天使なんかじゃない | ナノ


 隊が設立した当初、親衛隊と必要以上に親しくするつもりはなかったのだが、おもいのほか柩を気に入ったために天音は茶会の誘いをたびたび受けていた。
 面白い話ができるわけでもない自分を隊員たちはうれしそうに迎えてくれ、かおりのいいお茶と美味しいお菓子をふるまってくれる。
 その日も、天音は放課後に多目的教室E――以前顔合わせのために訪れた教室がそのまま活動に使われることになったようだった――で親衛隊の茶会に参加していた。
 和気あいあいとした雰囲気の中、ひとりの隊員がそういえば、と話し出した。
「天音さま、今、生徒が消えるという噂がひろまっているのをご存知ですか?」
「生徒が消える?」
「はい。姿もですが、その人物の記憶までなくなってしまうとか……。あっ、いや、噂ですよ? ただ、火のないところに煙はたたないとも言いますし、天音さまにも気をつけていただきたくて」
 途中、彼が焦ったようにフォローを入れたのは自分の顔が険しいものになったからだろう。
 頭におもい浮かんだそれをもし、実行している輩がいるのだとすれば。それはゆるされることではないし、放置していていいことでもない。これはおそらく、天音がじきじきに動かなければならない案件だ。杞憂で終わるならそれでいい。むしろ、杞憂で終わってほしかった。
「……ありがとうございます。おれも気をつけるので、皆さんも気をつけてくださいね」
 今はただ、そう忠告することしかできない。そのことが、ひどくもどかしかった。


 ****


 外を歩けばじわりと汗が滲む季節がやってきたが、木々に囲まれているためか霞ヶ丘学園は七月に入ったとはおもえないほど過ごしやすい。
 朝を歓迎するかのような快晴に送り出されて皆が登校してくる中に、赤い頭のひときわ騒がしいおとこは混じっていない。というか彼はいつも智博と教室に入ってくる。それなのに、智博はすでに席についていた。おとこ――響は今日は休みなのか気になって訊ねると、天音を後悔が襲った。
「響? ――……だれだっけ、そいつ。そういえば朝、響ってやつから電話があったんだけど……そいつのこと?」
「――わるい、急用ができたから帰る。今日は一日休むって柴谷先生に伝えてもらえるか」
「えっ? ちょ、神条!?」
 戸惑う智博にフォローを入れる余裕はなく、「頼んだぞ!」と念を押してから走り出す。
 自分の予想が外れていなければ、響は部屋でひとり、震えているはずだ。その原因を今すぐどうこうしてやることはできないが、彼に励ましの言葉をかけることができるのは自分だけだと、天音は痛いほどにわかっていた。
 寮の八階へと、急ぐ、急ぐ。エレベーターを待つのも焦れったく、階段を駆けあがった。
 左右にある扉の表札をひとつひとつ確認しながら、響の名前を探す。
「――あった」
 智博の隣にあったその部屋のインターホンを何度も押すが、中にいるはずのおとこは出てこない。天音はち、と舌打ちをし、非常事態だからとカードをかざしてむりやり鍵を解除して室内へと侵入した。
「明石、いるんだろ」
 無遠慮に、ドアを一枚ずつあけて奥へと進む。一番奥、最後の扉の前に立つと、できる限りのやさしい声を発し、「入るぞ、明石」と言って返事を待たずにノブを捻った。
 かちゃ……と静かに、しかし確実に音をたてて動いたそれに盛りあがっていた布団がもぞりと蠢く。そうっと隙間をつくり、そこからこちらを窺う彼はおそるおそる、といったふうに「神条……?」と天音を呼んだ。
「混乱してるんじゃないか? たぶん、おれならなにが起こってるのか説明してやれるから。なにがあったのか話してほしい」
「いやその前になんで部屋入ってこられたんだよ? ロックは……?」
 案外冷静だな、とおもいつつ、目眩ましの魔法をといたカードを見せてやる。
「……これ」
「ゴールド!? なんで神条が……」
「それは今追及する状況じゃないだろ。この件は被害が拡大する前に片をつけたいんだ。わるいけど、さっさと話してくれ」
「あ、うん、ごめん」
 天音が促すと、響は慌てて語り出した。


――毎朝、智博は響の寝起きのわるさを鑑みて起こしにきてくれている。しかし、今日は彼が迎えにきてくれることはなかった。自力で起きることができない自分がいけないのだということは、わかっている。だが、相談もなしにいきなり日課をやめるなどひどいではないか。
 見事に寝坊をした響は、そうおもいながら智博に電話をかけた。
「トモ、ひでぇよ! こないならこないって連絡してくれよ! てゆーかいつもそうしてくれてるじゃん! なんで今日はしてくれなかったの? おれ、おまえを怒らせるようなことした?」
「……っと、わるい、あのさ、」
「なに?」
 一方的にまくしたてていた自分に彼が困ったような声で返事をたしたそのとき、人生で一番衝撃を受けた。
「おまえ、だれ? 間違い電話じゃないか?」
 わるい冗談はよせ。
 そう言えたら、どんなによかったか。
智博がこんなこと、を冗談でも言わない人間だということは響がだれよりもよく知っている。
 急速に口の中が乾いたが、ここで黙るわけにはいかなかった。勇気を振り絞って、響は訊ねた。
「響、だよ……。トモ、おれのことわかんねえの……?」
「響? ……ごめん、わからない。どこかで会ったことあるっけ? おれ、記憶力はけっこういいほうなんだけど、おもい出せない」
 おかしなことになっている。響はそう察した。それでもむりやり通話を切ったあと、腹が減っていては頭も働かないからと食堂に向かったのである。――そこで、完全に心を折られる未来が待っているとは知らずに。
 響同様、寝坊をして一時間目の授業には間に合わないと割り切った生徒がいるためか、自分以外の生徒をちらほら見かける。食堂に到着してもそれは同じで、響はその空間にひとりではなかった。だが、そこもやはりいつもと異なっていた。
 ひとりやふたり、響の来訪に野太い声か黄色い声をあげる者がいてもおかしくないのに、それがない。いやな予感がとまらなかった。
 タッチパネルでいつもよりすくなめな注文を済ませ、そわそわしながら料理が運ばれてくるのを待っていると。それは、やってきた。
「あの……」
 声をかけられ、振り向いた先にいたのは小柄で可愛らしい生徒。一年生を全員把握しているわけではないが、彼はおそらく上級生だ。そう予想し「なんですか?」と返事をすれば、頬を染めてその人物は言った。
「あなたも編入生ですか?」
 わざわざ確認しにくるほどミーハーであるその彼が、響を知らなかったなんてことがあるのだろうか。藁にも縋る想いで辺りを見渡すが、そこには好奇の視線しかなかった。それは、自分を知っている者がだれひとりとして存在しないという証明にほかならない。
――その後のことは、目の前が真っ暗になったせいで、よく覚えていなかった。



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