****


 何日か、考えた。考えてみたが、あの言葉は早津の本心ではないような気がした。彼の事情を知らないおれは結局、また図書館にいってしまった。すでに早津が当番の日は把握している。火曜と木曜だ。
――今日は木曜日。扉をひらけば、彼はいた。
「佐伯……」
 自分の存在を認識した途端いやそうな顔をされ、若干傷ついたがめげずに近くに寄る。
「あのさ、早津」
「……なに? まだなにかあるの?」
「おれと友達になってよ!」
「……は?」
 ぽかんとした表情すらきれいで、こちらがぽかんとしそうだったがなんとか笑みを浮かべて「だから、友達になろうって言ってんの!」と手を出した。しかし、やはり早津は簡単には握手をしてはくれない。
「……ほんとに、こういうの、困るんだ」
「なんで?」
「……つきあってるやつ、いるって言っただろ」
 視線を合わせず、顔を斜め下に向けながら吐き出すように言う彼はやはりつらそうで、見過ごせないと強くおもう。
「うん。だから?」
「…………おとこだから」
「……うん?」
「勘違いされると大変なんだ。だから、むり」
 もしも、長い長いまつげに半分ほど隠れた瞳が濡れていなかったら、おれは「そっか。それじゃしょうがないな」とあっさりひきさがったに違いない。けど、そうじゃなかった。早津はくるしんでいる。
 ただの美人だったら。本気でひとりを望んでいたなら。
 そうであれば放っておいたが、早津は気づいていないだけで、今にも潰れてしまいそうだ。――その上にのしかかっているものの正体は、まだわからないけれど。それをすこしでも軽くしてやれたらというきもちは、偽善なのだろうか。たとえ偽善でも、気づいてしまったからには放置なんてできない。
「じゃあ、なんでそんな泣きそうなの」
「泣きそうなんかじゃない」
「泣きそうだよ。目にいっぱい、涙がたまってる」
「……ほんとうに、勘弁して」
 かたかたと震える彼は、まるで穢れを知らない天使かなにかのようだった。ふれたら壊れてしまいそうなそれに、手が伸びてしまう。
 つう、と滴が一筋の道を頬につくった刹那、早津は懺悔するかのごとく重々しい口調で、教えてくれた。
「佐伯みたいなやつ、たまにいるんだ。けど、たどる道はいつも同じ。おれに惚れて友達づきあいどころじゃなくなるか、一郎の異常さに怯えて逃げ出すか、たえすぎた結果壊れるか」
「一郎……?」
「……恋人のことだよ。もう、恋人って言っていいのかも、よくわからないけど」
 うわずりそうな声を精一杯とどめて、早津は必死に伝えようとする。
「もういやなんだ。期待するのも、裏切られるのも、壊れるやつを見るのも」
 ああきっと、こういうところだ。この、儚げで不器用なところに、皆惹かれていったのだ。
 自分も同じ道をいかない自信はない。だけど、ひとつだけ言えることがある。
「あのさ」
「……まだなにかあるの」
「早津のことすきになったとしてもそれはこっちの都合だし、友達やめる理由にはならないとおもうんだよね。だから……おれは、早津に恋をしたとしても、逃げたりしないよ」
 ぽん、と頭の上にやさしく手を乗せた。柔らかく、ふわふわした髪の極上の質感に驚きつつもゆっくりとそれを撫でるように掌を動かせば、早津は戦慄かせながらくちびるをひらいた。だが、そこからはなにも発されない。
「彼氏の異常さ、ってのはまだよくわかんないけど、それからはさ……おれじゃなくて、早津が真っ先に逃げるべきだろ。そいつのことがすきでどうしようもないっていうならしかたないけど……、違うんじゃないの?」
 答えるつもりがないのか、とおれがあきらめかけるほどに長時間の沈黙を経て、ようやく早津はごくごくわずかにだがうなずいてくれた。それから、やっとのおもいで絞り出した声で彼は事情を告げる。
「でも……、だめなんだ。おれは、あいつの命令に、逆らえない。弱みを握られてるとか、そういうことじゃなくて、ずっと前からすこしずつ、『そういうふう』になるようにされてた。おかしいって、心のどこかではわかってるのに、一郎の言うことのほうが正しいんだってどうしてもおもってしまう。それに……」
「それに?」
「……そこかしこに監視役が、いて、あいつに逐一報告してるんだ。だから、おれに近づくやつをあいつはすぐに把握するし、迅速に手をうってくる」
 監視役、迅速に手をうつ。
 ふつうの高校生ならば縁のない言葉に頭が混乱しかけたが、小説の世界の話みたいじゃん? と脇に逸れたことを考えてなんとか自身を保った。
「おれとかかわれば佐伯は、すごくいやな想いをすることになる。今ならまだ間に合うから……、だから、」
 考えなおしたほうがいい。
 蚊の鳴くような囁きを零した早津に、呆気なくおれの心は決まる。
「うん。じゃあ、これからよろしく」
「……おれの話、聞いてた?」
「聞いてたよ。でも、おれがここでやっぱりやめるって去ったら、早津はまたひとりでたえるんだろ?」
 緩やかに顔を動かし、こちらを見据えたおとこの表情は驚愕に満ちていた。
「だって、ほっとけねえんだもん。ひとりがほんとに好きなやつならいいけど、早津はそうじゃないじゃん。まだあと一年と半分ある高校生活、このまま過ごすとかつらすぎるっしょ。それに、このまま卒業したらやばくね? 早津、監禁されて、飼い殺されそう」
 最後のは冗談で言ったのだが、わりと信憑性を帯びてしまってぞっとした。その未来を、早津も予想しなかったわけではないらしい。彼はくちびるをきゅっと噛みしめ、肩をぶるりと震わせた。
「一緒にがんばろうぜ。ひとりじゃむりでも……、ふたりならできること、たくさんあるって」
「佐伯…………」
 ありがとう。
 うつむき、そう呟いた早津のそれが涙声だったことには気づかなかったふりをして、「スマホ持ってる?」とことさら明るい声音で訊ねる。
「……一応」
「じゃあ、連絡先交換しよ。なんかあったら遠慮せず連絡して」
「うん……」
 無事、連絡先を交換し終えたところで「そういえばさ、」と気になっていたことを質問した。
「早津って、おとこがすきなの?」
「え……、いや、そういうわけじゃない、とおもう、けど」
 しどろもどろな返答につい笑ってしまうも、彼はいやな顔ひとつしなかった。きっと、笑われて怒る、なんてことすら経験がないのだ。……胸が、ぎゅっとしめつけられるように痛くなった。


 
BOOKMARK BACK
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -