天使なんかじゃない | ナノ


 ――空から天使が降ってきた。
 それは、そう錯覚せざるを得ない、そんな出会いだった。






  天使なんかじゃない






 私立霞ヶ丘学園。そこは初等部から高等部まで存在する様々な生徒が集う全寮制の男子校だ。
 学力の成績は全国でもトップクラスであるし、家柄がいい者も少なくはないが、どちらかというと「顔のレベルがやばい」という理由で巷では有名だった。
「やばい」というのは、もちろんいい意味での「やばい」だ。この学園には容姿がととのった生徒や教師が極端に多い。それにはきちんとした理由があるのだが、事実を知る者はこの学校の生徒とその親族のみであった。また、同性しかいない空間にまだ発達しきっていない年ごろの男子が放り込まれるものだから、同性愛が当然のようにひろまっている。というか、おとこも抱けるようになってしまう、というのが実際のところなのかもしれない。
 学園のパンフレットをもらい、簡単な説明を受け、ここにその身ひとつでやってきたのは神条天音(かみじょうあまね)。本日、霞ヶ丘学園に高校一年生として編入する人物である。新入生の入学式には間に合わなかったので、ひとりだけすこし遅れての入学となったのだ。
 校門を守衛にあけてもらい、学内に入ってすぐのところで待っていれば案内役の生徒がきてくれます、と先日柔らかな声で伝えてくれたおとこを脳裏におもい浮かべつつ、天音は急いでいた。このままでは約束の時刻に遅れてしまいそうだからだ。
 門が見えてきたところで安心して徐々にスピードをおとそうとしたのだけれど、手遅れだった。勢い余って天音は三メートルはゆうにある校門を――飛び越し、そのまま落下した。
「えっ」
「え?」
 真下にひとがいるなんておもってもみなかったため、驚くような声が聞こえてきたことに動揺し、きれいに着地する予定だった天音の体がぐらりと傾いた。それを受けとめようとするように手を伸ばしたおとこと目が合うと、天音は息を呑んだ。
「――っ、」
 どさ、と音をたててふさふさの芝生にふたりして倒れ込み、衝撃を受ける直前に咄嗟に瞑った瞼を持ちあげ、先ほど視認したものが幻ではなかったかどうか、確認する。
 あとすこし顔を近づけたら唇がふれ合ってしまいそうな距離にある顔は、恐ろしいほどに美しかった。だが、重要なのはそこではない。
「ア、ダム」
 呆然と呟いた単語に目の前のおとこが訝しんで説明を求めてくるより先に、慌てて身を起こす。
「あ、っと、すみませんでした。ちょっと、制御に失敗してしまったようで……」
「いや、そんなことは問題ではないんだよ。きみ、どうやって結界をすり抜けたの? この学園には外部からの侵入者を拒絶する見えない壁がはってあるのに」
 背後からかけられた声は耳に心地よく響くテノールだった。しかし、内容はぜんぜん心地よくない。説明がめんどうだと、天音は眉を寄せた。
 先ほどの会話からわかる通り、この学園はふつうの学校ではない。魔法、という非科学的なものを使える人間が集う、とくべつな学校なのだ。
 天音も例に漏れず魔法が使える。そして、ここには空を飛んできたわけだが――、やはり門を飛び越すのはまずかったか、と今さら後悔した。
「おれは神条天音。話を聞いているとはおもいますが……、高等部一学年に編入する編入生です。……さっきの、詳しい事情は理事長に聞いてください」
 自己紹介をし、理事長へと面倒事を丸投げすれば。
「ぼくはここの生徒会副会長の進藤優(しんどうすぐる)。それから、こっちが会長の神保焔(じんぼえん)」
 警戒をとかないまま、一応は名前を教えてくれた優に軽く頭をさげ、天音は案内をお願いしますと促した。まだ聞きたりないことがあると優の目は告げていたが、それに気づかないふりをしていれば「いくぞ」と歩き出したのは意外にも焔という名のおとこのほうだった。
 優は焔に逆らう気はないのか、舌打ちでもしそうな表情で先をいくおとこを追った。そして天音もまた、彼らのあとに続いた。


 今は授業中なのか、校内は静寂に満ちている。
 外から見た外観はまるで異国にある城のようだと感じたが、中も無駄に豪華なつくりになっているようだった。
 廊下を歩いている際に、今しがた出会ったばかりのおとこふたりを天音は脳内にインプットする。
 ひとりめは、亜麻色の髪をした碧眼の美形。王子さまと呼ぶにふさわしい容貌の、長身のおとこ。生徒会副会長。
 ふたりめは、暗い赤の髪に金色の目を持つ、進藤が王子なら彼は王と呼ばれるのがふさわしい、そんなふうにおもわせる雰囲気をまとった、これまた長身で文句のつけようがないほどに美しいおとこ。生徒会長。
 生徒からの人気はさぞすごいのだろうなと、客観的に判断しているとエレベーターの前でとまった。
「生徒会フロアと理事長室のあるフロアには特定の生徒しか入れないようになっている。ここにさし込むカードキーのランクが銀以上でなければ稼働しない。一般生徒を生徒会役員が招くこともできるが、そんなことはまあ滅多にない」
 開と閉のボタンと階数のボタンのあいだにある挿入口に、金色に輝くカードを入れ手本を見せてくれた焔にわかりましたと頷き、最上階を目指す。
 目的の階に到着してエレベーターからおり、荘厳で重厚そうな扉を前にすれぱ、それは客人を歓迎するかのように勝手にひらき、天音たちを迎えた。
「失礼します。理事長、編入生の神条天音をつれて参りました」
 優が言えば、「こちらに」と声がかかる。
 三人で中に足を踏み入れれば、ほがらかな笑みを浮かべた三十代半ばのおとなの色気を携えた男性が立っていた。
「――待っていました、天音さま」
 げ、という顔をしてしまったのもしかたないとおもう。
「天音……」
「さま……?」
 案の定、焔と優が不可解そうに眉をひそめている。
「……理事長、やめてください。おれは今日からこの学園の生徒になるんです。あなたのほうがずっと上の立場にいるんですよ」
「……すまなかった。では改めて、神条天音くん。ようこそ我が霞ヶ丘学園へ」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
 ふたりのやりとりをじっと眺めていた優だったが、たえきれず、といったふうに口をひらいた。
「……理事長と彼は、その、どういったご関係なのです……? 彼が結界をすり抜けることができたのも、理事長がとくべつな計らいをなさっていたからですか?」
 えっ、結界すり抜けてきたの? とでも言いたげな目を向けられ、罪悪感に駈られつつほんのわずかに頷けば、理事長は「まあそんなところだ」と答えた。そして、天音との関係についても。
「私と天音くんには共通の知り合いがいてね。合うのはこれが三回目くらいだけど、メールや電話はしてるから……まあ、歳の離れた友人とでもおもってもらえればいい」
 ゆうじん、と驚愕を隠せない声音で優が呟く。
 むりもない、と天音はため息をつきたくなった。
 三十すぎの理事長と友人の高校生がいてたまるか――。
 もっとほかにいいごまかしかたはなかったのかと問いつめたかったが、そもそも優に疑われる原因をつくったのは自分にあるのだと天音は理解していたため、憤りは呑み込んで消化してしまうほかなかった。
「そうだ、きみたちには天音くんに関する注意事項を説明しておかなければならないな」
「注意事項……?」
 今度は焔が声を発した。
「彼は特待生だ。学費と授業の免除、それから生徒会長と同様のゴールドのカードを授ける。そして、生徒会役員だからといって彼を見下すような失礼な態度で接しないように」
「ゴールドって……」
 戸惑うように呟いたのは優。
 金のカードは先ほど焔が使っていた。ほかの生徒とは違う、なにかとくべつな機能でもついているのだろうか。
 正直、自分にそのようなものが必要になることはないだろうと天音はおもっていた。だからふつうのカードでいいと断ろうとしたのだが――、焔が「わかりました」と頷いてしまったのでそれはかなわなかった。
 理事長は彼のことを信頼しているのか、満足げに微笑み「では案内を続けてくれ」と退室を促した。
 一礼し部屋を出た三人はふたたびエレベーターに乗り込み、下へとおりた。
「……きみ、何者なの?」
 もっともな質問だった。しかし、天音はそれになんと答えるべきなのかわからなかった。だから、無難な返しをした。
「編入生、ですが」
 それはわかってる、と睨んでくる優から視線を逸らし、一階についてひらいたエレベーターの扉をくぐる。
 もう、逃げたくてたまらなかった。
「……本人が話したがらないことを深く知ろうとするのはやめろ。だれにだって言えないことのひとつやふたつ、あるだろう」
 ずっと傍観していた焔が見るに見かねたのか、そう言ってくれたことで優からの質問はやんだ。
「……すみません、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
 わずかに口角をあげ、そう口にした焔に、天音の胸の奥があまくざわめいた。




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