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 月曜日、柚希はごくふつうに登校した。以前と変わらない日々がまた始まると、そうおもっていた。
 補佐をやめてしまえば柚希はすこし人気があるただの一般生徒になる。生徒会に自ら関わるつもりはなかったし、あちらも自分の立場くらいわかっているはずだ。
 深慈は自分の正体に気づかなかった。だからというわけではないが、もう二度と彼の前に姿を見せる気はない。
 カゲツは、一部の人間にとても好かれていた。与えた情報が危機を乗り越える際の手助けになっただとか、わからないことはないというような態度とそれを裏切らない実績が憧れの対象になったのかもしれない。あとは、容姿もか。
 白髪は、インパクトがあるだろうとおもって選んだ。「カゲツ」の印象が強くなればなるほど、その中身を隠しやすくなるはずだと。――それは、正しかった。実際、補佐をしていたときに深慈と正人のふたりと毎日顔を合わせていたが、正体がばれることはなかったのだから。
 同じチーム内にいるだけでは満足できず、さらに深慈の近くにいくために自身をカゲツだと詐称した歩夢はとても貪欲だとおもう。自分なんて、そばにいることすらできないというのに。――それほどまでに、すきだったということなのだろうか。柚希が深慈から逃げようとしているのは、たいした想いじゃないからなのか。
 否定は、できないかもしれない。深慈を一番に考えることは、どうやってもできないのだ。
 歩夢につけられた歯形が残っていたので、包帯をとることはできなかった。だが、話せないとおもわれているため「気になる」という視線を向けられることはあっても直接「どうしたの?」と訊ねられることはないはずだ。友人がいればべつかもしれないが、それもいない。グループをつくるときにはだれかしらが気をきかせて「うちのとこ入る?」などと声をかけてくれるため、ひとりだからといってとくに困ることもなかった。
 ――だから油断していた、というわけではない。だってまさか、手にある包帯を見た深慈にひきとめられるなんて、予想できるわけがなかった。
 見くびっていた、ということか。彼の、カゲツに対するきもちを。
 寮に戻ろうと、昇降口に向かっている最中だった。深慈が前から歩いてきたのでお辞儀をして横を通り過ぎようとした柚希を信じられないものを見るような瞳で射抜き、腕を掴んだのだ。
 なんですか、と首をかしげると、「……これは?」と問われる。
 内心焦ってはいたが、表面には出ていないはずだった。声を発しそうになるのをこらえて、困ったように眉を寄せる。
「――すまない、ここじゃあれだな。こっちにきてくれ」
 抵抗しようとはしたのだが、深慈の力が強くて従わざるを得なかった。
 そこらへんの部屋に入り、おとこは柚希をじっと見つめてきた。
 気づいてほしい、気づいてほしくない。相反する想いが心の中に渦巻き、心臓をぎゅっと握られているような感覚に陥る。
 すっと、深慈の指が口元のほくろを撫でた。
「……は、ばかだな、おれは」
 まだ、認めたくない。けれど、それがわるあがきだということも、もうわかっている。
「こんなに、近くにいたのにな。ここでも、おれを助けてくれていたんだな、カゲ――」
 最後まで言い切る前に、掌で彼の口を押さえた。そして、あきらめたように柚希は声を紡いだ。
「……その名前で、呼ばないでください。おれは――設楽。設楽、柚希です」
 魔法は、とけた。人魚姫は声をとり戻した。――それで、めでたしめでたしハッピーエンド、というわけにはいかないのだけれど。
 しばしの沈黙のあと、白状するかのように柚希はぼそぼそと話し始めた。


 中学三年生のころ、「カゲツ」としてこの街の治安を維持するよう言われ、問題になったのがチームの争い、とくにエゴイストに関連する事件だった。どのような手を使えば一番被害がすくなくて済むかと考えていたところにインビジブルが現れ、そのチームはあっという間に夜の街を昔の状態に戻してみせたのだ。柚希はその瞬間、高校を決めた。もしもそのころすでに受験の時期が終わっていたとしても、改めて試験を受け、転校してきただろう。そのくらい、インビジブルの総長に恩を感じていたし、あんな行動力が自分にあったならと憧れもした。だから、深慈のことを贔屓してきたし、この先もこっそり見守るつもりではある。けれど、関わるつもりはないから放っておいてほしい――。
 そう、伝えてみせた。ひとつの想いを隠したまま。
「あなたに、『カゲツ』に近づいてほしくないんです。……わかってください」
「『カゲツ』とは、なんなんだ?」
「……知らないなら知らないままでいたほうがいいもの、です」
 柚希がどんなにこのおとこに傾倒していても、絶対的な味方にはなれない。カゲツは、罰しなければならない対象が身内だとしても情けをかけることはゆるされない。それが、強大な力を持つことの代償ともいえる。
「おれには、『カゲツ』がなんなのかはわからない。だが、わかっていることがひとつだけある」
なんですか、と目だけで訊ねれば。
「――おれに、やさしかった。おれを、何度も救おうとしてくれた。それは、『カゲツ』ではなく『設楽』の意思だったのかもしれないが、動いたのは『おまえ』だろう。だから感謝しているし、……惚れても、仕方ないとおもわないか」
「!」
 受け入れてはだめだとおもうのに、拒むこともできない。抑え込んでいたきもちが溢れ出す。
 ――ほんとうは、ずっと自分がカゲツなのだということに気づいてほしかった。すきに、なってほしかった。でも、それ以上に柚希はどうしようもなく「カゲツ」だった。
「あなたは、とても聡明だ。だから、いろいろなことに気がついて、おれのことが重たいやつだからといやになるかもしれない。けど、そんなの当然なんです。そのときは、遠慮なく言ってください」
「それは、」
「……あなたが、すき、です。あなたのことが、すき、なんです」
 かなってしまった恋に、涙が零れた。未来はいくつもある。柚希には、それを絞ることはできてもひとつにすることはできない。深慈とずっと一緒にいるという未来は、彼の心が変わらないという条件が必須だからだ。さすがの「カゲツ」でも、ひとの心まで支配することはできない。脅してむりにそばにいてもらっても、そんなのは虚しいだけだろう。
 壊れものにふれるように、おそるおそる体に腕を回される。
 目をとじ、深慈の胸に頬を寄せ。
 ――いつか離れる日がきたならば、そのとき、おれはこのひとにころされたい。
 そんなばかな願いを、柚希はいだいたのだった。




End.


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