背徳の恋 | ナノ

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 自分で好きな飲み物のボタンを押して注ぐことのできる機械を使い、グラスの中をオレンジジュースで満たしていく。基本的に水やお茶しか飲まないので、いわゆる「ジュース」と呼ばれるものを口にするのは久々だった。
 烏龍茶なども、あった。だが、年甲斐もなくはしゃいでいたのだろう。なんとなく、甘ったるいドリンクを選びたくなったのだ。
 飲み物を口にしながら高弥と話していると、オムライスが運ばれてきた。
 とろとろの卵に、濃厚そうなデミグラスソースがかかったそれはとても美味しそうだった。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
 自分でとる前にスプーンを渡され、礼を言う。
 いただきます、と声を揃えて口にしたのち、丸い形をしたそれにそっと匙を入れた。そして、それを食した。
「……!」
 予想以上の味に、驚きを隠せない。一応、違いのわかる舌ではあるが、高級なものばかり食べているわけでもないし、好みもある。高いから美味しいというわけでもないのだ。千円札一枚程度の価格でこれならば文句はひとつもなかった。むしろ、こんなに安くていいのかとすらおもう。
「おいしい……」
「あ、よかった。ここ、ほかのメニューはまあふつうのファミレスって感じの味なんですけど、オムライスだけはすごく美味しいんです」
 へえ、と感心に満ちた声が洩れた。
 高弥は、自分の知らない世界をたくさん知っている。とても、眩しい存在だった。
 もしも彼が、素行も性格もわるい、そんな人物だったならばすぐにわかれを切り出して、初めからなにもなかったかのように関係を清算させただろう。けれど、そうではなかった。だからこそ、この状況がくるしい。駆に体をさし出しながら高弥の恋人として過ごしている自分が、ひどく浅ましいものにおもえて仕方なかった。
 嘘は、隠し通せば真実になる。
 そう信じて、未來は進むことしかできない。わずらわしいものはぜんぶ、自身の中にとじこめて。


 ****


 水族館のお礼、と夕飯を奢ることには成功した。だが、そこで満足している場合ではない。
 食事のあと、「そろそろ帰りますか」と高弥に言われうなずき、学園に戻ってきたわけだが。
「今日はありがとうございました。すごく、楽しかったです」
 ――なんて、エレベーター前であっさり解散しようとしているおとこに、心の内で大量の疑問符が浮かんだ。
 彼には性欲というものがないのか? としごろの男子なんて、恋人ができたらすぐにセックスしたがるものじゃないのか? もしかして、誘われるのを待ってる? それともやりかたがわからない?
「……ほんとに、いいの?」
 これでひきとめられなければこのまま自室にいこうと考えていると、じわじわと高弥の顔が赤くなっていくのが見えた。
「……先輩こそ、いいんですか……?」
「うん」
 じゃあ、部屋、きてください。
 そう言われ、未來は彼のあとをついていった。
 部屋に入れてもらうも、同室の子は見あたらない。
「同室者、出かけてるの?」
 なんとなく訊ねてみれば、高弥はちいさな声でそれに答えた。
「…………今日、友達のとこいってくれって、頼んであったんです」
 耳まで真っ赤だ。
 やる気はあったのだとわかって安心した。健全な高校男児が性のことに関心がなかったら、ある意味怖い。
 これからシャワーをして、高弥のベッドで抱かれることになるのだろうけれど、その前に未來には彼に告げておかなければならないことがあった。
「あのさ、」
「なんですか?」
 一瞬ためらい、言葉を発する。
「――おれ、おとこ、初めてじゃないんだ」
 ひゅ、と息を呑むような音が聞こえたが、続ける。
「ごめん。でも、黙ってたらあとでいろいろ勘ぐってしまうんじゃないかとおもって」
「……なにも、感じないと言ったら嘘になりますけど、それでもおれのきもちは変わりません」
 高弥の瞳は、意思の強さを映していた。黒い色をしたそれは、とてもきれいだった。
 彼にならこの身を任せられると、純粋にそうおもった。
 腕をひかれ、距離が縮まり、吐息がふれ合いそうなほどに顔が近づく。そっと、目をとじる。
 ――もう、戻れない。
 未來はこの日、罪の海に溺れた。




「ごめん、おれ、部屋戻らなきゃ」
「え、」
「あしたまでに完成させなきゃいけない書類があるの、忘れてた」
 行為のあとしばらくベッドに寝転がっていたのだが、おもい出したようにそう口にし、未來は脱ぎ散らかした衣服を緩慢な手つきで身につけ始めた。
「……大変なんですね、生徒会って」
「まあ、うん。今回のは、おれの不注意ってだけだけどね。今は、とくにおおきな行事もないしおちついてるから」
 名残惜しい、と高弥の全身が訴えてきていたが、気づいていないふりをして立ちあがる。
 体を半分ほど起こしているおとこの額に唇を寄せ、ごめんね、と囁いた。
 振り返ることなく寝室をあとにし、リビングを通って玄関から外に出る。
 ふらついたのは一瞬で、未來はすぐにたまらなくなって走り出した。
 エレベーターを待っている間すらも惜しくて、滅多に使われることのない階段を駆けあがる。役員の部屋は最上階にあるので、運動がそこまで得意ではない未來は目あての場所にたどりつくまでに息を切らしてしまっていたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
 自室――ではなく、駆の部屋の前でとまり、鍵をあける。すこし前に、自分が彼に渡したのと同様に、駆からも合鍵を受けとっていた。呼び出されなければ使用することなどないとおもっていたのに、とんだ誤算だ。
 もしかしたら先客がいるかもしれない、なんてことは頭から抜け去っていた。とにかく、駆に会いたかった。会わねば、ならなかった。
 音をたてないように、なんて気遣いはせず、リビングに続く扉をおもいきりあけ、荒い呼吸を繰り返した。
「未來……? どうした、今日はあいつと出かけたんじゃなかったのか」
 駆はテレビを見ていたのか、事故や事件の報道が聞こえてくる。
 こちらを振り返ったおとこに、うつむいたまま未來はあえかな懇願を零した。
「…………て、」
「は?」
「……抱いて、ほしい」
 駆が驚くのが空気でわかった。当然だ。自分でも、突拍子もないことを言っている自覚はあるのだ。しかし、どうしようもなかった。
 高弥に、塗り替えてもらおうと本気でおもっていたのに。できない。ほんのわずかなことでも、駆に関するなにかを忘れてしまうのが、恐ろしくてたまらなかった。
「お願い、駆……」
 情けない声が出た。ともすれば震え始めそうな体を抑えるように、ぎゅっと肩を抱く。
 断られたらどうすればいいのだろう、なんて考えた刹那、気づかぬうちにそばまで寄ってきていたおとこの指が髪にふれた。そして、頬にかかったそれを耳にかける。そのゆったりとした動きに、不安はすこしずつ鎮静していった。
 なにかあったのか、とは聞かれなかった。駆はただ、未來の望んだ通りにした。
 罪人をもゆるしてしまうおとこのところに、くるべきではなかったのかもしれない。罪人は罪人らしく、ひとり罪を償い、苦しむべきだったのだ。
 どこまでも自分が可愛い汚い思考に、吐き気がした。――それでも、駆はその汚穢ごと未來を包み込んでしまうのだ。
 いつか、彼が自分の汚れに染まってしまったらどうしようと、そんなばかなことをおもった。



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