「山南さん、お目覚めですか?」
「…ええ、どうぞ」

日が沈んだ頃私はこの部屋にやって来る。障子を開けずに話し掛けてみれば聞き慣れた柔らかな声が返ってきた。白い障子を開けると畳の上で綺麗に正座をした彼の後ろ姿が目に入る。


「葡萄、いかがですか」
「おや…これは随分立派な」
「はい。夕食の果物を掠めてきました」

そう言えば山南さんは困ったように笑う。きっと彼も永倉さんや原田さん辺りが葡萄を取り合うのを想像したのだろう。


「それでは頂きましょうかね」
「どうぞ!」

山南さんの長く白い指が熟れた葡萄を掴む。みずみずしい音をたててそれは彼の形の良い唇に吸い込まれていった。余りの色っぽさにぼーっとそれを見つめていると山南さんが不思議そうにこちらを見返した。

「どうかしましたか?」
「えっ…あ!いえ!何も!」

不思議そうにこちらを見つめてくる山南さんに少し恥ずかしくなって目を伏せた。まさか余りにも貴方が色っぽいからやましい事を考えていました、なんてこの人を前にして言えない。


「まったく、変な人ですねえ…」
「うう…」




「……私なんかに入り浸ったりして、」

甘く、みずみずしかった葡萄の実が突然味気なく感じられた。

山南さんはこうしていつも相手との間に壁を作る。人間ではないと、化物なのだと言い張る。山南さんはきっと誰よりも人間であり武士であり新撰組の一員である自分自身に誇りを持っていた。それを自分で壊そうと決断するのにどれだけの葛藤があっただろう。それでもここを守るために薬を飲む道を選んだのだ。それなのに皆、山南さんを恐れ、狂ってしまったと噂し、のけ者にする。誰よりも辛いのは彼なのに。


「山南さん」
「なんですか」
「わたし、山南さんが好きですよ」
「…それは…どうも。」

「だからそんな風に一人にならないで」


綺麗な瞳が見開かれた。ああなんて美しいんだろう。世界に見捨てられたはずのこの人は罪作りなほど美しい。
勢いに身を任せて少し強引に口付けをしようと身を乗り出せば、すんでのところで止められてしまう。


「い…いけませんよ」
「何故です」
「こんな、わたしに」
「山南さんは山南さんではありませんか」
「し、しかし…」


山南さんは私から顔を背け、苦しそうに目を伏せた。それはまるで人間という存在を恐れているようで、私の胸はずきんと痛む。

薬を飲んだ山南さんは「自分は死んだことにして欲しい」と笑顔で言ったのだと千鶴ちゃんに聞いた。そんなことを笑顔で言える人が居るものか。それじゃあその笑顔の下には一体どれほどの苦痛が隠れていたんだろう。この人は壊れて行く自分を必死に取り繕っているのだ。今までも、そしてこれからも。



「たとえ山南さんが狂ってしまっても私は貴方を愛しています」

「そんなことより、貴方が一人で消えてしまう方がずうっと怖いですから」


そのまま私は山南さんの白い手を優しく退けてその唇を塞いだ。微かに広がる熟れた葡萄の甘さに頭がくらくらする。


「存外…大胆なのですね貴女は」

山南さんは拒むでもなく受け入れるでもなく笑った。それから少し間を置いてそっと私の手に自らのそれを重ねた。ひんやりとした手が心地よい。


「それでは、私が壊れるまで一緒に居なさい」
「はい」

「少しの辛抱ですから、そばに…」
「ずっと、居ますよ」




私たちはいつまでも、這いつくばって駆けずり回って泥にまみれて醜く生きてゆくのだ。どうしたって地に足をついて生きなければいけないのだから。たとえば彼が狂って私が壊れてしまったとしても、


されど、世界は美しかった


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OZ」さまに提出しました。

切羽詰まったふたり、という事でお相手が山南さんしか思い付きませんでした…!

素敵な企画に参加させて頂いて本当にありがとうございました!


10.16.碧


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