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 設楽家は、広告会社を経営している。そこそこ大きいけれど、トップには到底及ばない、そんな位置にいる――と、世間からはそう見えているはずだ。それは間違ってはいないが、正解でもない。情報社会を牛耳る人間ですら、逆らうことができないのが「設楽」なのだ。
 柚希は、会社を継ぐことはない。「カゲツ」だから。設楽にとってカゲツは必要不可欠な存在であり、 だからこそその正体はなるべく隠さなければならないものだった。
 まだ未熟な部分も多い柚希は、身の回りの制御からできるようになれと言われ、それを実行している最中だ。
 順調だった。深慈に、インビジブルの問題に、首を突っ込むまでは。
「……ほんっと、おれってばか……」
 もっと、うまくやれるようにならなければ。
 感情で動くことがいけないことだとは言われていない。ただ、感情「だけ」で動いてはいけないとは耳にたこができるほどに言われ続けてきた。いかなるときも冷静に、正しい判断をすること。それが、カゲツに求められているものなのだ。




 それから約束の一週間が経ち、勝負の結果が判明した。すべての書類は結局のところ最終チェックをおこなう会長の印が必要なので、その直前まで済ませられた紙の山が生徒会室に並んでいた。そして、内容に違いはあるのかもしれないが、わざわざ確認せずとも勝敗は歴然だった。
「おまえら……、ほんと、どうしようもねえな」
 呆れたようにため息をついたのは正人だ。
 ひとり人数的に有利だからといって、余裕だと考えていたのなら愚かとしか言いようがない。
 明らかに異なる紙の量を見て、歩夢が慌てたように口をひらいた。
「だ、だって、みんながだいじょうぶだって、歩夢はなにもしなくていいって言うから、おれ……っ」
「そ、そうだよ。歩夢はわるくない。おれたちが――」
 すぐにフォローを入れる会計。それに続く副会長と、書記。
 いい加減にしろ、とおもった。ほんとうに、どうしたのかと疑問でいっぱいだ。内面までよく知っているわけではないが、それでも今の彼らはおかしい。インビジブルは、柚希が見てきたチームとはそもそも雰囲気が違ったし、メンバーどうしも信頼し合っているように見えたのに。
「だいたい、生徒会の仕事を彼がまともにこなせたとか、信じがたいよ。不正でもしたんじゃないの?だったら、この勝負は無効――」
 学の言葉を遮るように、バンッと大きな音が鳴った。それを発したのは彼を咎めようとした深慈ではなく、正人でもない。――柚希だった。
「し、設楽?」
 自分に、机をたたくようなイメージはなかったのだろう。当然だ。今までおとなしい優等生を演じてきたのだから。戸惑い名前を呼んだ正人に一度だけ視線を返し、しんと静まった中ボードに文字を書いていく。
 呼吸音すらたてることを禁じられているような空気。それを壊したのもまた、柚希だった。
『仕事をしないなら生徒会をやめてください。学園全体に迷惑がかかります。美作くんを追いかけるのは、一般生徒になってからでも遅くないでしょう?』
 全員が、ボードに注目している。目を見ひらく様子をなんの感情もなく眺め、そうだ、と文章を新たに書き出す。
『仕事はしたくないけど生徒会をやめるつもりもないなんてばかげたことを言うなら、風紀にリコールの願書を提出しにいきます。そして、もし生徒会を続けるつもりなら生徒への謝罪をしてください』
「設楽、それは……」
 やめてほしい、と深慈は言いたいのだろう。しかし、柚希にとって彼の考えなど知ったことではない。学園をここまで掻き回しておいて、今さらなんのお咎めもなしに穏便に済ませようなんて虫がよすぎる。
 罰が、必要なのだ。プライドを傷つけられ激昂するか冷静になるかは彼ら次第だが、柚希はどちらでも好きにしたらいいとおもう。自分に害を与えようとしたときは、容赦するつもりなどない。
「勝手なことを、言うな……」
 あまり喋ることのない書記が不満げに眉を寄せた。
 ここまでしてもだめなのか、と呆れた柚希は、席を立って生徒会室の扉に向かおうとした。
「――どこへいく、設楽」
「………………」
 深慈に呼びとめられ、無言のまま振り向く。
 柚希は、深慈のことがすきなのでインビジブルに協力をすることはあった。だが、ほかの面々ははっきり言ってしまえばどうでもいい。彼の大切なひとたちだから大目に見ていただけだ。
 先に視線を逸らしたのは深慈で、彼は大きなため息を吐いて低い声で命令した。
「設楽、こっちにきてくれ。……正人と設楽以外は、横一列に並べ」
 なんで、と訝しげにしながらも逆らえないのか、しぶしぶ四人は言われた通りにした。
「そのまま、その位置で土下座して設楽に謝罪しろ」
「はあ!?」
 ふざけるな、と喚く彼らを柚希は完全に見限っていた。
 深慈のやさしさを、どこまで無下にすれば気が済むのだろうか、こいつらは。
「――黙れ。おまえらに選択肢はふたつしかない。生徒会をやめてここから出ていくか、床に伏して設楽に謝罪するかのどちらかだ」
 どちらもいやだ、と唇を噛む四人に正人が髪をがしがしと掻き、とどめの一撃を放つ。
「つうかさ、おまえらいつまでそいつがカゲツだとおもってんの? それとも、そいつ自身に惚れたのか?」
「は……?」
「顔が似てるだけだろ。中身は雲泥の差がある。深慈とおれははすぐに気づいたけど、おまえらは見事に騙されてたみてーたな」
 恋は盲目とはよく言ったものである。すこし目を凝らせば気づけたことにも気づけなくなるなんて、恐ろしい。
「な、に言ってるの? おれは、カゲツだよ。カゲツなんだ……!」
 混乱していたのはわずか数分で、我に返ったらしい学がすっと床に膝をついた。
「設楽、くん。迷惑をかけてすみませんでした。どうか、ゆるしてください……っ」
 屈辱のためか、声も体も震えていた。あとの三人はどうするのかと目線を動かせば、会計と書記がのろのろとそれに続いて頭をさげた。
「すみません、でした。生徒会に戻らせてください」
「ばかなことをしたと、反省して、います。すみません……でした」
 驚愕し、立ち尽くすのは歩夢ひとり。彼の味方はもういない。
『皆さんのきもちはわかりました。ほんとうは体育館で全校生徒に謝罪してほしかったんですけど、おれが代表して受けとったということにします』
「すまない。……ありがとう、設楽」
 うれしそうに笑う深慈を見て、「これでよかったのだ」とおもってしまうあたり自分はまだまだ未熟だ。けれど、若いうちにしかできない決断というものがあり、そのきもちを忘れないようにしなさいとも教わっている。だから、間違ってはいない。――たぶん。


 
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