しては否定のしようがないので多少の罪悪感をいだいていた。それが理由というわけではないが、勉強はずっと続けている。
 七月に入ったあたりのことだ。雷貴が調子はどうだ、というようなノリで棗に訊ねてきたのは。それに本人が答える前に、蓮二が返答してしまう。
「棗さんはばかじゃない。むしろ、頭はいい。ただ、学ぶ環境なかっただけなんだろう。もうじき今授業をやってる範囲に追いつく」
 与えられた課題をやったり単語帳をひたすらめくったり教科書を読み込んだり。この短期間でできることはやってきたつもりだ。からっぽだった頭にはなんでもするする入ってきた。おそらく、蓮二の教えかたもよかったのだろう。一気にまともな高校生になれた心地がした。
「うへ、チート性能じゃねえか」
「もともとの才能もあったが、どちらかといえば努力のたまものだ。チートなんて一言で片づけたら棗さんに失礼だぞ」
 これなら授業にもついていけそうなので、これから勉強に困ることはそうそうないだろう。蓮二には感謝してもしきれない。過度な擁護発言も今回ばかりは咎める気になれなかった。
 あれよあれよという間に期末になり、これを乗り越えれば夏期休暇が待っているという時期がやってきて、生徒たちには気合いが入っていた。この試験で点数がわるければせっかくの夏休みに補習に出なければならなくなるため、皆必死なのだ。
 相変わらず呼び出しは毎日大量にされるが、基本的に無視しているし、もし指定された場所に赴かなければならなくなってもすぐに雷貴と蓮二が探しにきてくれるので、ほとんど被害はなかった。だいたい、以前恵都の親衛隊が言っていたようなことを言われて終わる。数度、ガタイのいいおとこに殴られそうになったこともあったが、急所を蹴りあげてやれば周りのチワワたちすら青ざめ、撤退していった。


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