「ほっとけ。逃げ出したやつらは、おいおい制裁を下してやるからよォ。――まずは、こいつらをどうにかしないとなァ?」
 大勢の目が、ふたりのカゲツに集中する。彼らにとってはどちらが本物かなんてどうでもいいのだろうが、このまま逃がすつもりもないようだ。身の危険を感じたらしい歩夢が、こちらに近づいて睨んでくる。
「おまえさえ……、おまえさえいなければっ、おれは!」
 なにを言いたかったのかは、わからない。ただ、台詞の続きの通りに事が運ぶか否かは、柚希の存在はたいして関係ないのではないかとおもった。
 振りあげられた右手。次の瞬間、ひろい倉庫に乾いた音が響いた。
 ――頬をたたかれたのだ。平手だったし、そこまで痛くもない。一日冷やせばあしたにはなおっている、そんな程度のものだった。だれかを騙すことはよくあっても、暴力をふるったことはほとんどないのだろう。すこしだけ、情が湧きそうになった。けれど、もうどうしてやることもできない。
 すっと、懐からとあるものをとり出す。ざわり、周りがざわめくほどの反応があったのもむりはない。自分が手にしているのは、銃だったからだ。ふつうに生活していればおいそれと目にすることなどないそれに、恐怖で震える輩もすくなからずいた。
「……随分、物騒なもん持ってやがるじゃねェか」
 重々しい声を発したおとこに、柚希は微笑んでみせた。
「安心して。これ、ただのおもちゃだから」
「なに?」
 偽物だというなら、それでなにをするつもりなんだ、という疑問をいだくのは当然のことだったが、それを教えることなく天井へとピストルを向ける。そして、そのまま――耳をガードしつつ一発を放った。
 パァン! と外まで聞こえるであろう音が鳴り、倉庫内にいるエゴイストのメンバーは驚きを隠せず、なんだ、なにが起こるんだと困惑している。
「あいつを捕まえろ!」
 いやな予感でもしたのか、そうリーダーが命令するとおとこたちがどっと押し寄せてきた。さすがに捕えられるのはごめんだとシャッターのほうに走れば、しまっていたはずのそこがひらき始めていた。柚希はそこをくぐって脱出したが、すぐ後ろにはエゴイストのやつらがきている。万事休すか――なんて絶望、するわけがなかった。
 外はおとなたち――警察が、倉庫を完全に囲んでいたのだ。
「な、んだ、これ……」
「なんで、サツが、こんなに……っ!?」
 チームのことに警察が動くなんて、滅多にないことだった。昔、エゴイストが好き勝手やっていたころも、ヘマをして捕まった者はいたが、それも数人ですぐに開放してもらえた。――が、今回はそんな簡単にはいかない雰囲気があった。明らかにおかしい。人数が、尋常ではない。初めからここで捕まえることが決まっていたかのように、静かに包囲が完了していたのだ。
「……恨んでもいいよ。きみたちを警察に突き出したのは、まぎれもなくおれだから」
 逃げようと暴れる者や、走り出す者、あきらめて座り込む者と反応は様々であったが、総長と歩夢だけは違った。「いつか絶対に仕返ししてやる」とでもおもっていそうなぎらぎらとした視線をこちらに向けている。前者はともかく、彼には教えておいてやらないとな、と隣にいたおとこに粗方片づいたら歩夢を自分のところにつれてきてくれと頼んで、てきとうなパトカーに乗り込んだ。
 このご時世、警察も動きづらいことこの上ないらしい。柚希が「お願い」をしても渋られたので、仕方なく上に「命令」してようやくこの計画に協力してもらえたのだ。本来なら、こんな族をひとつ潰すためだけに警察が重い腰をあげるということ自体、ないのだけれど。カゲツの名は、やはり偉大だ。
 次々とおとこたちが連行され、ようやくあたりが静かになってくると、先ほど話しかけた警官が歩夢をつれてこちらにやってきた。柚希は車から出て、それを迎えてやる。
「あはは、無様だね、偽カゲツさん。――いや、美作歩夢と呼んだほうがいいかな?」
「……っ、ゆるさない……。絶対に、おれはおまえのことゆるさないからな……!」
 彼は未だ、家の力が通用すると考えているのだろう。どこまでも憐れだ。叔父である理事長が歩夢を転校させた時点で、自分がおかれている現状を知るべきだったのに。
「きみは、親に頼めばすぐに釈放してもらえるとおもってるのかもしれないけど……彼らはなにもしてくれないよ。おれが、そう頼んだから」
 意味がわからない、と瞠目するおとこにもうすこし噛み砕いて説明をしてやる。
「そういうものなんだよ、きみが騙っていた『カゲツ』ってのは。すきなひとの気をひくために使う名前としては、重すぎるものだった」
「待って、だって、そんなの、知らなかった、おれは、ただ……!」
「きみが家に帰れたとき、家族がどんな反応をするのかはわからない。でも、きみはおれの名を利用したことを後悔するんじゃないかとおれはおもうよ」
 泣きそうになりながらも、歩夢の目は死んでいなかった。あ、やばいかも、と感じたときには遅く、歩夢は腕を掴まれ不自由な状態のままがぶりと、血が出るほどに強く手を噛んできた。
「おい、おまえ……!」
 さあっと青ざめたおとこに「だいじょうぶです」と告げ、あとは頼みますね、とその場をあとにした。
 まださほど暗くもなかった空が濃紺に染まり、闇が深まってきていたが、このまま学園に戻る気にはなれず、薬局に寄って必要なものを買い、手の手当てをした。その後、すこし休んでから帰ろうとそこらへんのカフェにでも入ろうとしたときだ。
「カゲツ」
 とあるおとこに声をかけられた。もう、その声にその名を呼ばれることはないはずだったのに。
 間違えるわけがない。だってこれは――。
「…………深紅」
 深慈のものだから。


 ゆったりとした音楽が流れている店内には、自分たち以外にもちらほらと客がいた。
 注文したコーヒーが運ばれてきて、それに口をつけたところでようやく深慈が話し始めた。
「……うまくいったのか」
 なにが、なんて聞かなくてもわかる。エゴイストのことだろう。
「おかげさまで。これでここらへんはだいぶおちつくだろうね。……深紅は、なんでここに?」
「おまえが心配だった。だから、おれたちがよく集まる場所の様子を見にきた」
「……そう」
 そんな心配いらないとおもうのに、それをしてくれるのが深慈だと突っぱねることもできない。それに、なにも言わずに接触を断つのも申し訳ないとは考えていたところだ。これは、いい機会なのかもしれない。
「街の情報はこれからも集めるけど、もう、おれがインビジブルを個人的に助けることはないとおもってほしい」
「なぜだ」
「とくべつ困ったことが起きるともおもえないし、この先チームどうしの争いに関与するつもりはないから」
 沈黙してしまったおとこに「じゃあね」と告げて席を立つ。残っていたコーヒーを飲み干し、伝票を持って去ろうとしたところで「けが、」という単語を投げかけられ、振り向く。
「……手、けがしてるじゃないか。あんま、危ないことはするなよ」
「……ありがとう。深紅も、やんちゃはほどほどにね」
 支払いを済ませ、カフェを出る。後ろを見ることはできなかった。
 空を見あげればそこには欠けた月が浮かんでいた。その輝きに目を細めた刹那、雫が一滴、頬をつたった。


 
BOOKMARK BACK
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -