その後、優が出したケーキを、紅茶を、美味しい美味しいと食べて飲んでくれた彼らは「ぼくたちにはこれくらいしかできないし、洗い物は任せて」と気を遣ってくれた。その言葉にあまえて一足先に自室へと戻ると、真っ先にキッチンへと向かう。
 タルトはお気に召してもらえただろうか。
 皿の上になにも乗っていないことを願いつつそっとそこに足を踏み入れると、小さく切りわけておいたそれがきれいになくなっていて安堵する。そのまま視線を動かせば、黒い色のが混じった水でなにか、文字のようなものが書かれているのを発見した。
「……? これは……闇属性の力が微かに感じられるけど……なんだろう?」
 ひとつひとつ、なんとか解読を試みる。
 初めの文字はわからない。次のは、おそらく「い」か「り」。次のもよくわからない。その次のは……「と」、か? そして、最後は――「う」か「ら」、だろうか。
 その字がなんなのかはっきりとはわからずとも、この字の羅列が意味する単語は察することができた。
「――……すごい。ぼくは今、人生で一番感動しているよ。……みんな、ありがとう」
 精霊たちが一生懸命かたちづくってくれたメッセージと同じ言葉を声にして、優はたまらず破顔したのだった。


――菓子づくりは、ストレス発散のために始めた行為だった。両親から期待されていたにもかかわらず中等部にあがってから成績が伸び悩み、どうすればいいのかわからなくなりほかのことで気をまぎらわせようと考えたのが始まりだ。
 料理をしたことはなかったが、それは菓子をつくるのとはまた違うというし、正確さや慎重さがより必要になるものを選択した結果だったが、それは優に合っていたのだろう。
 ろくな友人がいなかったために自分以外のだれかにふるまうという機会は訪れなかったが、菓子づくりは自然と自身の趣味へとなっていった。
 そんなある日、自分がつくったものが減っていることがあると気づいた。最初はクッキーが一枚、二枚、といった程度だったのが、「それ」はマドレーヌやマフィンにまで手を出すようになり、果てにはケーキすらも囓った。あまりに不気味な現象だったため、一度はつくるのをやめてしまおうかとおもったのだが、ここでやめたらなにかに負ける気がしてむりやり続行した。そして、気づいた。――いつの間にか、魔法の熟練度があがっていたことに。
 ストレス発散がうまくいったのだと、そう片づけてしまえるほど優の思考は短絡的にはできていなかった。そうなるに至った理由を解明せねば、また壁にぶちあたったときに困る。そうおもい、考えた。
 がむしゃらにただ鍛錬するということはやめた。ならば、鍛錬の時間がほどよくなり成果が出たということか? ――そんなばかな。
 では、変化はほかにどんなものがあっただろう。ああ、そうだ。鍛錬の代わりに時間を占有するようになったのは、気まぐれで始めた菓子づくり。あれに意味があるというのか。……いや、待てよ? お菓子をつくるようになってから、不可解なことがあったな……
 思索に耽っていると、あとすこしでなにかが閃きそうな予感がした。
 もどかしい。けれど、ここがたえるべき時だ。
 直感的にそう悟り、優は、さらに集中する。
 努力がたりないわけではなかった。ならば、原因は外側にあったということか?
 人間が魔法を使えるのは精霊が存在し、力の行使ができるようにしてくれるからだと。わかっていた。わかっていた――つもりになっていた。
「……もしかして、」
 ふと、気づいた。
 召喚獣に意思があるように、精霊にだって意思があるのではないかと。顔がいいやつが力の優遇をされている時点で察するべきだったのに、進藤家が闇属性の精霊と永続的な契約を結んでいるため、彼らが自分に力を貸すのは当然のことだとおもい込んでしまっていたのだ。
 だれのためでもない、ただのストレス発散のためにつくった焼き菓子。それがもし、彼らの興味をひいたのだとしたら。
「……くそっ」
 なんてばかだったのだろう。
 そう、自身を貶さずにはいられなくなった。そして、実家に勤めているシェフに電話をしたのち、すぐに購買へと走って買い物をしてキッチンにこもった。
 優はその日、初めて名前も知らない存在のために手を動かした。


 いつも力を貸してくれている者たちのために焼いたのは、生クリームをふんだんに塗り、中と外にたくさんの果物を乗せたあまいあまいケーキだ。自分がじっと見つめていたら手を出しづらいだろうから、すぐさま退散することにする。――伝えなければならない言葉を忘れずに、告げてから。
「ずっと……蔑ろにしてきてごめん。今まで、ありがとう。こんなぼくでよければ、これからも力を貸してくれるとうれしいな」
 こんなふうに謝るのは初めてのことだし、優はすでに精霊たちに愛想を尽かされていないか不安だった。それでも、自分がしてきたことを謝罪するべきだと、そうおもったから実行しただけのこと。
 見返りを求めたかったわけじゃない。ただ、必要だと判断したことをおこなったのだ。
「それは、ぼくからの……ほんのきもち。いらなかったら食べなくてもいいけど、もしあまいものが好きなら……ぜひ食べてみて。ちゃんとしたケーキ、初めてつくったから」
 彼らがこれを聞いてくれているのか、そもそも理解できるのか、それすらも優は知らない。でも、それでよかった。自己満足だとしても、この行為が自分の心を、変えてくれるような気がしたから。
――翌日、テーブルにおいてあったケーキがきれいになくなっているのを見て、優はうれしくなると同時に涙が零れた。今までのことをすべてゆるしてもらえたような気がしたのだ。
 精霊の声を聞くこと、姿を見ること。それらは努力よりも素質による部分が大きく、またその素質はひどく稀少なため彼らを認識できる人間は滅多に存在しない。どんなに力のある魔法使いであったとしても、だ。だから、優はきっと一生、力を貸してくれる精霊たちの顔も声も確認することができないだろう。だけど、信頼は築くことができるのだと、今回の一件で実感した。
「ありがとう……っ」
 泣き笑いを浮かべて、そう言った。すると、いつもよりすこしだけ闇の力がそばに感じられた気がして、ますます滴がとまらなくなった。
 その翌年、めきめきと力をつけた優が生徒会役員に選ばれ、無二の友人となる少年たちと出会うことになることを。 ――そのときの自分は、まだ知らなかった。


 懐かしい記憶に想いを馳せ、柔らかな笑みを湛える。口から自然に零れおちるのは、嘘偽りのない本音。
「ぼくはほんとうに恵まれている。きみたちに力を貸してもらえること、心から感謝しているよ」
 すると、その瞬間、聞いたことのない少女の囁きが鼓膜を震わせる。
『わたしたちもよ、スグル』
『あなたがだいすき』
『これからも、ずっとそばにいるわ』
『あなたを選んだわたしたちは、今、とっても幸福よ』
「――ッ!」
 勢いよく振り向いても、そこにはだれの姿もない。だが、確かにそれは優の耳に届いたのだ。幻聴だなんて、おもえるはずがない。
「……ハロウィンの、奇跡、か」
 祈るように、神に感謝した。
 ほんのわずかな時間であっても、彼女たちの言葉を実際に耳にできる機会をくださり、ありがとうございます――


 ****


「やだわ、スグルったら」
「感謝すべきは三柱の皆さまに、なんだけど」
「まあ、わかるはずないものね」
「いいのよ。あの祈りは、彼がおもい浮かべている名称こそ違うけれど、三柱の皆さまへと向けられているものに代わりはないのだから」
 少女たちはこどものような風貌を改め、いつもの姿へと戻って優と同じように祈りを捧げる。
――三柱の皆さまの慈悲に、わたしたちは彼と同様、心からの感謝をいたします。


 クリスマスに起こる奇跡は神の気まぐれによるものであり、ハロウィンに起こる奇跡は精霊界の三柱の慈悲によるものだということ。
 その事実を知る一握りの者たちも、事実を知らない大多数の者たちも、名残惜しくおもいながら、ハロウィンという日の終わりを受け入れる。
 また来年、奇跡が起きることを願いながら。




End.

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