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 結局、翌日も涙は武宏の部屋に滞在することになった。自分が彼に無体を強いたせいで熱を出したのだ。
 甲斐甲斐しくだれかの世話をするなど初体験であったが、めんどうだとはおもわなかった。むしろ、上機嫌ですらあった気がする。
「ほかにほしいもんは」
「ないです……」
 年頃の男子ふたりが寝転がってもまだ余裕のある大きなベッドで恋人の隣から様子を窺っているわけだが、なんだか涙がよそよそしい。やりすぎたか、とちょっぴり申し訳なくなっていると、「あの……」と声をかけられた。
「あ? なんだよ」
「その、おれのこと呆れたり、いやになったり、して、ませんか」
 質問の意図がわからず眉を寄せると、「だって、あんな、」と言いづらそうにもじもじし始める。
 ぴんときたわけではなかったが、ほかに心あたりもないので「あれ」に言及してみることにした。
「潮吹いたの気にしてんのか?」
――どうやらこれが正解だったらしい。ぶわ、と顔を真っ赤にしたおとこは、唐突に弁明をし出した。
「ち、違うんです。あんなの初めてで、自分でもびっくりしてて」
 なにをそんなに慌てることがあるのか。武宏は理解できぬまま、頭の後ろをがしがしと掻き、「いやべつに気にしてねー……つか、エロいやつのほうが好みだからむしろ大歓迎なんだけど」と言ってやった。すると、瞠目したのち、涙が胸に顔をうずめてきた。
「なんだよ」
「すき……」
 同じ言葉は返さないが、やさしく髪を撫でてやる。
 一昨日ときのうでじゅうぶんすぎるほどわかっているとはおもうが、武宏はろくでもない人間だ。自他ともに認めるほどの。なのに、涙は自分のどこに惚れたのだろうか。
 今さら気になって、「おい」と彼を呼ぶ。
「はい……?」
「おまえ、なんでおれなんかがいいんだ」
 たっぷり一分ほど沈黙したのち、「……あの、」と改めて口をひらいた涙は「覚えてないとおもうんですけど」と前おきをしてから話し出した。
「中学生のころ、従兄弟と街ではぐれたとき、知らないおとこたちに絡まれてるのを助けてもらったことがあって」
 確かに、これだという記憶はない。というか、ありすぎてどれかわからない。べつに善意でひと助けをしたつもりはないので、道にいたのが邪魔だったからどうにかしたとかそういう理由だったのだろうという予想だけはついたが。
「……さすがに、おまえほどの美人なら覚えてるとおもうんだがな。わりぃ、おもい出せねえ」
「いえ。当然です。おれ、昔はぼさぼさの黒髪で、度のきつい眼鏡かけてたし……」
――想像がつかない。この、「美」という単語を体現したかのような人間が、「ダサい」と称されてもしかたのない格好をしていたということが。
「ずっと忘れられなくて、度々街へおりたけど会えなくて。あきらめるしかない――、そうおもってたとき、武宏さんがこの学園にきて……。雲を掴むようなことだとわかっていても、可能性がゼロじゃないならがんばりたかった。好みとか、いろいろ調べて、それに近づけるよう努力したんです」
 外見に加え、あの煙草というアイテム。武宏の気をひくにはじゅうぶんすぎた。
 自分はまんまとしてやられたわけだな、と苦笑した。
「でも」
「ん?」
「どうせ、一回だけだって……、二度目はないって、そう考えてたのも、事実で」
 その通りだった。基本的に、二度目はない。それが、この学園内で自分が自分に課したルールだった。だが、だからこそ自ら壊すこともたやすい。
「涙」
「……はい」
「おれは面がよくてめんどくせえ性格してなきゃなんでもいい、っていう最低なおとこではあるが……、だれかにこんなふうに、気を遣ったり気まぐれにでもやさしくしてやったりしたことは、たぶんない」
「…………それ、って」
「自惚れろってことだよ。言わせんな、ばか」
 おそるおそる、といった手つきで背に腕を回してきた涙を抱きしめ返し、武宏は囁く。
「ちゃんと、おまえのこと守ってやっから」
 彼は、制裁を覚悟して近づいてきたはずだ。ただ一夜のおもいでを求めて。
 親衛隊は、簡単には黙らないだろう。けれど、もうこいつは自分のものだ。自分自身が壊すのはいいが、他人に手を出されるのはたえがたい。
「でも、おれ自身からは守ってやれねえから、そこは自分でどうにかしろよ」
 笑い話のつもりだった。
 なんですかそれ、って笑われるとおもっていた。――なのに、涙は。
「……おれ、武宏さんになら、殺されたってかまいません」
 狂気を孕んだ献身を見せつけてきたものだから、こちらが噴き出してしまった。そして、認めるしかなくなる。
「おまえの勝ちだ、涙」
 腕の中、なんのことですか、とふしぎそうな表情をしているのだろう恋人が願った通りの結末を迎えさせたことに屈辱感を微塵も抱かなかったといえばうそになるが、それ以上に心を満たすのは充足感。
 まあ、人生で一度くらい、こうしてだれかのものになってみるのもわるくはないだろう。
――余談だが、数日後にはふたりで禁煙を始めた。理由が恋人に副流煙を吸わせたくないからなんて頭に花が咲いたようなものであることに武宏は頭がそうとうやられてるな、とおもったが、やはりわるい気はしなくて。内海武宏は白布涙に完全敗北を喫したのだった。




End.


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