いわゆる王道と呼ばれる全寮制の男子校で、設楽柚希(したらゆずき)は「話せない生徒」として有名だった。こっそりと秘密裏に親衛隊が結成されるほどに容姿も美しいのだけれど、学園に彼の声を聞いたことがある者は存在しない。教師もなぜか柚希に声を発することを強要しないため、生徒たちはますます彼が「話せない」ものだとおもい込んでいた。よって、柚希は一部に生徒たちから人魚姫と呼ばれている。もっとましな呼び名はなかったのか、と抗議をしたいところだが、それは浸透してしまっており今さらべつの呼び名をひろめることはできそうになかった。
 ――結論から言おう。柚希は、常人と同じように言葉を発することができる。ただ、この学園にその声を聞かれたらまずい人物がいるから、沈黙を貫いているだけなのだ。
 柚希の想いびと、生徒会長の瀬良深慈(せらしんじ)はここらへんを仕切るチームのヘッドであり、役員もそのチームの幹部だった。なぜ柚希がそんなことを知っているかといえば――、彼らと何度かとりひきをしているからである。
 柚希は、ここ一帯ではとくに有名な情報屋なのだ。夜の街に出るときは白髪の鬘をかぶり、メガネを外し、口元にあるほくろを化粧で隠し、代わりに右目の下に偽のほくろを描いて「カゲツ」と名乗っている。
 自分からわざわざ情報を売りにいくほど柚子は客に困っていないが、「インビジブル」――深慈のチームの名前だ――が罠にかかりそうになったときなどは、彼らのたまり場に自ら赴き「君たちにとってお得な情報はいらない?」と妖艶な笑みを浮かべて提案することもあった。それは、ひとえに深慈のためであった。
 以前、このあたりの夜の街を掌握していたのは「エゴイスト」というチームで、その名の通り自分のことしか考えていない輩が集まっていたのだ。それを解散させ正常な状態に戻し、さらには夜の街の秩序をつくりあげたのも深慈だった。
 きっと、それは彼でなくともできたのだろうけれど、初めに動いたのは彼だった。柚希にとってはその事実だけが重要だった。
 失うことを恐れずだれかのために動けるおとこ。かっこいい、と素直にそうおもった。一度興味が湧けば深慈を観察する機会が増え、それからは坂を転がりおちるように呆気なく恋をした。
 調べれば、なんだってわかる。生年月日や身長体重という基本的な情報だけでなく、なにが好きでなにが嫌いか、趣味や特技、家族構成、それから本人の歴史も。柚希が本気を出せば深慈の一番近くで、彼のことを見て育ってきたかのように語ることもできるようになる。けれど、調べなかった。それらは深慈自身に、話してもらわなければ意味のないものだ。柚希が知ることができるのは「事実」だけ。そのときにそのひとがどんな感情をいだいていたのか、なにをどうおもって行動したのか、予想はできてもそれがあっているかどうかは結局、話してもらわなければわからないのだから。
 柚希は職業柄、いろいろな人物から恨みを買っている。しかし、どんなピンチも情報という武器を使って乗り越えてきた。たとえ自分がカゲツだとばれても敵意を持った人間をうまく躱す自信はある。でも、深慈にはバレたくなかった。彼は、カゲツを気に入ってくれている。だが、「あれ」はまぎれもないつくりものだ。ほんとうの自分ではない。カゲツが好きだから柚希も好きだなんて言われても、嬉しくもなんともない。だけど、話せないということ以外はふつうの生徒となんら変わりのない柚希が、この学園で深慈とかかわることは天地がひっくり返ってもないのだ。仮に生徒会が催したイベントの際に彼と近づくことができても、それはその場限りのこと。深慈は自分の立場をしっかり理解しているため、一般生徒と一定の距離を保つことを心がけている。だから、この恋は絶望的だった。実る可能性は限りなく低い。
 たいした努力もせずにあきらめようとしていた柚希の恋が動きを見せたのは、夏休み前のことだった。
 ――転入生が、この学園にやってきたのだ。
 その人物を初めて食堂で見たとき、「だれかに似ている」と感じた。美しい容姿、妖艶な雰囲気、そして――目元のほくろ。
 情けなくもぽつり、深慈が洩らした声によって柚希はそのときようやく気づかされた。
「カゲツ……?」
 転入生はその呟きに笑みを浮かべ、言った。
「ひさしぶり、真紅(しんく)」
 ――と。
 それは、夜の深慈を知らぬ者には通じない名前だが、転入生は夜の彼を知っている、ということにもなる。
 本物がすぐそばにいるなんて知る由もない彼らは、まるで運命の再会に感動しているかのごとく見つめ合い、ふたりの世界に入っていたのだった。


 ****


 多くの生徒が利用する食堂で熱く見つめ合っていた深慈と転入生の話はまたたく間に広がり、憶測が憶測を呼び、尾ひれのついた根も葉もない噂が校内で飛び交うようになっていた。
 柚希は自分の裏の顔を騙る転入生――美作歩夢(みまさかあゆむ)のことをさっそく調べることにした。
 基本的な情報を得たあと、なにが目的でカゲツに扮しているのかを探っていると、彼が以前インビジブルに所属していたことが判明した。そして、そのころの歩夢は、今の姿からは想像もつかないほどに地味な男子だったようだ。
 手入れをしているのか怪しい、伸び放題のぼさぼさ頭に、野暮ったい黒縁のメガネ。チームに入ったはいいものの周りにとけ込めず、数月で抜けたらしかった。
 ここにくる前に通っていたのは、この学園の兄弟校。建っている場所のほかには違いがほとんどなく、校舎自体もそこまで離れているわけではない、あちらでなにかがあればこちらにまで話が入ってくる、そんな距離だ。実際、歩夢のようにあちらの学園の生徒が深慈のチームに入っているということも、特筆するほどめずらしい事柄ではない。
 ――だからこそ、転入してきたこと自体がおかしいのだ。条件はほぼ同じ。異なるのは、中身。そこに存在する、「ひと」だ。おそらく、というか確実に歩夢の目的はそこにある。
 問題を起こしたわけでもない、なにかの事件に巻き込まれたわけでもない。それなのに、転入がゆるされたのは。
「理事長の、甥……ね」
 権力者の親族だから、ということか。
 これはあの理事長にお灸を据えてやらねばな、とおもいつつ柚希はパソコンをとじた。
 カゲツの名がどれだけ重いものかも知らずにそれを使っている歩夢に、怒りは湧かない。憐れむきもちがあるだけだ。かつて、カゲツの名を使用した者がどうなったのか――、彼はきっと、知らないのだろう。


 
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