人間はつくづく脆弱だと痛いほどに思い知ったのは、あの夜だった。

あの、月の大きな夜。町を両親と歩いていた私は突然浪人連中に襲われた。血に飢えた彼らはとにかく人を斬れれば良いようで、まず父親に斬りかかった。続いて母、最後に私……の筈だった。


キン、と刃が当たる音がして私は恐る恐る目を開けた。私と浪人との間に入り込んだ人は酷く美しい姿をしており、流れるような太刀で相手を斬った。さらさらと舞う黒髪と医学者風の丸い眼鏡。すぐにその横顔は私の瞳に焼き付いた。そして、


何も見えなくなった。





………………………

「…金木犀ですか」
「ええ、良く分かりましたね」

ふわりと香る柔らかな香りに思わず表情も和らいだ。あの日以来私を自室に置いてくださる山南さんはよくこうしてお土産を持ってきてくれる。言葉では何も言わないけれどきっと見えない私にも分かるように香りの高い花を持ってきてくれたのだ。

あの夜私は視界の全てを失った。なんでも神経から来る失明らしいけど、詳しい事は良くわからなかった。自分でも分からないくらいの早さで哀しみは神経を伝わり、目の支障に作用したらしい。思うより自分の身体が脆弱だと思い知らされた。この目は再び世界をうつせるようになるのだろうか。


「あまり気負ってはいけませんよ」

山南さんがそっと私の手を掴んだ。そしてゆっくりお茶の入った湯飲みを渡してくれた。


「ありがとうございます」
「…いいえ」

山南さんは優しい。だからこそいつまでもこうして世話になってはいられない。早く治してここから立ち去らなくては。そうでなくては山南さんはずっと今のような生活を強いられる。そんなことは許されない。
それでも全てを見透かしたように山南さんは私に気負うなと言ってくれる。きっと彼には私の考えなどとうにお見通しなのだろう。


せめてなにか山南さんのお役に立とうといろいろな事に挑戦してみたがなかなか上手くいかない。失敗を繰り返しては山南さんにご迷惑をかけてばかりいる。それでもなんとかお茶だけはいれられるようになった。

「お、山南さんにお茶?」
「えっ…あっはい…、ええと…?」
「悪い悪い!藤堂平助だ」
「あ、藤堂さま…申し訳ありません。」

お湯を沸かしに板場へ行くと突然声をかけられて驚く。最初には会っているはずだけど、長いこととじ込もっていたせいで山南さん以外の方の声はまだ良くわからない。

「すぐに済ませます」
「え?ああいーってゆっくりやんなよ」
「でも……あっ!!」

気が動転していたのか、持っていた急須を落としてしまった。床に落ちた急須が音をたてて割れる。急いで拾おうとしゃがみこむとぐい、と腕を引かれた。


「怪我するから、俺がやるよ」
「…でも」
「良いから」

怒っているような声だった。駄目だ、山南さんはなんとなく分かるけれどこの方の表情は分からない。声色だけじゃ表情が読み取れない。

「すみません…すみませんっ」
「良いって」

見えないことが急に恐ろしくなった。今まで見えなくてもどかしい事はあったけれど、怖い事は無かったのだ。それは多分山南さんのお陰で…。



「どうかしましたか?帰りが遅いので様子を見に来ましたよ」
「山南さ、」
「おや…藤堂くんまで」


しばらく沈黙が続いた。様子を見て山南さんは状況を理解したのだろう。藤堂さんに「ありがとうございます」と言う声がした。そしてそのまま山南さんに手を引かれて部屋に戻った。


「あ…あの、山南さん」
「なんですか」
「お茶…」
「ああ、良いのですよ。」


優しい山南さんの声色に私はほっと気を抜いた。山南さんの手はいつだってひんやりと冷たい。だけどそれは私にとって心地のよい体温で、安心した。

そんなことを思っていると不意にきゅっと山南さんの手に力が入った。


「…………っ!」

「山南さん?」
「、な…んでもありません…、貴女は早く部屋に入りなさい」
「どうなさったのです、」

ぐい、と部屋に押し込められて障子を閉められた。何が起きたのか分からない私はただ畳に座り込んでいる。


「…ぐ、う…っ」
「山南さん!」

なんとか障子に手を添えたけれど、何やら外から押さえているようでびくともしない。その間にも山南さんの苦しそうなうめき声が聞こえてくる。


「ゲホ…ゲホ…ッ……う、」

「開けてください山南さんっ!」
「…いけませ、ん」


私にばかり優しくしておいて私のは受け取らないのだ、山南さんは。私だって差し上げたいのにいつも優しく逃げて行く。ああ何故貴方はそうして一人になりたがるのですか。この障子を開けてください。私にも触れさせてください。


「…ああ、こんなとき貴女の目が見えなくて良かったと思います。」



「勝手ですが…このように醜い姿が貴女の目に触れなくて良かった、と…」


不意にあの大きな月が目の前に蘇ってきた。大きな大きな低い月を背に山南さんが立っている。あの日から忘れない美しい彼の姿。この世のものとは思えない程儚げで、妖麗なあの…


「山南さん!」


力任せに障子を開けば、紅く光る目を丸くした山南さんの姿が有る。肩まである細い髪は雪のように真っ白で、秋風に揺れていた。


「…あなた、まさか…目が」
「山南さん」
「見てはいけません、こんな!」
「いいえ、山南さん」
「私は人ではないのです…!私はもう、」


「綺麗です、山南さん。」


きっと私はこの人にずっと焦がれていたのだ。助けられたあの日まであれほど美しいものを私は知らなかった。目が見えない日々もそれは変わらなかったのだ。するすると毛先が黒に染まって行き、そのうちに瞳の色も戻った。彼は未だ呆然とそこに座り込んでいる。



「何故、出てきたのです」
「山南さんをお助けしたかったからです」
「…あのような姿」
「姿など関係ありません。山南さんは綺麗です」

「……、」

山南さんのうすい唇にそっと自らのそれを当てた。
やっと触れられた。焦がれ続けていたこの人に。


「山南さん」
「…はい」


「お願いです。こうして…添い遂げてもよろしいですか?」


ふわりと彼は春の桜のように微笑んだ。
以前より視界が綺麗に見えるのは多分気のせいではない。この人のお陰で、


世界が輝いた




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くおん」さまに提出しました。
纏まっていなくてすみません…。
素敵なお題で書けて幸せでした。参加させてくださってありがとうございました!

10.11.碧


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