天使なんかじゃない | ナノ
10




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 ん、と小さく呻いて重たい瞼を持ちあげれば、すぐそばにあった時計が視界に入り今が夜の十時になるところだということが判明した。
 さすがにこの時間ならば焔も部屋に戻ってきているはずだ。としごろの男子ならばまだ寝るにもはやい時刻だろうし、話をするにはちょうどよさげな時間帯だ。
 我ながらいいタイミングで起きたな、と自画自賛しつつ、カードを持って部屋から出た。
 寝る前に着替えたので上下ともに身につけているのはスウェットだったが、焔に会うためだけにわざわざ服を変えるのもばからしい。彼もとくに気にはしないだろう。
 そういえば部屋の番号知らないな、とおもったが、まあ問題はない。天音は魔力でひとを判別できるので、焔の魔力を感じる部屋を探せばそれはすぐに見つかった。
「隣かよ……」
 九〇一号室と書かれたやたら豪華なプレートが扉の上方についているその部屋は、代々生徒会長が使用しているのか、ほかの部屋とは明らかに様相が異なっていた。
 インターホンを鳴らしても出てこなかったら申し訳ないが勝手に中に入らせてもらおうなどと考えながら、天音はボタンを押した。しばらく待ってみても反応がなかったのでカードを使ってロックを外し、部屋に入った。まるで泥棒みたいだな、と呑気なことをおもいつつ、歩みを進めればリビングにたどりつく。初めからあったのであろう家具を除けば私物はほとんどないようで、天音は焔に妙な親近感を感じた。
 ソファーに座り、待機すること十分。キ、と静かに扉があけられる音が聞こえた瞬間そちらを向けば、そこには均整のとれた上半身を惜しみなく曝し、濡れた髪をタオルで押さえているおとこがいた。
「…………神条?」
「はい、すみませんが勝手にお邪魔させてもらいました」
「ああ、そうか、ゴールドのカードを持ってるんだったな……。それで、おれになんの用があってここにきたんだ?」
 話がはやくて助かる、と天音はすぐさま本題に入った。
「今日みたいにひとが大勢いるところで話しかけられるのは困るので、やめてくださいとお願いしにきました」
 ぱちぱち、まばたきを繰り返す焔はとても不思議そうにしていた。
「なぜだ?」
「……会長、自分の人気、わかってないんですか? 食堂で話しただけでクラスのやつから次はないぞ、って警告されました。親衛隊に目をつけられるのはいやなんです。だから――」
「おまえなら、親衛隊に制裁されそうになっても返り討ちにできるだろう」
 ひとが話してるのを遮るな、と言いたかったが、焔のその台詞自体を否定することはできなかった。――天音は、嘘がつけない。それは、自分の意思とは関係ないところで働く「神に愛されし子」の制約のひとつなのだ。だから、肯定したくないときは黙秘するしかない。今回もそうしてみたのだけれど、焔はごまかせなかった。
 奥まで見えそうなほどに透き通った金の瞳に見つめられ、逃れることはできないのだと観念した天音は、本音を告げた。
「……静かに過ごしたいんです。あなたにところかまわず接触されたら、確実にそれがかなわなくなる」
「おまえの言い分はわかった。でも、おれはおまえと話がしたいんだ。どこでなら話しかけてもいいんだ? だれにも見られない場所なんて、あるのか?」
「それに答える前に、なんでそんなにおれと話がしたいのか教えてくれませんか」
 焔は、異様なほど天音と会話をしたがっている。なにか聞きたいことでもあるのだろうか。
 そんな考えをはり巡らせていると、困ったような表情をしておとこが言った。
「……理由は、ない」
「は……?」
「惹かれていると感じるのだが、それがなぜなのかは自分にもわからない。だから、その要因を確かめたいというのもある」
 実験かよ、と突っ込みたくなるのをこらえ、天音はため息を吐いた。
「――好きなときに部屋にきてください」
「え……?」
「幸いにもおれたちの部屋は隣どうしです。魔法で扉をつくっておくので、そこから出入りしてください。これならだれかに見られる心配はないでしょう?」
 先ほどとは変わって戸惑うような顔つきになり、焔は「いいのか?」と訊ねてきた。いいもなにも話したいと言ったのはそちらではないか、と眉を寄せれば慌てて弁明するように焔が声を発する。
「そんな簡単によく知らない相手を部屋にあげてだいじょうぶなのかと……。いや、おれは変なことをするつもりはないぞ? ないが、その、いつもこんな安易に他人を部屋に招いているのか?」
 彼にそんなつもりはないのだろうが、尻の軽いおんなを気にかけているおとこのような反応に、すこし複雑な気分になった。
「……べつに、だれにでもゆるしてるわけじゃありません。というか、そもそもおれと話がしたいなんて物好き、滅多にいないので」
 物好き……、と呟くおとこを無視し、天音は続ける。
「部屋にいるときはだいたい寝てるとおもうので、起こしてください。暇だから寝ているだけであって、体調が悪いとかそういった理由ではないので、ほんとに遠慮しなくていいんで」
「……わかった」
 頷く焔の表情は真剣そのものだ。自分よりもこのひとのほうがずっと純粋で、「ふつう」だったら皆から愛される存在になれただろうに、彼もまた、天音と同じように「ふつう」ではなかった。
 神保家では複数の属性持ちがさも当然のようにうまれるという。そんな中、焔がたったひとつの属性しか持っていないのは神が偏った愛情を注いだせいなのだ。
 常に彼のそばにいる、ヴェロニカという炎属性最上級の精霊は好みにうるさく、今まで人間に入れ込むことはほとんどなかった。しかし、見た限り彼女は焔にぞっこんのようである。
 自分は強いと高慢な台詞を吐きつつも、陰では努力を怠らず口だけではないことを証明するような人物が炎の精霊には好かれやすいのだが、焔はとてもそんなふうには見えない。それでもヴェロニカを惹きつけてやまないということは、それだけの実力と魅力が、焔に備わっているという証明にほかならなかった。
 彼女の庇護下にある焔を家から放り出すことはすなわち、炎属性の精霊の半数を敵に回すことと同義である。それに気づいた者がいたため、彼は例外として神保家で育てられたのだろう。
 自分の存在を示すかのように、いつでもそばにいて焔にぬくもりを与え続けたヴェロニカ。それを、素直に受けとめ感謝のきもちを返し続けた焔。ふたりのあいだには、自然な信頼関係がうまれている。それは、天音にはどうあがいても得ることのできないものだ。でも、そんな彼らが会話を交わすこともできないのだから、この世界はつくづくやさしくない、とおもう。
「……ヴェロニカ」
「……ひとの名前、か? それがどうかしたのか」
「あなたがうまれたときからずっと一緒にいてくれた精霊の名前です。――いつでも、呼んであげてください。きっと、とても喜んでくれる」
 だから、自分がすこしくらいおせっかいを焼いたって、ゆるされるだろう。
「…………ヴェロニカ、」
 愛しい愛しいひとに名を紡がれた彼女は、ひどくうれしそうに笑いおとこの首に抱きつき、そして、言った。
 ――ありがとう、天音、と。
 そのしあわせそうな笑みにつられるようにして、天音も笑った。
 そうして、満足したのちに焔の部屋を出ていった天音は知らない。――彼がその美しい笑顔に、どうしようもなく動揺し、赤面していたということを。



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