天使なんかじゃない | ナノ




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 編入生の案内を終え、生徒会室に戻ったふたりは会計の木之下瑞希(きのしたみずき)に声をかけられた。
「お疲れさま。ねえねえ、どんな子だった? 編入生」
 その質問にすぐに答えたのは優だ。
「理事長の知り合いらしく、待遇はかなりいいね。失礼のないように、と釘をさされたよ」
「そういうんじゃなくてさ、見た目とか」
 いやその内容も重要だけどもね? と慌ててつけたした瑞希に、焔がぽつりとこぼす。
「……天使が」
「え?」
「天使が、降ってきたのかとおもった」
 はあ? と呆気にとられる瑞希に、優はなんと説明すればいいのかと戸惑った。あのとき確かに、自分も同じことをおもってしまったから。
 金髪碧眼てこと?
 不思議そうに首をかしげるおとこに、ふたりは頷く。
「なんだよもー、焔も優も変だよ?」
 焔は手を動かしつつもどこか集中しきれずぼうっとしていたし、優も天音の正体が気になって生徒会の職務が手につかなかった。
 どうにも学園の秩序が乱れそうな予感がして、ため息をつく。
 下方におとした視線の先の資料にあった間違いを訂正しつつ、もう一度ため息を吐く。
 ただでさえ多忙な生徒会に、仕事を増やすような問題だけは起こさないでくれよ――。
 そんなことを願い、優は確認印を押したのだった。


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 寝ることが趣味といっても過言ではない天音は、あのあと一度も目を覚ますことなく朝を迎えた。
 現在の時刻は午前六時。きのう入り忘れた風呂をさっさと済ませてしまおうと、バスルームへと向かう。扉をあければ予想通り、そこもやはりひとりの生徒が使うにはもったいなさすぎるほど広くきれいで、うんざりした。
 カラスの行水じゃないかと言われてもしかたないくらいのはやさで体を洗った天音は、髪から滴る雫を指で軽く払った。それだけで水気が飛び、髪が乾く。
 ずっと着たままだった制服を脱ぎ、シャツだけ新しいものに替える。ネクタイを結びなおそうとするも、どうやって結ぶのかわからない。お願い、とでもいうようにちらりと横に視線を遣れば、窓はあいていないのに風がふわりとはためき、ネクタイのかたちをきつすぎず、しかし緩すぎないよう形成してくれた。
 朝食をとるために食堂へ向かおうと玄関にやってきたところで、シューズボックスの上においておいたカードキーが目に入り、昨日受けた説明が脳裏に蘇る。
「オートロックなんだっけ……」
 忘れるところだった、とそれを摘んで胸ポケットに入れ、ドアをあける。
 天音の最初で最後の学園生活が、始まろうとしていた。


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 エレベーターに乗り一階へ降りるあいだ、五階と三階でそれが停止しひとが乗り込んできた。各フロアで増えたのはそれぞれひとりずつだったが、そのどちらの人物にも三度見をされた。
 だれだろう、このひと。
 一度目は、ぼんやりとした瞳で天音の姿を捉えるだけ。しかし、すぐにその顔がまったく知らない人物のものだと気づき、二度目はしっかりと見てくる。そしてやっぱり知らないひとだ……、と視線を外したのち、ぎょっとして三度目は凝視される。
 言葉などなくとも、その表情が雄弁に語っていた。
 ――天使……?
 と、おもっていることを。
 緩くウェーブがかかった髪は絡まることを知らないほどにさらさらで、根元から毛先までうつくしい金で彩られている。絶妙な位置に配置された顔のパーツはきれいな左右対照。金色のまつげはため息が出るほど細く長い。それに見え隠れする目の色は吸い込まれそうなほどに澄んだ青。まるで、空をとじこめたような色。低すぎず高すぎない身長に、すこし痩せぎすの薄い体。
「ぼく、天使なんだ」
 そう笑顔で言われたら信じてしまいそうな、そんな美貌の持ち主。それが、天音だった。生徒が三度見をするのも仕方がない。
 ――しかし、実際は天使などではないし、一人称も「ぼく」じゃない。
 一階につき、エレベーターの扉がひらくと天音はボタンを押してくれている生徒に軽くお辞儀をし、食堂へと向かった。その間にもひととすれ違うたびにぎょっとした目で見られ、珍獣にでもなった気分だと能天気なことを考えつつも歩みをとめずに、目的の場所を目指す。
 食堂に到着し、入口付近にあるタッチパネルで注文を済ませて席を探せば、朝のはやい時間帯だからかそこまで混んでいるわけでもなく、すぐに空席を発見した。
 爽やかな朝の陽射しが降りそそぐ窓際のテーブルの隅に椅子をひいて座り、料理が届くのを待つ。
「だれ……?」
「あんな美形、二年生にも三年生にもいなかったよね……? てことは一年生なのかな?」
「生徒会入り……しないわけないよね、あの顔だったら」
 騒がしい、と眉を寄せずにはいられなかった。
 無表情でじっとしていれば、十分ほどたったころにウェイターがやってきて、フォークと水の入ったグラス、サラダが乗っている皿をテーブルの上においた。
 ありがとうございます、と礼を言えばおとこは頭をさげ、そのまま無言で立ち去った。
 周りの雑音を意識の内から追い出し、無心で先ほど頼んだグリーンサラダを口に運ぶ。なぜこれを選んだのかというと、メニューの一番上にあったからだ。上から順番に、ひとつずつ制覇していくつもりなのだ。
 瑞々しい緑の野菜を口に入れると、その味とかおりの濃さに驚く。なるほど、料金は高いがそのぶん質もいいということか。
 ちいさな口をゆっくり動かし、静かに食事をしていると、先ほどから煩わしかったざわめきがさらに激しくなる。
 ――なんなんだ。
 きゅ、と眉を顰めるも、当然ながらあたりは静まらない。しかも、心なしか騒ぎの中心となっているものが近づいてきているような気がした。
 さすがに無関心を貫くのが難しくなり、いやいやながらも顔をあげれば。
「おはよう。きのうはよく眠れたか?」
 ――と、話しかけてくるおとこがひとり。
「…………おはようございます。あのあと寝てしまって、朝まで熟睡でしたよ」
「それはよかった」
 どういうこと、と声をあげる生徒もいて、朝の食堂があまり混んでいない時間帯だというのにかなり騒がしくなってしまった。
 自分ひとりだったらここまでひどいことにはならなかっただろうから、原因の半分は目の前のおとこ――焔にあるのだろう。
 敵意八割、興味二割。そんな対比の視線が無数に突き刺さるので、居心地は最悪だった。
「隣、座っても?」
 空席だというのにだめだと言うのも憚られ、渋々頷けばさらにざわつく周囲。いっそこの状況を楽しんでいるのではないかとすらおもったが、焔の瞳に敵意は宿っていないものだから、余計にたちがわるかった。



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