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 ぼく、真田秋穂(さなだあきほ)にはとびきりかっこよくてやさしい彼氏がいる。
 もともと彼のことは同じカフェに通っている常連どうしということもあり、以前より顔は認識していた。
 混雑していたある日、にこやかな笑みを浮かべて「相席してもいいかな」とおとこ――向井忠(むかいただし)さんがそう言ったことにより、ぼくらの交流は始まった。
 おんなのこだったらたちまちとろけてしまいそうなあまいまなざしにどきまぎしつつ、カフェオレをストローですすっていると、彼のほうから話しかけてくれた。
「実は、ずっと話してみたいとおもってたんだ。きみ、ここの店でよく見かけてたから」
「あ、えと、おれも、あなたのこと知ってました。すっごいイケメンだなーって」
「え、ほんと? おれイケメンかな? きみにそう言ってもらえるとうれしいな。あ、自己紹介がまだだったね。おれは――」
 そうして、前述した名前と二十八という年齢、サラリーマンという職業を述べた忠さんに倣い、ぼくも二十歳の大学生であることを告げた。
 今時、ネットでひとと知り合うこともすくなくない中、こういった出会いは貴重だとおもう。なんとなく素敵な出会いをした気分になり、ぼくはすぐに忠さんに懐いた。彼は驚くほど、自分をかまってくれた。
 平日でも時間があれば食事をしたし、休みの日にはいろいろなところにいった。彼女がいたことがないわけではないけれど、受験前に話し合ってわかれていたし、地元には東京のような遊び場はなかったのだ。だからぼくの頭はたぶん、麻痺していた。こんなふうに頻繁に誘いがくることも、おとこふたりで水族館や動物園、テーマパークといったところで遊ぶことも。みんなみんな、ふつうのことだとおもってしまっていた。
 あれは知り合いの距離でも、ましてやただの友人の距離でもなかったのだと気づいたのはすべてが終わったあと。
「秋穂くん、きみがすきだ。おれとつきあってほしい」
「えっ」
 忠さんにそう告白された瞬間、今までの行動は異性にするようなアプローチだったのだと理解した。
 ぼくは彼のことを「そういう」目で見たことはなかったけれど、せっかくここまで仲よくなった相手に「むりですごめんなさい」と言って縁を切るのは自分としてもしたくなかった。そこで、提案したのだ。
「えっと、ぼくは今のところノーマルだし、忠さんを同じ意味でのきもちを返せるかはわからないんですけど、それでもいいなら、ゆっくり……おつきあいしていく、という答えでは、いけませんか?」
 友達がいないわけではないけれど、知らない土地にきてひとりで生活するサイクルを送るのは、やはり寂しかったのだ。
「そんな……、これ以上ないほどに、うれしい返事だよ。ありがとう、秋穂くん」
 柔らかく破顔したおとこの表情に、うそはなかった。――なかった、はずだった。ぼくはそのときまだ、忠さんのほんとうの顔を知らなかったのだ。


 それから半年後。結局、ぼくはころりといってしまった。
 交際を始めて一ヶ月くらいでキスをしたとき、嫌悪感なんて微塵もなくて、むしろちょっときもちいいとおもってしまったので、こうなることは予想できていた。
 最近ようやくきちんとした恋人になりたいという旨を伝え、初めて体を繋げたわけなのだが。
 前よりもマンションに招かれるようになり、浮かれていたぼくに最初の壁が立ちはだかるのははやかった。
 壁。それは。
「あっ、秋穂さんだ! いらっしゃーい」
――この、忠さんの従妹の存在だった。
「こら、ここはおまえの家じゃないだろ」
 ぼくの来訪を出迎えてくれたのは愛しの恋人ではなく、向井香名子(かなこ)ちゃん。あとから、忠さんの姿がひょこりと覗く。
 彼女は両親とともに暮らしているのだが、一ヶ月ほど出張にいくことになった父親に母親がついていくと言ってきかず、高校を休ませるわけにもいかないしひとりにするのも危ないからと、香名子ちゃんを預かってくれと頼まれ、現在に至る。らしい。
 年頃の年頃の男女をふたりきりにして過ちが起きたら……という危惧をちっともいだいていないのか、はたまたいっそそうなることを望んでいるのか。香名子ちゃんは忠さんに気があるのか、彼にとてもべたべたしている。
……ああやだ。嫉妬かな、これ。
「香名子には秋穂くんが恋人だってことは伝えてあるから、遠慮せずに今まで通りうちで過ごしてね」
 忠さんがそう言ってくれたので、ぼくは香名子ちゃんがいても気にせずこの部屋を訪れた。さすがにセックスはしないけど、お泊まりもしている。ふしぎな状況にも慣れつつあったが、一ヶ月なんてあっという間だった。いよいよ香名子ちゃんがここから出ていく日がやってこようとしていた。
 ぼくの性欲はそんなに強いほうじゃないとおもうのだけれど、たびたび逢瀬を重ねながらもキスまでしかしない生活では、ものたりなさを覚えた。
 いつも、壊れ物にふれるようにやさしく慈しんで抱いてくれる忠さん。そんな彼も紳士的で好きなのだが、たまには欲望のままに犯してくれてもいいのに、と感じることも事実だ。もしかしたら今日はふだんよりも余裕のない忠さんが見られるかもしれない。
 そんなふうにどきどきしていたぼくは、今夜、彼のほんとうの姿を知ることとなる。


****


 おわかれ会、というとはやく追い出したくてたまらないみたいな雰囲気になってしまうが、ちょっと豪華な料理を買ってきて食後のケーキも用意して、ぼくらは香名子ちゃんを送り出した。
「片づけしちゃいたいから、お風呂先に入ってくれる?」
「あっ、ぼく手伝いますよ」
「いいから。……もう、あんまり我慢できなさそうなんだ」
 手を動かしながら困ったように笑った忠さんに胸が痛いほどどきどきして、おとなしくうなずいた。
 脱衣所で全裸になったところで、はたとする。
「着替え持ってくるの忘れた」
 部屋着は忠さんがおいておいてくれるだろうが、さすがに下着までは借りれない。ここに泊まる際にはいつも替えを鞄の中に忍ばせているので、とってこようとふたたび衣服を身につけ、リビングへと向かったとき。
「――、――」
「……、――」
 話し声が聞こえた。
 香名子ちゃんが忘れ物でもしたのかな、とこっそり聞き耳をたてると、ぼくはこれが現実なのか一瞬わからなくなった。

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