彼方は現在、外装も内装も金がかかっているとよくわかる豪邸にいた。そういう世界とはすでに無縁となった身の上のはずなのだが――、自分はそうでも紅狼はそうでない、ということをすっかり忘れてしまっていた。
「ここ出たらすぐにマンションに住めるように手配はしといたけど、親がうるせえから一回家にいく。おまえもこい」
「おれも? 突然伺ったら迷惑になるんじゃねえの?」
「……そもそも、おまえを見たがってんだよ」
「は? なんでおれ?」
「一緒に暮らすからだろ」
 なるほど、とうなずく。確かに、息子がルームシェアする相手が気になるというのは、親ならふつうにあり得るだろう。
 そう、楽観的に考えて東城邸へとあがり込んだわけだが、彼方は居心地のわるい想いをしていた。理由は単純明快である。
「やだーっ! 紫狼(しろう)さん! すごい、すごいわ! 紅狼とは違う正統派の美青年よ……! あっ待ってごめんなさい自己紹介がまだだったわね。わたし、紅狼の母の東城彩未(あみ)です」
「えっ」
「ん? なあに?」
「あ、すみません。てっきり、お姉さまかとおもっていたので……」
「やだ、お世辞もうまいのね!」
「いえ、お世辞だなんて。ええと、おれは紅狼くんの友人の五十嵐彼方と申します。どうぞよろしくお願いします」
――と、紅狼の母が熱い視線を送ってくる一方、「……父親の紫狼だ」と、父親のほうは絶対零度の瞳でこちらを睨んでいるのだ。過ぎた好意も敵意も勘弁願いたい。何事も適度でいいのだ、適度で。
鋭い視線にたじろぎつつも、彼方は果敢に紫狼に声をかけた。
「ええと、紅狼くんはお父さま似なんですね。そっくりなのでびっくりしました」
 ひきつりそうになりながらもなんとか笑みを浮かべてそう言えば、彼は一瞬にして態度を変え、「ほ、ほんとうか!?」と目を輝かせてつめ寄ってきた。
「え、ええ。もちろんです」
「そうか……そうか! 彼方くんは見処があるな! いろいろと迷惑をかけるとおもうが、紅狼のことをよろしく頼む!」
 ばしばし、肩をたたかれる。
 なぜ突然気に入られたのか。
 甚だ疑問だったが、きらわれたままよりはましかとおもい、それから昼食を一緒に食べたのち、三時ごろまでのんびりしてからようやく、今日からふたりで暮らすマンションの一室へと向かうことができた。
 紅狼が与えられたそこは、確かにひとりで暮らすにはひろすぎる部屋だった。これは両親だけでなく叔父からも溺愛されているに違いないとおもわざるを得ない。
「え、まじでここただで借りていいのか? 家賃、ふつうならそうとうするだろ」
「あっちがいいって言ってんだからいいんだよ。遠慮すんな」
「おー……」
 肯定的な返事はしたものの、申し訳なさは拭えなかった。ただの友人が善意で住ませてもらうには、この部屋は贅沢すぎる。
 堕落しないようにしなければ……と決意を新たにし、すでに持ち込まれていた荷物の荷ほどきを開始した。とはいっても、さほど量はない。捨てられるものはすべて捨ててしまったからだ。
 寮になんでもあったんだよなあと、改めてあの学園の贅沢さを実感する。そして、ここはあそことそう変わらない空間だった。
 せめて、日常生活で紅狼の手は煩わせないようにするくらいのことはするべきだろう。
 そうおもった彼方は、「家事はできる限りおれがやるから」と申し出た。初め、彼は微妙な表情をしたが「好きにしろ」と許可をくれた。
――それから、一週間とすこし。高校のときと変わらない日常をふたりで過ごしているうちに、大学の入学式当日を迎えた。
 紅狼も都内の大学に進学したらしい。詳しくは教えてもらっていないので、ここから近いのか遠いのかすらわからないのだが――彼方としては、それでよかった。干渉しすぎるのはよくない。お互いのためにも、ある程度の距離は保つべきだろう。
「帰る前に連絡する」
「おー」
 そんなやりとりを交わしてから、マンションをあとにした。
 駅まで徒歩二分という立地のよさに感謝しつつ大学へと向かう。二十分もあれば到着するので、通学に関する不満はもちろん、いっさいない。
 スーツに身を包み、前を向いて颯爽と歩けば視線がささった。特殊な環境下にいたためそれを不快におもうことはないのだが、それを向けてくる相手の大半がおんなであることに若干の戸惑いを覚えてしまう。おとこに騒がれることに慣れすぎた弊害がさっそく現れ、つい苦笑を零した。


 大学の敷地内に入ると、同じ新入生なのであろう生徒が大勢いた。スーツに着られている者も多い。自分もあんなふうに見えるのかと不安になったが、今着用しているのは過去にオーダーメイドでつくってもらったものだ。合っていないどころかぴったりのはずだし、すくなくとも見栄えの心配はいらないだろう。
 基本的に生徒代表の挨拶は主席がするものだという認識があるが、彼方は声をかけられなかった。単に自分が主席でなかったのか――、大学側になにかしらの事情があるのか。どちらにせよ、聞いているだけでいいのは楽なのでこれでよかったのだ。
 席につき、進んでいく式を眺めていると代表の挨拶の時間がきたのだが、そこで彼方は驚くことになった。
 名前を呼ばれ、前に進み出た人物が見知ったおとこだったためだ。
――深海豊(ふかみゆたか)。それは、高校最後の年に自分を生徒会長の座からはひきずりおろした役員のひとり――元会計だった。
 同じ大学なのか、と一驚したものの、すぐにどうでもよくなる。今さら、あちらから接触してくることはないとおもっていたのだ。当然、こちらから話しかけるつもりもない。
 ふわっとしたパーマがかかった淡い茶色の髪と、耳についている大量のピアスのせいで、スーツが似合わないというわけではないのだが、まるでホストのようだった。
 ふだんのゆるっとした喋りかたをせず、しっかりとした声音ではきはきと話す様子は初めて見るがなかなかどうして、わるくない。しかし、近くにいる女性たちのようにうっとりする理由もなかったので、はやく解放されたいな、とぼんやりしていた。
 その後も滞りなく入学式は進行し、昼前には終了した。
 日用品は休みのうちに揃えておいたし、時間割はあした以降のオリエンテーションで決めていく予定だ。本日中に、とくべつやらなければいけないことはない。はやめにアルバイトを探しておきたいな、という希望があるくらいだ。
 家賃を除いた生活費を稼ぐくらいならば、勉強と両立することが可能だろう。

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