関東の隅に、斑鳩(いかるが)組という組がある。それは、暴力団――いわゆるヤクザの集まりなわけだが、この業界の中ではめずらしく、斑鳩組は地域の人間に寄り添い、争いを避ける傾向にあった。
 なによりも面子を重視するのがヤクザというもので、面子よりも保身に走りがちな斑鳩組はほかの組から蔑まれていた。しかし、組員だけは知っている。組長が、なぜそうするのか。プライドを捨ててまで組の存続に努めるのは、組長にとってそれがかけがえのないものだったからだ。
 斑鳩組はたいして大きくない組だ。けれど、組員の結びつきは血の繋がった家族のように、いや、それすらも凌駕するほどに強固だった。――三代目の御形(ごぎょう)が亡くなるまでは。
 彼の跡を継ぎ、四代目組長となったのは息子の菖蒲(しょうぶ)。妻の死後、新たなおんなを迎えることのなかった御形には菖蒲以外の子がおらず、跡目争いというものとは無縁で、皆もあのひとの息子なら、と満場一致で彼を組長へと据えた。――それが、破滅への道だったとは知らず。
 菖蒲は、ひとの上に立つ人物ではなかった。自身がトップになるために御形が死ぬまで「いい息子」を演じており、彼の死後に突如その本性を現したのだ。
 野心に満ちていたおとこはまず、手あたり次第に戦争をしかけ、シマをひろげようとした。だが、当然周囲に反対された。三十年以上もこの世界に身をおいておきながら、菖蒲はヤクザの世界のことをまったく理解していなかったのだ。――いや、理解はしていたのかもしれない。ただ、認められなかっただけで。
 こんな小さな組の組長では終われない。
 そんな想いが彼の中にはあったのだろう。しかし、現実はそうあまくはない。
 自分のおもい描いた方向に変わらない組に焦っていたとき、樫村組の組長、樫村龍治(かしむらりゅうじ)に妾の息子の椿がほしいと求められた。
 樫村組というのは関東で最大の勢力を誇る余郷(よごう)会に属する組で、その中でもかなりの地位を確立している。武闘派で知られているのに加え、フロント企業をいくつも持っており経済面からも多大な貢献をしている実力のある組だ。逆らえば斑鳩組は潰されてしまう。だったらせめて――というのは建前で、菖蒲はやっとツキが回ってきたと内心でほくそ笑んでいた。
 椿をさし出す条件として盃を交わすことを、龍治に約束させたのだ。当然、五分のものではない。けれど、問題はなかった。重要なのは「樫村組と盃を交わした」という事実と、後ろ楯ができるという点だ。龍治が欲したのが後釜に据えるために教育を施してきた正妻の子――山吹(やまぶき)でなかったのも、助かった。苦渋の決断を組のためにくだした、というスタンスをとりつつ、菖蒲は息子に樫村組にいってくれと頭をさげた。
 息子――椿(つばき)はものわかりがよく、わがままも言わない人物であったので、断られることはないと踏んでいたし、実際そうだった。
「わかりました」
 愛人だった桔梗は堅気のおんなであった。菖蒲がその美貌に惚れ込みむりやり斑鳩にひき込んだのだが、彼女は体が弱く椿の出産とひきかえに命をおとした。その、桔梗のうつくしさをそのまま移したような顔立ちに菖蒲は言い様のない想いをいだいていたので、この家から正当な理由をつけて追い出せることに安堵さえしていた。顔だけではない。椿を見ていると、異様なほど不安になるのだ。それが理由で、菖蒲はあまり彼に近づくことはしなかったし、愛情もさほどない。手放すことにためらいはほとんどなかった。
――その複雑な感情が、かつて自分の父に感じていた劣等感だったと彼が知るのは、そのときよりもずっと先のことになる。


 ****


「よくきたな、椿」
 いかにもな屋敷に黒塗りの車でつれてこられた椿は、広間で樫村組の頭――龍治と対面した。脇にずらりと彼の部下なのであろう強面の屈強なおとこたちが並んでいたが、それに気圧されることなく龍治のもとへ寄る。そして、用意されていた座布団の上に正座をし、深く頭をさげて感謝の言葉を述べた。
「この度は、樫村組にわたしのような端者をお呼びいただき、恐悦至極にございます。これからは、心身ともに組長のために……」
「顔をあげろ。そういう堅くるしい挨拶はいい」
 ゆっくりと体をおこすと、体を貫くような強烈なひかりを帯びた目に容赦なく見つめられた。
 樫村龍治という名前は当然、椿も知っていたのだが実物は初めて見る。
 朗らかな笑みを浮かべていればだれもヤクザだとはおもわないであろう、あまいマスク。実際、表の顔はどこかの会社の社長だかなんだかだと聞いた気がする。ぴりぴりと肌をさすような緊張感や、常人ならば汗がとまらないだろう威圧感さえなくなれば、彼はテレビに出ていてもおかしくないような容姿をしていた。
 髪も目も、不自然なほどに黒いそのおとこは切れ長の目を細め、椿を値踏みしているようだった。――その後ふと、龍治が笑う。
「……?」
 なぜ笑われたのだろうかとふしぎにおもっていると、「こい」と腕を掴まれる。
「組長! いきなりふたりきりになるのは、危ないですよ」
 焦ったように彼の傍らにいたおとこが身を乗り出して窘めるも、龍治が睨めつけると口を噤むしかなかったようで、すごすごともとの体勢に戻った。
「離れにいく。火急の要事でもない限りおれが呼ぶまでだれも近寄るな。なにかあったら携帯に電話しろ」
 龍治が返事も聞かずに襖をしめると、しきりの向こうから「はいっ!」というきれいに揃った声が響いた。
 長い廊下を歩き、母屋の外にある小さくも立派な建物に続く細く長い道をたどる。
 百八十どころか百九十にすら到達しているのではないかという長身に腕を掴まれ先導されているにもかかわらず、椿は小走りになることもつんのめることもなかった。気を遣われているのだと一瞬にして察した。
 だが、なぜ?
 おとこの行動に疑問が湧く。
「今日からここが、おまえの家だ」
 龍治は鍵をあけて扉をひらいて靴を脱ぎ、目の前にあったひき戸をあけた。すると、和を基調としながらも洋をところどころに自然ととり入れた、お洒落な空間に迎えられる。
「一階には居間と風呂場や厠等の日常生活に利用する設備をととのえてある。二階は――見たほうがはやいな」
 傾斜がなだらかな階段を一段ずつのぼっていくと、三つの扉が見えた。
「右がおまえの部屋で、左がおれの部屋、奥が寝床だ。部屋には必要最低限のものしかおいていない。ほしいものがあれば言え。用意させる」
 おとこはまっすぐ進んでいく。その先にあるのは、寝室のはず。まだ明るいうちから寝るなんてことはないだろうに、なぜそこに向かうのか。
――というか、彼は「おれの部屋」と言ったか? どうしてこんな離れに、それがあるのか。
 椿がそんな思考に囚われているあいだにも足は動かされ、龍治が戸をあけた瞬間「まさか」という想いがこみあげた。
 部屋の中央に、ひとりで使うには大きすぎる布団が鎮座していたのだ。


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