天使なんかじゃない | ナノ




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 その日、新入生歓迎会の準備で忙しいはずの焔が夜中に扉をあけて自分の部屋にやってきたことに気づいた天音は、布団の中からのそりと顔を出した。
「……いつでも好きなときにこいとは言いましたけど、この時間に来訪するのはさすがに非常識では?」
「……すまない、起こしてしまったか」
 視界に入ったおとこはすこし疲れたような顔をしており、それ以上責めることはできなかった。
「話、しにきたんですか」
「いや、……なんとなく、顔を見たくなったんだ。元気だろうか、とおもって」
 暗闇の中、金色の目はこちらが見えているのか、躓かないよう恐る恐る歩くということもなく、スムーズにこちらに寄ってくる。
 なにがしたいのかわからなかったが、とりあえずベッドの脇に設置してあるランプの灯りをつけ、椅子に座る体勢でベッドに腰かけた。そして、隣にこいと焔に促す。しかし、彼は黙ったままでしばしの沈黙が続き、気まずい空気にたえ切れなくなった天音が言葉を発した。
「……新入生歓迎会、なんかすごいことするんですね」
「ああ、優がはりきっていてな。おれは細かい作業は不得手だから、もっぱら魔力供給役だ」
 確かに、あのひとはこういうことに対して手を抜かなそうだ、と勝手におもう。
「そういえば、三位に入賞したら願いをひとつかなえてもらえるって聞きましたけど」
「ああ、無理のない範囲でな」
「……会長だったら、なにを望みます?」
 焔には、なにか願いがあるのだろうか。――でも、それが、いきているうちにどうにかなるものとは限らない。
「おれは、一年のときに新入生歓迎会のゲームで優勝した」
「え、」
「そのときは、『いつでも好きに外出できる権利』を求めた。すでに家にくる依頼を受けるようになっていたし、呼ばれるたびに外出届けを出すのが面倒だったからな」
 自分の願望をかなえるためには使わなかったらしい。無欲だな、と感心する。
 おれは、と天音に聞かせようとしているのかただの独り言なのか、判別のつきにくい声量で彼は零した。
「父に家につれ戻された日から、なにかを望むことを、求めることをやめてしまったんだろうな」
 焔の過去を、自分は知らない。だから、慰めるような言葉をかけることはできない。けれど、愛してくれる者がいて、親も、友人もいて。彼は恵まれている、と感じてしまうのは、自分がひとりだからなのか。
 ヴェロニカが悲しそうな顔をしている。年相応の生活をあきらめている焔に、「わたしに言ってくれればあんな家、一瞬で燃やし尽くしてあげるのに」と洒落にならないことをおもっているようだった。
「家なんて、出ていけばよかったんじゃないんですか。あなたほどの力の持ち主なら、ひく手数多でしょう」
「……母が、屋敷にいる。おれがあそこに帰る理由は、それだけでじゅうぶんだ」
「はあ、そんなものですか」
 天音の気のない返事に、不思議そうに彼は訊ねてきた。
「神条は、親と不仲なのか?」
 不仲、という単語はあてはまらないだろう。自分たちのあいだには血の繋がりがあるだけで、それ以上でもそれ以下の関係でもないのだから。
「彼らには、捨てられてから一度も会ってません」
「え……」
「おれはいわゆる『ふつう』の両親からうまれたんです。黒髪黒目の親から金髪碧眼の子ができて、しかも天使からの神託まであったらしくて。そりゃあ、気味わるがって捨てたくもなるだろっておもいます。ほんと、かみさまも天使もばかばっかですよ」
 戸惑ったような表情を浮かべ、焔がなにか言いたげに口をもごもごさせている。両親のことについて、神や天使のことについて、聞きたいが聞いていいのかわからない、といったところか。
「答えたくないことには答えないので、気になることがあるなら言ってくれます?」
「……その、捨てられた、というのはいつのことなんだ」
 なんだ、そんなことか、と天音は唇をひらいた。
「うまれてすぐですよ。さすがに殺すのは抵抗があったのか、公園の遊具のトンネルの中に放置したみたいで。理事長の友人に拾われ、今日まで育ててもらいました」
 だから、共通の知り合いがいるとあのひとは言っていたのか、と焔が納得したように呟く。
 そうだ。理事長、加住聖一(かすみせいいち)と、自分の育ての親、神条帝都(かみじょうていと)は旧友なのだ。
 彼は外界にはほとんど出ず、じっと家の中で無為な時を過ごしていた天音が顔を合わせたことのある、数すくない人物だった。
「なら、そのひとは神条の恩人ということになるな」
 おもわず、吹き出してしまいそうになる。あのひとが恩人だなんて――、自分はこれっぽっちも感じていないのだから。
「……おれは、膨大な魔力のせいで死ぬことはありませんでした。ほんとうの両親に捨てられてから数日後、確かに彼はおれを拾ってはくれたけど――、それは『義務』だからですよ。恩なんて、いだくはずがない」
「義務……?」
 帝都は、イヴの『監視役』なのだ。
 いつから結成したのかは知らないが、「神に愛されし子」を監視する組織なんてものがこの世にはある。ばかばかしい、と笑ってしまいたくなるが、使命を放棄するイヴが出てしまったため、彼らは二度と同じ間違いが繰り返されないようにしなければ、と気負っているらしかった。
 帝都は、なんでも与えようとした。金も、衣服も、食べ物も、一級品だけを天音に与え、「可愛がっているふり」をしていた。
 幼い子どもは、相手のいだいている感情をなんとなく察してしまうものだ。すくなくとも、ひきとられて十年のあいだに彼から好意を感じることはなかった。――今、どうなのかは知らない。もう、知る気もない。
「おれの面倒を見るだけで、高い給料がもらえるみたいなんですよね。まあ、それでおれもなに不自由ない生活を送れているんですから、ギブアンドテイクってやつです」
「そう、か」
 他人の事情に口出しする気はないのか、複雑そうな表情をしつつも焔は相槌を打ち、黙ったのちに小さくあくびを零した。
 人間なのだからあたりまえのことなのに、天音にはそれがとても珍しくおもえてつい、おとこの顔をじっと眺めてしまう。
「すまない、話している最中に」
「いえ、もう遅いですし寝ましょうよ。会長も、疲れてますよね?」
「……そうだな。名残惜しいが、今日はこのくらいにしておくか」
 髪をかきあげ、立ちあがった彼は扉に向かった。そしてそれをくぐる寸前、言った。
「話ができてうれしかった。また、つきあってくれ。それと――、できれば『会長』はやめてほしい」
 じゃあなんて呼べばいいんだ、と返す前に、無慈悲にも扉はとじられてしまった。
「……焔って呼べって? 冗談じゃないっつーの」
 吐き捨てた台詞とは裏腹に、天音の胸はじんと熱を帯び、彼の名前を口にした口内はあまい痺れを孕んでいた。



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