「なに笑ってやがる!」
「……仮に、あなたの言っていることが真実だとしても、未来は変わりません。おれは、『鼠退治』を龍治さんに頼んだ。そして、彼はそれを了承した。まさか、わからないはずないですよね?……組長の命令は、構成員にとって絶対のものだと」
 逆らえば、待っているのは地獄の底まで手先に追われる生活。捕まれば、死ぬ。いや、死ぬよりつらい想いをさせられるかもしれない。
――そんな道を好き好んで進む人間など、ここに存在するはずがない。
「……谷上。おまえを木崎(きざき)さんのもとへつれていくよう言われている」
 リーダー格の男性がそう告げれば、谷上の顔はおもしろいほどに青ざめた。
 椿が笑みを湛えながら上からどいた途端、「失礼します」と複数のおとこが彼をとり囲み、その四肢を掴んで持ちあげる。
「ぁっ、ひ、ゆるしてくれ、き、木崎さんは、木崎さんのところだけは……!」
 木崎、という人物はどうやらかなり恐れられているらしい。谷上が必死の形相で皆に頼み込んでいる。しかし、だれも口をひらこうともしなければ、視線を合わせることすらなかった。
 いやだ、いやだ、喚く声が届かなくなりふだんの静寂が戻ってきたところで、残ったおとこに訊ねる。
「あの、木崎さんとは?」
「木崎さんは幹部のひとりで……、拷問が得意なかたです」
「なるほど」
 今からおこなわれるのは拷問ではなく制裁なわけだが、それにうってつけの人物だということだ。どんなことをするのか見たいような気もするし、見ないほうがいいような気もする。
「あの……、失礼ですが、なぜ叫んで助けを呼ばれなかったのですか?」
 呑気なことを考えていたところ、おとこから質問された。椿だってできるならそうしたかったが、自分にはそれすらも簡単なことではないのだ。
「柄じゃないですし、それに……おれをよくおもってないひとたちと谷上さんが結託して、口封じのために輪姦されたらたまったものじゃないでしょう?」
 静かに、ゆっくりと息を呑み込んだ彼は、敵か味方か。どちらでもかまわない。椿にとって、この牢の中でいきることはそう難しくないのだ。
 たとえ周りの人間には綱渡りのように見えていても、その道は自分の目にはしっかりと映っている。
「……自分はここの守備を任されている、竹早(たけはや)と申します。自分は姐さんにつきますから、なにかあったらどんなに些細なことでもかまいませんので、相談してください」
 竹早、と名乗ったおとこの顔をじっと見つめる。頬から口元にかけて、大きな傷のある顔はヤクザ以外のなににも見えないが、その瞳は澄んでいた。
「あなたはそう遠くない未来、幹部になるとおもいます」
「はい?」
 突拍子もない話を始めた椿に竹早は素っ頓狂な声をあげたが、それを無視して言葉を続ける。
「今後、樫村組はひとがかなり入れ替わるはずです。上も、下も。その原因の大半は、おれでしょうね。でもこれは、わるいことばかりじゃない。龍治さんに歯向かう気がある輩を一掃するいい機会になるということですから」
「……なぜ、そんなことが言い切れるのですか」
 疑うのは当然だ。むしろ、そうでなければ警戒心がたりない。竹早の好感度は椿の中でぐんぐん成長していった。
「祖父から、ひとを見る目を受け継いでいるからです。……まあ、信じなくてもいいですけど。おれはただ、あなたを保険にしたいだけなので」
「保険?」
「そうです。龍治さんに言うほどではないけれど、胸騒ぎがしてしかたない。そんなとき、あなたを頼らせてもらいます。よくしてくれれば彼に竹早さんの働きをあのひとに伝えておきます。あなたは出世願望があるタイプではなさそうですが……、龍治さんには必要なんですよ、あなたのような信頼のおける幹部が」
「すべては……組長のため、ですか」
 もっともらしいことをつらつらと述べれば、「わかりました」とうなずくおとこが心配になる。――あまりに単純すぎて。しかし、そんなところも椿にとっては都合がよく、今にも笑い出してしまいそうになるのを必死にこらえた。
 自分がおもい描いた未来がそのうち現実になることを、椿は確信していた。


 ****


「椿!」
「おかえりなさい、龍治さん」
 出張をきりあげ、はやめに帰ってきた龍治は家にあがるなり靴も脱がずに居間でのんびりしていた椿の元へと駆け寄り、その身をきつく抱きしめた。
「ふふ、痛いですよ」
「……無事でよかった」
「安心してください。かすり傷ひとつ負っていませんから」
 とんとん、と二の腕のあたりをたたいて緩めてくれという意思表示をすれば、彼はすこし体を離してじっとこちらを見つめたのち、くちびるを寄せてきた。
 軽く、ふれ合うようなキスが深い口づけに変わるのに時間はかからない。
 そうわかっていた椿は、「待って」「だめです」と行為を拒否する台詞を口にした。
 なぜだ、と視線だけでひとを殺せそうな目で睨まれるも、椿は怖くもなんともない。
「だって、まだ、小谷さんが……」
 恥ずかしそうな素振りを見せてそう言えば、「小谷、今日はもういい。帰れ」と龍治が瞬時に命令をくだす。
「はい! あざっす! お疲れさまっした!」
 小谷も小谷でそれに逆らうことなく、さっさと部屋を出ていった。――となれば、残るのは龍治と椿のふたりだけだ。
「……いなくならねえな」
 忌々しげに零すおとこのその台詞の意味を、自分は正しく理解した。心配されることがうれしい、というように逞しい体にそっと身をすり寄せる。
「さっそく、護身術が役にたちましたね。やっぱり、習い始めてよかったでしょう?」
「……ああ。おまえが谷上に犯されていたら、おれはどうなっていたかわからない」
「……もしおれが汚れたら、ごみのようにもういらないと放り出しますか?」
 きゅ、と不安げに服の裾を掴むと、逃がすまいと言わんばかりにぐっと抱擁された。
「放り出すことはしない。おれはおまえの死体すら、だれにも渡す気はない」
「……よかった」
――安心した。ほんとうに。
 いずれ、自分が切り札になる日が必ず訪れるとわかったからだ。
 龍治には感謝しなければならないだろう。けれど、それに対してなにかとくべつなものを返す必要があるともおもわない。彼は喉から手が出るほど欲しているものを、いずれ得られることが確定しているのだから。
 なぜそんなことがわかるかって? ――決まっている。
 それを与える未来を、椿がすでに自ら選びとっているからだ。


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