天使なんかじゃない | ナノ


「…………くさい……」
 においが混じってとてもリラックスできるかおりとは言い難くなってしまったので、窓をあけてそれを外に逃がすように風を起こす。
「あーもーアシュカ、アロマぜんぶ燃やしちゃって。そのあと、ウェンディ、空気だけきれいに入れ替えてくれる?」
 さっさとこの不快な空間をどうにかしたくてそう精霊たちに頼めば、アシュカと風の精霊――ウェンディはうれしそうに笑い、それぞれが炎と風を操った。
 天音が寮の部屋に戻るために使った魔法も、今使った魔法も、本来ならば詠唱なしでは発動できるようなものではない。また、熟練の魔法使いですら複数の属性の魔法を同時に発動させることは容易ではなく、詠唱も複雑なものが必要になる。しかし、天音はそれをいとも簡単にやってのけた。
 詠唱学の授業の際に昂輝に言った台詞――「今まで詠唱なんて『必要なかった』んだから、仕方ないでしょう」というのは、そういうことだ。天音は、「神に愛されし子」。とある制約を課せられてはいるものの、神からの加護を受けたため精霊たちにとくべつ愛されており、わざわざ詠唱などせずとも彼らは協力を仰ぐだけで進んで力を使ってくれるのだ。魔力は必要になるが、それも有り余るほどに所有している。だから、天音はうまれてこのかた詠唱なんてしたことがなかったし、この先も必要になることはない。それをわざわざ学ぶのもどうかとおもったから、昂輝もむりに参加しなくてもいい、と言ってくれたのだろう。
 熟練の魔法使いが詠唱なしで魔法が使えるのは、たとえ姿が見えず、話すことができなくとも精霊との関係を育むことをあきらめなかったからだ。
 精霊も人間と同じように、好みがある。精霊は、きれいなものが好きだ。顔も、心も。だから、この学園には美形が多いのである。
 人間は、欲や嫉妬にまみれなきたないいきものだ。それでも、精霊は心が美しい者がいることも知っていて、人間を愛し、力を貸してくれている。だから、精霊とのあいだに信頼がうまれない限り、いつまでたっても一人前の魔法使いにはなれない。魔法を使うたびに毎回毎回長ったらしい詠唱をしていては魔法を頻繁に使う職には就けないし、ハプニングが起き魔物とやむを得ず戦わなければならなくなったときなども、足手まといになってしまう。だから日ごろから詠唱の訓練はしていたほうがいいのだ。
 その過程をすっ飛ばし、天音は初めから詠唱なしで精霊たちとの意志疎通が可能だったわけだが、天音は「ふつう」にうまれたかったとおもっている。
 そりゃあ、魔法使いの家系にうまれたなら容姿はととのっているほうが有利だし、精霊と永続的な契約を結んでいる力のある家のほうが将来が安定するのだが、何事も「適度」でいい。ととのいすぎた外見も、莫大な魔力も、天音にとっては必要のないものだった。
 天音は一部から「神に愛されし子」などという名称で呼ばれているが、ばかばかしいと笑ってやりたくなる。神が愛しているのは自分ではない。この、魂だ。
 神が初めに創成した、人間――、アダムとイヴ。その、イヴの生まれ変わりが、代々「神に愛されし子」と呼ばれているのだ。
 イヴの魂を持つ者は、その膨大な記憶も引き継ぐ。しかし、それは遡れば遡るほど時間がかかるし、おもい出そうとしなければあってないようなものだった。ただ、イヴの記憶だけはいつでもたやすく鮮明におもい出すことができる。
 天音も、すこしだけ過去の「神に愛されし子」の記憶を見たことがある。課せられた使命を進んでこなす者、わりきってこなす者、そして、心底いやがりながらも世界のために仕方なくそれをこなす者もいた。――そんな中、使命を放棄したひとりの人物がいた。
「神に愛されし子」の使命は文字通り「世界を救うこと」だ。だから、それを放り出せば世界が滅んでしまう。その人物はだれに説得されてもかたくなに首を縦には振らず、すこしはやめの寿命を迎えて静かに息をひきとった。
 ――では、なぜ世界は続いているのか。その理由は簡単だ。世界が滅びる期日までに、新しい「神に愛されし子」がうまれ、使命を果たしたからだ。
 使命を果たしたのちには、神によってどんな願いもひとつだけかなえてもらうことができるのだ。ゆえに、それをいやがっても実行しないイヴは、そのひと以外にはいなかった。――たとえ、望みをかなえるために失うものがあったとしても。
 天音は、使命をこなすことは義務だとおもっている。自分が、ここに存在するための条件だと。願いなんてないけれど、それを終えればただの「ひと」になれる。新しい人生を、始めることができる。なにかしたいことがあるわけではないが、神や天使からの干渉がなくなることは喜ばしい。
 天音は初めから、ひとりだったのだ。今さら――、なにを惜しむこともない。
 心地よい風が吹き抜け、室内が清浄な空気で満たされると窓をしめ、寝室へと向かった。
 そろそろ夕食の時間になるころだが、動くのが億劫だったので天音はベッドに沈み込み、就寝する体勢に入る。
「……面倒だし、もう夕飯は食べなくていいか……」
 夜まで寝て、そのあと焔と話をしようと決め、すっと意識を手放す。
 またたく間に入り込んだ夢の中、天音は神に問いかけた。
 ――かみさまは、どうしてアダムには「愛」を与えなかったの?
 ぼんやりとしたひかりをまとった球体は、頭の中に直接語りかけるようにして答えた。
『愛しているだろう? おまえの前のイヴが、望んだ通りに』
 その言葉で、今までこっそり焔に対していだいていた疑問が晴れた。そして、やはり神の愛は偏っている、と再認識する。
 神は今、遠い遠い空の上から自分がつくった世界を天使とともに眺めるだけだった。なにを祈っても、奇跡を起こしてくれることはない。滅びたらそれまで、そう考えているらしかった。でも、自身がまいてしまった諸悪の根源のせいでなにもできないまま世界が終わってしまっては納得がいかないだろうからと、それをとり除く使命を、イヴに背負わせた。なんてことはない。加護だの愛だのと言われるその才能は、神の尻拭いを確実にこなしてもらうために与えられたものなのだ。
 天音は、神がきらいだ。なにもかもをわかっている存在のふりをしておきながら、人間のことをなにもわかっていないのだから。
 ――あれが「愛」だなんて、アダムもおれの前のイヴも、絶対におもってないだろうけどね。
 吐き捨てるようにして声にした台詞に、神は理解ができない、というように首を傾げるだけだった。



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